今宵はどのように過ごされていましたか?

再びお会い出来た事、嬉しゅうございます。

『道化師』にございます。




前回で、赤ちゃんができました。
その後を見ていきましょう。


では。後ほど。



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赤ちゃんが出来た。

分かったと同時に、彼と大喧嘩になった。

私は子供を作る気は無かった。何故なら、分からないから。子供が出来ても育てる自信が無い。でも、お母さんから、散々孫催促してきた時、計画はしたが、やはり怖さが勝ち、避妊していた。しかし、彼は私が良いお母さんになる、と言い、出来てしまった。堕す気はなかった。せっかくできた命。堕ろせない。なので、喧嘩というより、一方的に私が不安をぶちまけたのだ。彼は黙って聞いてくれていた。そして、謝ってくれた。


でも出来たからには、精一杯育てねば。病院へ行くと、出産までに10㌔痩せてください。との無茶なことを言ってくる病院で、ご飯を一切食べることが出来ず、臨月の辺りには、自律神経失調症にもなり、転院する事に。変わった病院では、ご飯を食べない様に言った病院に怒ってくれ、無事、出産することが出来た。本当にスムーズで、計画出産だったのだが、子宮口が開かなかった夕方。明日にしようか。との流れになった時、同じ痛みは無理!と言うと、不思議と子宮口が開き、急いで分娩台に乗った後、先生から「後10時間弱位、頑張ろうね」と言われた直後も、「無理!この痛みが続き続けるのは無理!」と、半泣きだったら、15分で出てきた娘。ある意味、生まれた時から親孝行だったのだ。



その後母子別室だった為、私は授乳の時に赤ちゃんに会いに行っていた時、彼から、とあるメールが来たと伝えられた。そこには。


「赤ちゃんを、お母さんに会わせないつもりなの?」


と、妹からのもの。そう。私は里帰り出産をしなかった。する気もなかったのに、向こうは里帰り出産をするものと思い込んでおり、いたくご立腹だったのだ。そして、赤ちゃんが生まれた事だけを、彼経由で伝えてもらったら、あのメール。正直会わせたくはなかった。しかし、そうもいかないとの事で、病院名を伝え、彼が最寄りの駅に迎えに行き、お母さんは、赤ちゃんに会うこととなった。余程赤ちゃんができたのが嬉しかったのか、写真を撮りまくりずっと授乳時間まで抱っこをしていた。その間、私をいたわる言葉は一切なく。ただただ赤ちゃんの存在を慈しんでいた。



私はその構図を見ながら、過去の2つの記憶を遡っていた。


1つめは、結婚式。急に決まったこともあり、資金は前借りする形でこじんまりと行ったのだが、友人を呼ぶことが許されなかった。私のも彼のも。何故ならば、10人兄弟の末っ子の母だが、すぐ上に兄がいる。ずっと東京に住んでおり、本家の実家の行事には一切来たことがない。それもあり、親類の結婚式に出席したことがなかった。その兄を呼びたい為に、私達関連の人が居ると来づらいから、という理由、ただその為だけに、友人を呼ぶことを禁じられた。妹もお母さんに同意見だった。意味がわからなかった。なので、参列者は、彼は絶縁していることもありゼロ。私側は、お母さんと、妹と、アイツと、そのお兄さん。その4人だけの式となった。

その上、花嫁付きの写真家さんに注意される程、お母さんが写真家さんを連れ回して、写真を撮りまくっていた。理由は、自分の結婚式の時に、まともな写真が撮れなかったから。注意され、私の写真も撮って貰えたが、お母さんと同じくらいの枚数しか撮る時間が無く、幾度となく注意された中、お母さんに伝えても、「理由を知ってるくせに、親不孝者!」と、罵られ。なんの式か分からなくなった記憶。


2つめは、アイツとお母さんの喧嘩の仲裁に、いつも通り入っていき、ひと段落着いた後、怒りが収まらなかったらしいアイツに、後ろ首掴まれて押し倒され、馬乗りになられ、首を締められて死にかけた記憶。お母さんは「やめて!」と叫んでいたが、アイツに触れて引き剥がすこと無く、ただ叫んでいたのを霞む光景の中見ていた。私の方は、アイツが突然手を弛めたので、助かった。





赤ちゃんが欲しいだけだったんだなぁ。

そんな誰に聞かれることも無い独り言が、静かに零れた。



そんな入院生活を終え、新しい家族と共に帰宅した1週間後、私は高熱を出し倒れてしまう。


インフルが流行り始める時期には少し早かったが、一応39度熱がある。という理由で、個室に1週間入院した。その間、赤ちゃんを見てくれる人がいないということで、お母さんを呼び、彼と共に赤ちゃんを見てもらう事になるのだが、彼は私の事も心配だ、と言って、見舞いに来てくれていた。私が体調を崩した時に食べたがる、お稲荷さんを作って。

お母さんは、この事がかなり気に入らなかったらしい。退院後も2-3日居たのだが、この件に関する愚痴や、自分の出産時と比べての愚痴。最後には、産後に体調を崩すのは、親としての立場がわかってないからだ。と宣言して、あれこれと、赤ちゃんの育て方を、べき論で話してきた。




話の内容はあまり頭に入ってこず、ただ休みたかった。




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今日は3つの記憶のお話でした。

それぞれトラウマになっている話。

少女に、これからどんな影響を及ぼすのか。


それは、その時にまた。





それでは今回はこれにて、失礼致します。