「フィリピンの五種類邦人」……その三(山本紀久雄氏) | 清話会

清話会

昭和13年創立!政治、経済、社会、経営、トレンド・・・
あらゆるジャンルの質の高い情報を提供いたします。

街角ウオッチング184号
「フィリピンの五種類邦人」……その三

山本紀久雄氏(経営コンサルタント、経営ゼミナール代表)


※「街角ウォッチング」過去の記事はこちら

前号に続くⅣ.日本脱出邦人についてお伝えしたい。

前号で紹介した小松崎憲子さんの『マニラ極楽暮らし』は、発売後三刷りまで版を重ね、総発行部数は11,000部となった。

『マニラ極楽暮らし』の中で面白いのは、「山下財宝」の話題である。
山下財宝とは、第二次世界大戦の末期、フィリピン第一四方面軍司令官、山下奉文大将が、東アジアで集めた約13兆円もの財宝を山中に隠したといわれているもの。

ルソン島で暮らす、小松崎さんの異母妹テレシタにピリタといういとこがいて、ピリタの父は郵便局長であったが、ピリタがある夜、変な物音に気づき、外に出てみると、一人の男が彼女の軒先近くまで穴を掘り進めていた。近所の顔見知りの人で、山下財宝探しに取りつかれた人であった。

ピリタの父の郵便局長が語るには「確かにいろいろな貴重品を埋めたが、金塊は埋めた記憶がない」と語っていたが、幕末、勘定奉行だった小栗上野介が、徳川幕府小判を密かに群馬の山中に埋めたと言われる話もあるように、いつの時代もこのような埋蔵金に関わる話題が出てくる。

さて、Ⅳ.日本脱出邦人に戻るが、このタイトルは水谷竹秀著の『脱出老人』から引用したもので、同書の表紙を紹介するが、裏表紙には赤字で二人の出会いも書かれている。

  
同書の中で、小林靖弘さんがフィリピンに移住した経緯が書かれている。

「『パパは完璧よ。優しいから』
47歳のフィリピン人妻、エレンさんが日本語でそう言うと、隣に座る71歳の夫、小林靖弘さんが照れ笑いを浮かべた。続けてタガログ語でエレンさんは語った。
『たとえお金がなくても幸せよ。お金がすべてじゃない。お互いの気持が大事なの。そうでしよう?』
1990年代半ばに知り合ってからすでに20年近くが経ち、マニラで一つ屋根の下で暮らしているこの夫婦の関係は恐らく、本物だろう。私の前で、エレンさんが小林さんに寄り添う姿が、二人の睦まじさを物語っている。
二人が出会った場所は新宿歌舞伎町にあるフィリピンクラブ。
エレンさんは当時、30歳を超えていた。一方の小林さんは警視庁捜査三課に所属し、都内の警察署に配属されていた時の同僚と、初めて訪れたフィリピンクラブだった。
『面白い女だなあと思いましたね』
当時を振り返って小林さんは笑った。特に印象に残っているのは、店に行く途中の歌舞伎町で見かけた、エレンさんの姿だった。彼女はいつも派手な格好で「こばやしさーん」と手を振っていた。
『周りの人たちがエレンの開けっ広げな姿にビックリしているんです。こいつと一緒にいたらあきない。いつも笑っているっていうか。日本語もできるし、嫌な顔も見せない。おまけに仕草も面白い』
それまでフィリピンクラブに行ったことがなく、元々日本のキャバクラにも興味がない小林さんだったが、エレンさんを気に入ってから月に5から6回は通い、何度か同伴出勤を重ね、そして数年後には結婚した。
小林さんにとってこれが三度目の結婚である。一人目の日本人女性は40歳の時に離婚し、二人目の日本人女性は病死。エレンさんとの結婚はいわば、三度目の正直だった。
この出会いがなければ小林さんはフィリピンで老後を送ろうなんて思ってもみなかっただろう。高校卒業から40年間務めた警視庁を58歳の時に退職し、フィリピンへ移住してはや15年。年金を受け取りながら、日本人の仲間たちとゴルフに明け暮れる日々を送っている」。

日経新聞(2015年10月4日)に『脱出老人』の書評が掲載された。

「暖かい気候、安い物価、厚い人情を求めて日本からフィリピンに移住する高齢者たちの姿が、長年両国を行き来するジャーナリストの目を通して生き生きと描かれる。

すべてが“バラ色”の生活とはいえない。言葉の不自由さ、人付き合いの習慣の違い、金銭にまつわるトラブルも絶えない。だが、著者は彼らの人生の選択を、最後のところで肯定する。『日本でそのまま暮らしたら寂しい老後を送っていた可能性の高い高齢者たちが、フィリピンに来たから幸せになった』

なぜ日本を捨ててフィリピンに向かったのか。著者は、今の日本で高齢者が置かれている深刻な状況に切り込んでいく。健康、経済、家族関係。様々な要素の根底にあるのは、高齢者が感じている途方もない『寂しさ』だという。
 
生涯未婚や配偶者と離婚・死別した老後に不安と孤独を覚え、数十歳も年下のフィリピン人女性との結婚に活路を見いだそうとする男性たち。認知症が進んだ母親を日本では十分に世話できないと感じ、フィリピンでメイドの助けを借りながら介護する夫婦。日本が全て悪く、フィリピンが良いわけではない。だが、『家族や隣人が一人暮らしの老人の面倒を見る』習慣が残るというフィリピンとの対比が、日本の抱える問題を鮮やかに照らし出すのは確かだ」。

『脱出老人』著者の水谷竹秀氏もエピローグで次のように述べている。

「私がフィリピンに11年住み、その間にたくさんの日本人に出会った経験から、私にしか書けない海外移住の形を追求してきたつもりだ。
幸せに暮らす人もいる。そうではなく孤立死した人もいる。そのいずれかが欠けても海外移住生活の現実を方っことにはならない。
もちろん、私はフィリピンの事情しか知らないから、その他のアジア、あるいはオーストラリアなどに行けば、幸せに暮らしている日本人ばかりがいるのかもしれない(そんなことはないと予想できるが……)
ただし、フィリピンでの取材を通じてこうは言える。
日本でそのまま暮らしたら寂しい老後を送っていた可能性の高い高齢者たちが、フィリピンに来たから幸せになった、という事実だ。
その条件を満たすためには、何が必要だろうか。
もし移住を考えているのであれば、移住先の外国、あるいは国内ならその地方に対する敬意を忘れてはならないと思う。
つまりは『住ませて頂いている』という心構えだ。
この気持ちが移住先でもうまくやっていけるかどうかの分岐点になるような気がする。さすれば幸せな老後が待っているかもしれない」。

このエピローグで水谷氏が述べている結論、
「日本でそのまま暮らしたら寂しい老後を送っていた可能性の高い高齢者たちが、フィリピンに来たから幸せになった、という事実だ」
という言葉。この内容を知ってフィリピン政府退職庁長官が、我々に語ったのであろうか。

しかし、事実はこの小林靖弘さんのようなハッピーな事例ばかりでない。

データが示す事実は、フィリピンには世界一困窮邦人が在留していることを示す。日本外務省の海外邦人援護統計(2010年)によると、世界全体で困窮邦人(ホームレス)は768人いるが、このうちフィリピンが332人、全体の43%占めている。
 
2位はタイの92人、3位は米国62人、4位は中国55人、5位は韓国25人であるから、フィリピンでの困窮邦人が飛びぬけて多いのが実態である。
何故にフィリピンに多いのだろうか。

(続く)


山本紀久雄--------------------------------------------------
1940年生まれ。中央大学卒。日仏合弁企業社長、資生堂事業部長を歴任。現在、㈲山本代表取締役として経営コンサルタント活動のほか、山岡鉄舟研究家として山岡鉄舟研究会を主宰。著書に『フランスを救った日本の牡蠣 』『笑う温泉、泣く温泉 』等がある。

(山岡鉄舟研究会)    http://www.tessyuu.jp/
------------------------------------------------------------