「お見事ね!ミンチョルくん」
その時、シャネルのスーツにきつい香りの香水、そして真っ赤な口紅で颯爽と
現れたのは、ヤンミミ校長だった。
いつも持ち歩いてるハンドバックには、ムチが忍ばせてあると、まことしやかに
噂されている。
校長が教室に入ってきた瞬間、周りでにいる児童たちが一歩後ろに下がった。
「おお~、怖~い」みんなが小声で囁き合う。
「シン先生、しっかりなさいね、善処をよろしく」
ヤンミミ校長は、担任をちらっと見てそう言うと、今度はソンジェに目を留めた。
「ソンジェくん、ちょっとこっちにいらっしゃい」
ソンジェは驚いたように、ヤンミミ校長を見た。
「さあ、いらっしゃい、こっちよ」そう言って、躊躇っているソンジェに笑いかけた。
仕方なく、ソンジェが前に進み出ると、真っ赤な唇がド~ンと、迫ってくるように
見え、ソンジェはその場を動けなかった。
「ソンジェくん、あなたのピアノ演奏を聴かせてもらって、私はとっても
感動したわ。
それで相談なんだけど、我が校は、この5月に創立50周年を迎えるのよ
知ってるでしょ?それで是非、多くの来賓をお迎えするにあたり 、ソンジェくんに
ピアノの演奏を披露してもらいたいの、どうかしら・・・」
ヤンミミ校長は、満面の笑みを浮かべ、ソンジェを見る。
すると、ソンジェは困ったようにボクを見たので、ボクは、とっさに顔を背けた。
義母のことが気になったからだ。
義母はソンジェがピアノを弾くのを嫌がる。ソンジェもそれは身に染みて
分かっているだろう。
(どうするかは自分で決めろ・・・)
ボクはそう思った。
下校時間になり、ボクが靴箱から、靴を出していると、ヨンスが走り
寄ってきた。
「室長、一緒に帰っても良い?」
ボクは内心、とっても嬉しかったが、無理に何でもないように答えた。
「良いけど・・・」ボクがそう答えると、ヨンスは、にこっと笑う。
ボクの心はドキッとした。
二人は並んで歩き出す。
「室長、さっきはどうもありがとう。何だか、いつも助けて貰ってる気がするな~」
「君はセナの面倒を良く見ているよ。ホントにそう思うよ、良いお姉さんだ・・・
そう言うところも・・・ボクは好きだ」
「えっ?何て言ったの?」「いや、何でもない・・・そうだ、ボクたち、もうじき
六年生になるだろ?そうしたら、ミンジが一年生で入ってくるんだぜ・・・
あのミンジが一年生だなんてさ、信じられる?」
「ホントね」ヨンスはそう答えながら、さっき確かに室長が "好き"って言った
ことを考えると、ヨンスの心は浮き立つ思いだった。
帰り道、少し寄り道をした二人は、ミンチョルが良く行く、高台の公園に
足を伸ばした。
見晴らしの良いベンチに腰掛けた二人は、少しぎこちなかったが、暫しの
無言の後、ヨンスが話を始めた。
「そう言えば室長、もうじき、お母さんが亡くなった日が来るね」
「覚えててくれたの?」
「勿論!去年、私もお墓参りに連れてってくれて、嬉しかったもん」
「じゃあ、今度の日曜日、また一緒に行こう」「うん!」
ボクは嬉しくなって、ヨンスの手をそっと握った。
振りほどかれるかな~って思ったけど、彼女はそのまま、じっとしている。
このまま、ずっとこのままの時間が続けば良いのに、そんな思いが二人を包み
二人は幸せな気分に浸っていた。
ミンチョルの母の命日がやって来た。
義母は朝から、法事の支度に忙しそうだった。法事は、身内だけで行われ
お昼には終わった。
「お義母さんは、今日は元気そうだな」
ミンチョルは少し安心して、義母を見つめる。義母が父の死後しばらくして
心の病にかかっているのは、ボクにも分かっていた。ソンジェはさぞかし心配だろう。
最近になってボクがこんな気持ちになれたのは、ヨンスのお陰だ。
彼女は誰のことも悪くは言わない。彼女を捨てた両親を、彼女は全く恨んではいない。
そして彼女の将来の夢は、ずっと絵が描けることと、仲の良い家庭を作りたいこと
だそうだ。
それならボクも、協力出来るだろう。
ヨンスは、ミンチョルと駅で待ち合わせていた。
さあ、これから出かけようと、養護施設の玄関を出ると、そこにはソンジェが
立っていた。
「ソンジェ・・・どうしたの?」
ソンジェは何も言わずに、じっとヨンスの顔を見つめる。
「ねえ、ソンジェ、どうしたの?何か私に用なの?でも私、今から出かける
ところなの」
「兄さんと?兄さんと出かけるつもり?」
「ええ、そうよ・・・」「ならいいよ、じゃあ」
がっくりと肩を落とし、帰っていくソンジェ。
あんなに元気のないソンジェを見るのは初めてだった。
そして、その後ろ姿を、ヨンスは黙って見送る気にはなれなかった。
ヨンスは腕時計を見たあと、決心をしたように、ソンジェの処へ走り寄った。
ボクは、ヨンスと駅で待ち合わせをしていたが、内緒で迎えに行って驚かせて
やろうと思い、ヨンスが住む養護施設の近くまで行くと、ソンジェが先に
玄関の前で立っていた。
ボクはその場で立ち止まり、とっさに、物陰に隠れた。
ソンジェは、ヨンスと少し話し、寂しげに帰って行ったのだが、
その後、ヨンスがソンジェの元へ走っていく姿を、ボクは見てしまう
ことになった。
ヨンスとソンジェは、学校の低学年用の運動場に行き、ブランコに腰掛けた。
隣のグランドから、カキ~ンとボールを打つ音、そして子供達のかけ声と
ざわめきが、風に乗って聞こえてくる。
何も言わないソンジェを見つめながらも、ヨンスはミンチョルのことを思う。
(ごめんね、室長)
「ねえ、一体どうしたの?ソンジェ」
「・・・・・」
ヨンスは、いつもと様子が違うソンジェが、段々と心配になっていた。
「ピアノ・・・・・」「え、、、ピアノ?」
「ウン、僕はピアノを思いっきり弾きたいし、歌も歌いたい、曲も作りたいんだ」
「それで?」
「ヤンミミ先生が言ったことを、僕は母さんに話してみたんだ。
そしたら、そしたら、母さんが、急に暴れ出して、家のピアノを壊して、今度は
僕に殴りかかってきたんだ。どうしてお父さんや私との約束が守れないの!って」
ヨンスはソンジェの話が信じられなかった。
「僕は、夢中で逃げだして来た・・・怖かった、母さんが・・・」
ソンジェは頭を抱えた。
ヨンスは、何をどう話せば良いか分からなかった。ただ、悲しかった。
ミンチョルとソンジェの母が、そんな状態になってしまったなんて、信じたく
なかったのだ。
「ねえ、ソンジェ、こんな時室長なら、どう言うって思う?」
分からないと言うように、首を振るソンジェ。
「上手く言えないけど・・・お母さんは、病気なんでしょ?だったら、側に付いてて
あげなくちゃ。私たちって、まだ若いし、まだまだいっぱい時間はあるよ。
音楽をやるのは、今じゃなくても良いじゃない」
その言葉に、ソンジェはヨンスを見た。
「今のは、室長なら言う言葉、今度は私が思うことだよ・・・
もし、私が、私のお母さんが病気で、私に絵を止めてって言ったら、私は止める。
だってお母さんの方が大事だもん・・・お母さんの病気が治ったら、音楽やったら
良いじゃない。私はそう思う」
「君は、兄さんが好きなの?」
「え、どうしてそんなこと・・・」
「君を見てれば分かるよ、兄さんも君のことが好きだからさ、僕も君が好き
だったけど、兄さんには勝てない」
「ソンジェ・・・」
「ごめん、ヨンス、約束してたんだろう?兄さんが待ってるよ、行って!!」
「ホントにもう大丈夫?」
「ああ、僕の大事な母さんだから、早く病気が治って欲しいって思うから、側に
付いててあげるよ。ありがとう・・・ヨンス」
ヨンスはソンジェに微笑みかけると、くるっと振り返って走り出した。
駅まで一気に走りつくと、ヨンスはミンチョルを探した。
しかし、いない、いない、何処にもいない。
「先に、お墓に行っちゃったのかな~」
ヨンスは、時間に遅れたことをどう説明しようかと考えながら、切符を買い
改札口に向かう。
階段を下り、ホームを見渡すと、一番奥の、端っこのベンチにポツンと座る
ミンチョルがいた。ヨンスの心がキュンとなる。
下を向いているので、サラサラの前髪が、瞳を覆っているように見える。
室長の目は、とってもキレイだとヨンスは思う。澄んでいる、そんな感じだ。
ヨンスは、ミンチョルの前に立ち、そのキレイな目を見せてと念じた。
ボクは、ボクの前に立つ靴が、ヨンスの靴だとすぐ分かった。
(しまった~、どうしよう、この涙・・・)
なかなか来ないヨンスを思い、元気な頃の母さんを思い出していたら、自然と
涙が溢れてきたんだ。
ヨンスは「室長?」と声を掛けた。
その声に顔を上げるボク。
「言っとくけど、これは泣いてるんじゃないからね」
そう言いながら、手のひらで涙を拭う。
「それに、30分も遅刻だよ、もし何で遅刻したのか訊かれたくなかったら
今のことには何も触れないように」
ヨンスは隣にそっと座ると、クスクスと笑い出した。
何だかボクも可笑しくなり、つられてクスクスと笑い出す。
そして、ボクたちは、お互いを見つめ合う。
「ごめんね、室長」「ありがとう、ヨンス」「え、何でありがとうなの?」
「ボクの側にいてくれてさ・・・あ、そう言えば、君って笑うと、ボクの母さんに
似てるって、もう言ったっけ?」
「ううん、初めて聞いたよ、じゃあ、私がお母さんになってあげる」
「いや、お母さんじゃ困るな~」「何で困るの?」
「あ、いや・・・あ、ヨンスッシー、電車が来たよ」
「ねえ、何で・・・」
ボクはこのとき、結構しつこいヨンスを知った。
「でも良いんだ、大好きだから・・・」
おしまい