河原先生が、私の札幌市長あての手紙を、北海道の友人に送ってくださいました。その返事が斜里町にお住いの友人から来ています。以下紹介します。
拝見しました。「凄い校長だったんですねそして今も。
北海道では組合に所属している教員はまず選考されないから一旦組合を抜ける。 また戻って来たら管理職への道が待っている、と言われています。
そんな中でこうした行動をする勇気と行動力に敬意を表します。」
ありがとうございました。お礼を含めて私の生きざまを紹介させていただきます。
北海道の大部分の地区ではそのようなルートが確立されているようです。でも胆振地区(洞爺湖・支笏湖国立公園地区) では(室蘭市を除外)必ずしも、そのルートがすべてとはなっていませんでした。
当時の胆振教育局長と、北教組胆振支部とは、主任制をめぐる闘争の中でも、組合が提起する「民主的学校構想指針構想」で、校長敵論はとらないことで一致していました。
私が北教組胆振支部長であった時です。
私が管理職になるときには、胆振教育局関係市町村の半数の教育長と、前教育局長が応援してくれたものです。
ドバイ日本人学校が、最初の校長職でした。素敵な先生方と、(河原先生を含めて)文字通りの「日本人会コミュニティスクール」を創ることができました。
退職後JICAのシニアボランティアで10年間南米の日本人学校に行っていました。
70歳でこの街に偶然たどり着きました。ここで「袖ヶ浦市民が望む政策研究会」に誘われ事務局を90歳まで努めました。「石炭火力発電所建設計画」を断念させたことが、最大の成果でした。
今は、静かに暮らしていますが、ブログは続けています。札幌市長への抗議は、アイヌ問題であったからです。河原先生とはドバイでご一緒させてもらいました。ずいぶん学ばせていただきました。今も続いています。
そうだ! 山口庄一郎さんはご存じですか。私と同じ年齢で過日亡くなられました
組合をしていた時、先輩としてすごくお世話になりました。根室を車で案内してもらいました。 合掌
あと1~2年は生きる予定です。お互い元気で人生楽しみましょう!