こんにちは、世界は日々破滅へ突き進んでおり、改憲後は日本も一層悲惨な現実を突きつけられるでしょう。破滅は本当にすぐそこまで迫っています。皆さんご存知の通り偽旗による世論形成も更に本格化しておりますし気を引き締めましょう。

 

しかしいつまでも、現実を否定し続け妄想の中で生きている人が非常に多いのも事実です。二価ワクチンだのカジノだの北朝鮮のミサイル乱射(偽旗)だの日本政府の暴走は相変わらずでこれからも日本の侵略、日本人の抹殺に全力です。政府の暴走が今後も激化するという見え透いた事実を認めない人たちの思考も相変わらず改まることもなく「陰謀論だ、有り得ない、根拠がない」と呪文を唱え現実を直視せず基本的に願望に基づいた憶測に固執し続けていますが、今後も人工地震、ワクチン接種、飢餓、電磁波照射(5G、6G)、ジオエンジニアリング、戦争等の悪魔崇拝者どもの催事はたっぷり目白押しです。どうすれば現状を楽観視できるのか不思議です。政府やこの世の何者かに希望を抱く人間は失望させられ絶望する羽目になるのは確実です。

政府に服従することが死に繋がるということは明確ですが、未だに頑迷な催眠状態の人たちは重大な実害が及んでも権威に対して盲目的であり続ける可能性が高く、今後政府が仕掛けてくる偽旗作戦に対しても疑念を抱くことはないかもしれません。全体主義の確立を陰謀論と嘲笑する輩どもこそ、その構成員として躍動することでしょう。

政府や世の権威に盲従する人に聞いて欲しいのですがなんで彼らに期待できるんですか、現実を見て下さい。ワクチン接種して大量の死人が出ていることも陰謀論で片が付くとでも思いますか、あり得ませんよ。「リスクは付き物だよ」「リスクを上回るメリットがある、エビデンスがあるよ」こんな事を言いふらす狂人恐ろしいと思いませんか。奴らは生物兵器(ワクチン)を今後もバリバリ製造し、あの手この手を使って無理くり接種さして今以上の大量死が起きても「ワクチンは素晴らしい」「未接種者は犯罪者」とか言い続けるであろう鬼畜です。それに迎合して陰性証明とか接種証明とか言い散らかす企業も同類で全体主義の構成員ただの鬼畜です。どこの店も感染症予防とか言い続けてますが感染症自体が存在しませんし、頭の中の病気ですよ。狂った自意識を変えなければこれからも政府や世の権威に全力で仕えて当たり前のように自滅することになります。あと日本が戦争に突き進む事は無いとか考えるのもやめた方がいいです。改憲されれば日本人の人権は終了します。重ねて言いますが政府は国民を意図的に殺害します。今までもそうでしたしこれからは更に激化します。いつまでも事実に反する自分の願望に執着して、結果裏切られて怒り狂ってあらぬ方向にその矛先を向けるのも分かりきってます。

私のような者の言葉で良ければ聞いてください。真剣に考えて下さい。後になって「こんなの誰も求めてねぇよ、変えようぜ」とか言ったところで投獄されて終わる世の中になります。求めてなくても奴等は絶対やります、逆に求めることは絶対やりません。脅しのように聞こえるので聞き入れないかも知れませんがこのままじゃ本当に死滅します。

 

 

今ある見せかけの平和や平穏の中で何も考えず安住していても希望は皆無です。日本人が絶望的苦境に立たされているという現実は幾ら否定しても変わりません。いつまでも狂った幻想に執着するのは本当に悲惨です。今の日本は、間抜けの見本市とも言うべき状態で本来あるべき姿とはかけ離れているということは否定のしようがありません。本当に重点を置くべきは自分の非を認め改善に努めること、そして馬鹿げた幻想を捨て甘言に騙されない意志を持つことです。人間性を取り戻すのは今です。

そして真の希望である主イエス・キリストによる救い裁きを信じ服従すること、この希望を受け入れられないのであれば全てが無意味です。信じてさえいれば救われる、行いは関係ない等の言い分は事実無根の嘘です。そういった類の言い草を広める人はただの嘘つきです。ですから聞こえの良い甘言には注意して右にも左にも逸れないようにしましょう。幻想に希望を抱いてもどうしようもありません。自我を捨て悔い改め、天の父の御心を行うことが唯一の希望でそれ以外の正しい選択肢というのはありません。この世が永続するとか簡単に救われるとかいう破滅的な思考は捨ててください。

 

わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておくすべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。

【新約 マタイ 五章十七節から十八節】

 

律法が廃止されたのではなく完成されたということは、普段から聖書を読み込んで信仰を実践する必要があるという事です。律法が廃止されたとするなら主御自身の従順の意義が失われてしまいます。ですので律法廃止論は絶対にあり得ません。信じて終わりとかそんな考えは通用しません。口で言うだけで終わってしまうのでは信仰ではありません。神の律法、掟、戒めを遵守し自分自身を聖別することが信仰です。各人が真剣に神と向き合いへりくだり聖化することが重要です。でなければ何を基準に義とされるのか不明ですし律法廃止論は指針になりません。救いも裁きもそんな軽々しく考えるのでは悔い改めもできません。

希望とは救いだけではなく厳正な裁きも重要で両方を正しく理解しなければ希望を見出すことはできません。救いばかりを主張し神の厳正さを軽視するのは間違っていますし、寧ろ裁きの重要性を理解することから信仰は始まるのではないかと

考えます。声高に救済だけを叫んでも危機感は芽生えませんし逆に無用で有害な安心感を芽生えさせ救いではなく滅びに向かってしまうと思います。簡単に救われて何もしなくていいのであれば、宣伝しまくって救済は完了ということになりますし聖書が示す内容の真逆で意味不明です。裁きが厳格でなければ完全な正義の到来が幻想となってしまい悪を完全に排除することができなくなります。よって簡単に救われるというのは大嘘ということになります。悔い改めが不完全なら永遠の破滅、完全なら永遠の安息、そして完全な者になることは簡単ではないという事です。

 

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広くその道も広々としてそこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

【新約 マタイ 七章十三節から十四節】

 

「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。

【新約 マタイ 七章二十一節】

 

信仰は体現することに大きな意味があり曖昧な態度では神への忠誠を認められません。神の目に自分がどう映るかを重視し、人の目にどう映るかは考える必要が無いのです。主御自身が示した模範に倣い日々従順を学び、悪い心を改めていただけるよう行動によって願い求めましょう。

 

イエスは御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

【新約 ヨハネ 八章三十一節から三十二節】

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。