2024年元旦、川崎市の妹宅を訪問する。
新たな年の幕開けは少し強めの北風が吹くものの晴れ渡り、日中の気温は13°C近くとなる気持ちの良い日和だった。

妹と会うのはおおよそ一年振りとなる。
また、五年以上顔を合わせてない姪の一家も妹宅を訪れているはずだった。
変化の乏しい日常を送る独り者にとって、気心知れた近親者との交流ほど安らぎを覚える機会は無い。
だが出発時間が迫るにつれ、そうした楽しい気分を押し留める不安と緊張感が湧き上がってきていた。
結局、出発時間になってもなかなか腰が上がらないまま、予定時間を大幅に過ぎた一時間遅れの到着となってしまった。

昨年の4月末のことだった。
妹とGWの予定を擦り合わせた後に悲報を告げられる。
妹の長女である姪の連れ合いが、尋常ならざる状態で亡くなったと云う。
まったく予期せぬ出来事だった。
当然、GWの予定はご破算。
なんとか状況を知ろうと何度かLINEをするうち、拒絶ともとれるメッセージを最期に音信不通の状態になってしまう。
僕の態度が詮索がましく映ったか?
いや、それほど大きな哀しみと混乱の只中に叩き落されたのだと思う。
おおよそ僕の人生を振り返っても、それは想像すらつかない最悪の悲劇に思えた。

─暗い雰囲気は封印だ···
少し気を引き締めてから訪いを入れる。
玄関を開けると、妹と共に初めて顔を合わせる姪の次男が迎えてくれた。
後で訊いた話だが五歳になると云う。
幼少期の長男の面影が重なった。
妹に促され少し恥ずかしげに挨拶する姿に、一瞬にして僕の緊張感が和らいだのは言うまでも無い。
2Fのリビングに上がると、一通り食事を済ませた義弟と姪の一家が思い思いに寛いでいた。
年頭の挨拶を済ませ、姪の子供達にお年玉を渡す。
どの子も僕の記憶はないようだったが、無邪気な笑顔で嬉しそうにポチ袋を貰う姿が無性に愛おしかった。

新年の祝い酒を義弟と酌み交わしながら、盗み見るように各々の様子を覗う。
妹、義弟、姪一家のいずれからも異質な感情は読み取れない。
新たな年を迎えた悦びに、少しばかり浮き立っているような雰囲気だった。
まるで八ヶ月前に起きたことが悪夢だったかのような、和やかな新年の情景だけがそこにはあった。
いや···
僕の記憶が悲報を告げられた日のままのせいかも知れない。
それは以前にも増して、互いを思いやる気持ちを強めた家族の営みに見えた。
─それでも、これでイイ···
少しばかりの感動を覚えながら、心の底からそう思った。

最初は遠巻きにしていた姪の子供達もすぐに懐き、小3の長女と次男の相手に追われることになる。
自分でも意外だが、どうやら子供の相手をするのが好きらしい。
特に、楽しんでる姿にある種の満足感がある。
─オレの思考が幼稚だからか?
あまり深堀りする必要もないことだが、そんな皮肉めいた思いが浮かんでいた。

子供らが遊びに飽きた頃を見計らって、喫煙場所になっているキッチン脇のテラスで一服する。
二度目の喫煙時だったろうか?
妹がやって来て一服しながらの立ち話になる。
かいつまんだ話ではあったが、すでにリビングで義弟から聞き出した"事の次第"は大幅に肉付けされた。
想像もしていない酷い話だった。
どうやら、コトの引き金を引いたのは姪の連れ合いの両親だったらしい。
まるでドラマか小説でしか出くわすことのない、姪の連れ合いとその両親との資産を巡る骨肉の争いの情景が浮かび上がった。
非情なことに対する憤りと、姪の連れ合いへの憐憫に胸が締めつけられる。
感情を抑えながら話していた妹も、次第に様々な光景が蘇るのだろう。
抑えていた悲憤が爆発しそうだった。
何とかしてやりたかった。
「頑張った··· 
 よくやった··· 」
気づくとそんな言葉を繰り返しながら衝動的に···
そう、まさに衝動的に妹の頭を撫でていた。
頭に手をやった瞬間、妹は一瞬強張ったようだったが、何も言わずされるがままにしながら、次第に落ち着きを取り戻すようだった。


気を取り直して部屋に戻り、再び子供らを相手に過ごす。
しばらくすると、腰掛けていた椅子の下からナニかが突き上げてくる不穏な感触を受けた。
間髪入れず大きな揺れに襲われる。
揺れが治まり点いていたTVに目をやると、地震速報のテロップが流れていた。
僕らの居住地は震度2程度。
「それにしても大きな揺れだった··· 」などと口々に話し胸を撫で下ろしたのも束の間。
震源地が石川の能登半島だと確認し、再び不安に襲われる。
近県の富山は妹の次女の嫁ぎ先だ。
一瞬、"3.11"の悲惨な光景がフラッシュバックする。
だが、妹がスマホで連絡すると直ぐに安全が確認出来た。
大きな揺れに驚いたようだが、家族一同、家屋共に被害は無いとのこと。
その報せにようやく安堵することが出来た。

そんなことがあったせいかも知れない。
どこか落ち着かないまま、姪の家族と一緒に妹宅を辞することになった。

僕の前では無かったが、時折感情を爆発させ、八つ当たりのような態度で周囲を困惑させていたという姪···
その姪が甲斐甲斐しく子供らの身支度を手伝っている。
そんな姿を見ながら、急に労いとも慰めともつかない感情が湧き起こってきた。
衝動的に姪と向き合い頭に手をやる。
「偉いぞ··· 」
そんな言葉を投げかけながら、出来るだけ優しく姪の頭を撫でた。
姪は幼少の頃のような眼差しを向けたまま、僕にされるままでいてくれた。
久方ぶりに心が通い合った気がした。

市営バスで最寄り駅に出て姪の一家を見送る。
別れ際に交わした姪の眼差しにも、悲哀の翳りは窺えなかった。
反対ホームに向かいながら、義弟のことを思った。
─大したヤツだ···
両親の喪も明けぬ中、全く血縁関係の無い家族を矢面に立って支えたのは間違いなく彼なのだ。
義弟に対する敬愛の念が湧き上がった。
─オヤジ、いいヤツに巡り会ったよ···
妹の幸運を亡父に伝えた。

余りにも多くの場面に遭遇したような一日だった。
胸の内で様々な感情のさざめきが止まない。
だが、大勢を占めるのは温かく穏やかなソレだった。
とりわけ"家族"、"人"の強さを見た気になっていた。
自分がずっと信じ続けてきたモノを目の当たりにした感動に浸っていた。
右の掌には妹と姪の頭を撫でた感触が残っていた。
─どれくらいの力になったろう?
ほとんど期待は持てないようだった。
それでも、
─気持ちは伝わったろう···
そう思った時、そうさせてくれた二人に感謝の念が湧き上がってきた。
─そうなんだ···
妻子と離別した独り者であろうと、兄や叔父としての立場まで失くしたわけじゃない。
─しっかりしなければ!
どうやら力を貰ったのは僕の方だったらしい。