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聖書の学び|毎日ちょっとずつ編

聖書の言葉に、毎日少しずつ触れたい人向けの(ほぼ日刊)ブログです。解説というよりは、思ったことを書いてます。スマホなどで気軽にどうぞ。

■今日の言葉

「真実なこと、良いこと、正しい
 ことに注目しなさい。きよいこ
 と、愛すべきことについて思い
 めぐらし、他人の長所に目をと
 めなさい。神様を喜び、賛美す
 ることばかりを考えなさい。」
        (フィリピ4:8)


■自分への問いかけ

きれいごと思考に陥っていないか
「自分なりに」を忘れていないか


日記が3日ボウズで終わるように

思いつきの決心なんて
すぐに終わると思います^^;

だから聖書の「分厚さ」に
助けられることもしばしばです。

同じ事が繰り返し語られているの
で、忘れた頃にまた思い出させら
れて

賞味期限は・・・
1日ぐらいでしょうか・・・

そうやって毎日毎日
積み重ねながら

少しずつ染みついていくものの
ような気がします。

聖書は基本「他力信仰」であり
「恵み」が前提にありますが

同時に

自分の足で立って歩け
とも言っています。

要は
成長を促しているのです。

神の恵みを理解し受け入れたなら
十分な力が与えられているからで
す。

そのことで、神は放置されるので
はなく、マラソンランナーに併走
して声をかけるコーチのように

いつもそばにいてくれる、という
イメージです。

・きれいごと思考に陥っていないか


前置きが長くなったので、今日の
言葉をもう一度。

「真実なこと、良いこと、正しい
 ことに注目しなさい。きよいこ
 と、愛すべきことについて思い
 めぐらし、他人の長所に目をと
 めなさい。神様を喜び、賛美す
 ることばかりを考えなさい。」
        (フィリピ4:8)

これ、読む人によっては超がつく
「きれいごと」に聞こえるはずで
す。

人間そんな高尚に生きられないよ。

ホントにそんな人がいたら
非人間的でどこかにウソがあるに
決まっている。

こんな印象を受けるでしょう。

この感想は、半分正解で
半分間違っていると思います。

半分正解というのは

実際、多くのクリスチャンが勘違
いをして

信仰をもつと、いい人「ぶる」か
らです。

クリスチャンに限らず、他宗教で
もそうかもしれません。

それを見かけたことのある人は
そういう思いを抱くと思います。

「なんでも形から入るのが大事」
ということで、とりあえず聖人君
子ぶる人もいます。

つまり、その人の本性は
そのようなレベルにないのに

善意にしろ、虚栄心にしろ、勘違
いにしろ、いい人ぶってしまう人
がとても多いのです。

だから鼻につくし
そういうウソを人は見抜くので
嫌悪されることも多いのでしょう。

↑これは聖書にある「クリスチャ
 ンは世に憎まれる」というのと
 は違います。

どちらかといえば
悪気はない偽善というか

無理に合わない服を着ている人の
ようです。

急にお金持ちになった人が
フェラーリなんか乗り回すと
ちょっと似合わなくて、プッと
笑えてしまうのと同じ感じです。

「お前、何いい人ぶってるの?」
「何かしこまってるの?」

みたいな目で見られるのです。

偽善は、おそらく見るからに悪
よりも、もっと忌み嫌われると
思います。

・「自分なりに」を忘れていないか


そしてやっぱり「がんばる」と
どこかでひずみが出ます。

クリスチャンの中にも、人前で
は立派にふるまい、人格者と思
われ、尊敬を受けながら

家では妻に暴言を吐き、暴力を
ふるっている人も多くいます。

そんな悲しい結末にならないた
めにも

今日のような言葉を勘違いしな
いようにしたいのです。

人をさばく道具として使わない
こと。
「自分なりに」を忘れないこと。

自分らしさを失った瞬間、それ
は飛躍しすぎであり、無理があ


タチの悪いことには、それで評
価を受けてしまうと、味を占め
てしまいます。

「これでいいんだ」となり、外
側だけを着飾るクリスチャンに
なってしまいます。

あくまで

「恵みによってそれはなる」
という聖書のキモを心に命じて

一日一日を大事にしていけば
いいってことですね。