自身のうちに可能性をやどす悪を実践する、それは悪の認識を自身から奪うことだ。悪を実践しても悪は認識できない。悪は光を避けるからだ。
「重力と恩寵」(シモーヌヴェイユ)より
今体感的に感じるのは
単純にお金、物の奪い合い
からいよいよ本丸
「人間のそのものを」
奪い取ろうとする試み
長い歴史〜支配者と人間の
あくなき闘争であり
神になれない人間が
その矛盾を乗り越えようとする
「事業と言えるようなもの」
の肥大化、拡大化
大きな建造物を建てるのでも
橋や公園を作るのでも
1個人の幸福とは相反する
ましてやインターネットからの
流れで一生かかっても
出会えないような人たちとまで
繋がれてしまっては
もはや逃げ場はない
しかしながら
人間の意識はまだ
戻すことができる
そもそも意識の領域など
ほんのわずかで。人は
残り9割以上が無意識で
成り立っているのだから
たくさんの物、夢や目的
や便利さや安全を
「悪魔に並べ立てられて」
ついつい内を留守にして
外にばかり
駆り出されてしまった
ステイホーム
おうちに帰ろう
と言うのはある意味正しい
家と言うのは自分の故郷であり
人類の故郷であり
内なる宇宙である
そこに人の最後の希望がある
圧倒的な破壊が行われた後
だからこそ
目を向ける人も多いと思う
つながりつながりと言うけれど
まずは自己対話から始めるしかない
「結果として」それを他者と
つながっていく奇跡であれば
なお良いのだが