煙草って、吸ってる人は吸いたくてそうしているけど

今時は身体に悪いとされていたり、副流煙を嫌う人は多いし、吸い殻が落ちていたりすると一等汚さを感じたりします。




前回のブログでの出来事の報告、というわけではないのですが、その後の話を少し。


あの後、友人は怒ることはせず、淡々と私を諭すように相談に乗ってくれました。

こういう時に怒られないというのは、むしろ怒られるより精神的にくるものがあります。

実際、酷く反省したし落ち込んだし後悔しました。


今では滞っていたものは全て片付けて、形としては一応完了した状態。負債が無いというのは実に良いことだなと、つくづく思います。




良くないのは気分だけ。

一応全て終わったというのに、今も何か忘れていて不義理なことをしているんじゃないか。そんな気持ちと思考が、あの日以来ずっと付き纏っています。


もう終わったなら切り替えて、反省を忘れずにあとはいつも通りに戻っても良い!

と、思っている派なんですけど。

一度犯した犯罪歴が消えないのと一緒で、現在も切り替えきれずに重い気持ちを抱えています。



楽しいことをしていても「自分には楽しむ権利はないんじゃないか?」


それを思い出すと、何をするにもすうっと笑顔が引く思いがして。なんだか顔を上げられない。



負債を消化するのに、睡眠を削りました。

以前通っていた病院で処方された薬を徹夜する為にわざと、正しくない使い方をしたり。(薬の詳細は書くと問題にならないかと恐ろしいので、これ以上のことは書かないでおきます。)


その時に「癖」がついてしまったのか、気持ちの問題か、どちらもか、あの日以降「夜に寝る」ことに抵抗ができています。


元々、生活リズムはすぐズレるし、夕方から夜にかけてアルバイトしているので夜遅いのは今更なんだけど。夜眠るのがなんとなく前より怖い。今も不義理を働いているのではないか?寝てる場合なのか?寝てていいの?本当に?


気づくと夜中というには早すぎる時間になっている日々が続いています。



この事を書いたのは決して同情してほしい訳ではなくて、何故なら私は「悪い事」をしてそれを返上する為にわざと睡眠時間を削ってようやく最低限のところまできたから、この事で「頑張ったね」と言われる筋合いも同情の余地もないのです。


何故書いたか。


最近、「気軽に他人に自分の事を話す」ことの必要性を感じなくなってですね、こんなこと言ったところで何にある?押し付けてるだけでは?必要ないな?

と、思った途端にSNSや他人との交流を虚無に感じるように。

どうやってコミュニケーションを取っていたかわからなくなりました。


自分1人で抱え込みたくないけど、人に話すこともできない。それが理由です。



こうしてどんどん友人が減っていく。

人間性からして当然ではあるのですが、それでも抗おうにも自分でもどうしたらいいのかわからないところでもあります。



今夜もおそらく寝付けないでしょう。

しばらくは上手く眠れないストレスで気が滅入るかもしれませんが、それも仕方がないことです。


次にここでブログを書くときには、もっと明るく楽しいことが書ければいいのですが。