お久しぶりです。

前回更新からかなりの時間が空いてしまったことを、ここでお詫び申し上げます。


さて、2022年もそろそろ後半期に差し迫る所であり、自分の次の世代の帰国生ロットが入試市場に投入される頃ではと存じます。

本記事では、その大群の皆さま、あるいはその先の皆さまに宛てて執筆させて頂きました。

このささやかな読物が皆さまの何らかのお力添えとなれば幸いです。



大学生になった今
東京大と一橋大の二校に落ち、現在慶應義塾経済学部の塾生である楓です。ただならぬ不のオーラを纏っている開始文ですが、実際のところ大学生活は順風満帆、むしろこれ以上のものは望めないと思っているくらいです。


サークルや部活、アルバイトやインターン、教授との雑談や起業の構想など、とても濃い新生活を送ることが出来ました。

この短い期間で気づけたことがあり、この場を持って共有させて頂きます。

受験生活の持つ絶大な意義
「自分は何のためにその行動をするのか?」という疑問は、案外持たないものです。暇だからyoutubeを見る時、当然ですがそのような思考は遮断します。なぜならその行為自体にに大した意味はないため、溢れる出る罪悪感を抑える必要があるからです。それと同様に、何かをするときにその目的意識をハッキリとさせない場合が我々は多くあります。

大学受験も同様です。ただ漠然と、「良い大学に行きたいから」や「良い仕事に就きたいから」などの目的では、長い長い受験生活に耐え抜くだけの精神を築き上げることはできません。

我々受験生は、日々絶えず自分の行動の全てに目的に向かう意味を持たせ、何度も受験生活の意義を自問自答するのです。たとえば政治/経済漬けの半年間を通して、何らかの社会問題に対する問題意識を持ち、その解決策の研究手段として大学に入学するなどの意識を育むことができる長期的な視野、今現在取り組んでいる学習内容が果たして自分の成長に適切かなどの短期的なものまで。実際受験生活を経て「イノベーション」オタクになった私は、大学のあまりある全ての資源を使いきる勢いで自分の知的好奇心を満たし、「学び」を得ております。

受験とはゴールではありません。大学で何をするのか。その先の未来で自分は何をしうるのか。あらゆる思考を張り巡らせ、考え抜くのが、私なりの大学観です。そのサークル/部活は一体何のために、この授業で学ぶことは何に繋がり、家でダラダラyoutubeを見るのはこういう理由があり、などの答えを持つことによって、我々は自分なりの軸を探すのです。当然、全ての言動にそのような機械的性質を求めていては、冷徹で合理的で冷たい人間を連想させます。ですからある程度のゆとりを持ちつつ、ここぞ!という時に目的意識を明確化させることに意味があります。

 

「勉強」ではなく、「学んで」ほしいこと

帰国子女入試はいわゆる一般受験とは全く性質が異なります。基本的には小論文・英語・現代文などの組み合わせで、東大・一橋・慶應・早稲田受験などの王道コースでは小論文の重要性は飛躍します。小論文と一見聞いて、単なる社会時事に関連する議題を繰り広げるものとご想像される方々が多いのではないかと思います。

 

しかし、実際はそんなに表面的な情報を塗りたくるような作業ではありません。小論文とは、絶えず新しい価値観・観点に触れて、それに挑戦し続け、あらゆる事柄における自分の世界観を全く違う方向に塗り替える巨大なプロセスなのです。一般受験で設定されている意図とは全く異なることが分かります。

 

これは本来、大学に入学して生徒が主体性をもって取り組むべきものです。しかし、大学側は受験性の皆さんにこのプロセスを受験科目として設置しています。一体どうして?このことの意味することを、本当に良く考えてみてください。答えは直ぐには出ません。


終わりに
9月に私立受験が終了し、国立受験まで続けるかどうか悩んだあの時の決断を、私は全く公開しておりません。受験は結果的に失敗に終わりましたが、得られたものは多くあります。今回の「目的意識の明確化」や「勉強ではなく、学び」などは、その内の一つに過ぎません。

 

ここで、私の長い長い受験生活の大きな節目を迎えます。次はみなさんの番です。

みなさんが帰国性入試を通して一体なにを得るのか、楽しみで仕方がありません。

陰ながら応援しております。

 

 

もしよろしければ、気軽にご連絡ください。

(emailアドレス:seiturtles@gmail.com)