統一教会には、「神の戦法は打たれて奪ってくる」という言葉がある。それは文先生の御言であるけれども、しかし、それは打たれる者が神の側に立った場合であって、神の側に立っていない者は打たれるだけではないでしょうか?
旧統一教会に解散命令が成されようとしていますが、もし出されてしてもそれを通して打たれて奪ってこれるか疑問です。。。
かつて、友人が神の御旨を解き明かすために、ただ人を訪ねただけで、その意図や理由を聞かずに問答無用で除名処分にした人が、テレビで「人権」を口にしているのです。信者の人権を無視した方が「人権」を語る?皮肉なものです。
統一教会は蕩減復帰のために建てられた宗教であるために、この世から打たれなければなりません。しかも命がけの道を通過しなければならない。文先生はこの世の地獄、世界の地獄を通過してからでないと道を開けませんでした。
この世界の地獄とはどこでしょうか?それが北朝鮮の牢屋だと言うのです。日本の牢屋ではありません。また韓国の牢屋でもありません。北朝鮮の牢屋です。宗教指導者の中でも北朝鮮の牢屋に入る覚悟のある人がどれだけいるでしょうか?
世界にたった一人、「文鮮明」しかいないのではないでしょうか?
神のためなら、喜んで行かれる方が文先生だというのです。これだけでもかなう方はいないのではないでしょうか?さらにその北朝鮮の牢屋で死んではいけないのです。なぜなら、神の御旨を成し遂げなければならないからです。
北朝鮮の牢屋から生きて帰るこれまた、難しい命題です。
文先生には、「神と先生しか分からないことがあるんだよ!」という言葉を残しておられます。そう、神の事情、文先生の抱えておられた事情、この事情は統一教会のい食口も知りません。お母さまと呼ばれる夫人も知りません。
その文先生の事情を解き明かしたのが、成約時代の原理、「成約原理」です。多くの食口が新しい時代に出発できるかどうか?解散請求を乗り越えるには、文先生の事情を越えなくてはなりません。