天からのギフト。 | 秋月せいらオフィシャルブログ「〜徒然なるままに〜」Powered by Ameba
皆さまこんにちは!日曜の雨降りの午後、いかがお過ごしでしょうか?今日は私用で博多駅に行きましたが、連休明けとは思えない人の多さに唖然としております。
いつもお世話になっている方へのプレゼントを購入しに行ったのですが、人の多さに酔ってカフェでネットショップ検索を始める始末です。苦笑


さて今日は『ギフト』そんなお題でお話をしようと思います。
英語でのGIFTという言葉は“神様から与えられた才能”という意味もありますが、私はこのGIFTという言葉が大好きです。
天は誰しもに才能を与えます。それは例えば絵が上手いとかITの天才だとかそういうことではなく、“人の為に生きる”“人を幸せにする”という才能です。

その“人”というのが身の回りの誰かでも良いですし、世界中の人でも良いのです。皆、『幸せになりたい〜』と嘆くことはあっても『幸せにしたい〜』とはあまり言いません。
人は人を幸福に導く才能を生まれ持っています。しかしそれを活用しきれていない人の方が多いのかもしれません。

人々がそれぞれに誰かを幸せにしたいと願い実行すれば、平和な環境が生まれ魂のレベルも向上します。
私も自らの幸せタンクはカラカラですが(笑)それでも、クライアント様は勿論のこと、お友達にも知人にも誰しもがハッピーであって欲しいと思っていますし、そう在るために私が必要ならば喜んで協力します。

ただし幸せにしたいという気持ちや行動と甘やかすということは別物です。幸せ=甘やかすの結果で一番分かりやすいのは子育てでしょうか。全てをいいよいいよ、と親が過保護過干渉に育てた結果は皆さん周知の事実でしょう。

この頃合いはなかなか難しいですが、その相手にとっての“真の幸福”をみつけるお手伝いをしなくてはなりません。
本人には気付かない他人だからこその客観的な視点から、お相手の幸せを願うのです。それは即ち時に“見守る”に徹することもあるかもしれません。
何か手を出し、口を出し助けるよりも、この“見守る”ということ、これが一番苦しいことでもあります。それでも『転ばぬ先の杖』ではなく、転ぶまで見守って転んでしまったら立ち上がるお手伝いをすること。これこそが見守り導くということです。

人は人を幸せにする為に生まれてきました。
それが主観的な独善的なものではないように、幸せにしたい誰かが幸せであると感じられるように、時に行動を、時に見守るということを、そして時に突き放すことも必要なのです。この頃合いを学ぶのもまた人生の学びの一つなのかもしれませんね。

私には才能がないから〜という言い訳は通用しません。
才能がないと感じたら思い出して下さい!『誰かの為に生きることで自らが救われる』のだということを。

今日は自宅ではない場所から書いたせいか、柄にもなく熱い内容になってしまいました。(笑)
それでは明日からのウィークデー、今日のお天気とは裏腹にハッピーな気持ちでお迎え下さいね!

いつも皆様の心に満ちた幸福がありますように。
そんな今日の一筆でした。


クライアント様のご出版なさったコミックエッセイも是非ご覧下さいませ。

追伸
写真はクライアント様が、『花屋になりたい』という願望を叶えてくれた、初☆お代を頂いた花束です。嬉しすぎて飛び上がりそう!