平成寺子屋塾

平成寺子屋塾

『セルフ・マッピング・コンサルタント』

 『自らの中にプロ意識を育てること』 

   

リーダーシップを学び、マネジメントを身につけ、

マーケティングを理解し、人間力を駆使すれば、

自らの望む人生はつくられる。


Amebaでブログを始めよう!
『温故知新を活かす』
 
 
この言葉を僕自身、常に大切にしてきた。
常に古いモノが新しいモノに変わる流れがありながら、
しかし、古いモノの中にも未来をつくる大切なモノがある。

 

 
新たな未来を創造するのには過去を否定しながら、
過去を活かすことが必要。
 
 
相反する中にこそ普遍的な真実が隠れているように思う。
 我々が求める未来は過去からの連続性からは

創れないかも知れないが、しかし、

非連続的な飛躍だけでは見識に欠ける。
 
 
そもそも『進化』という言葉は
生物学の用語であり、単なる
連続的な変化ではなく非連続的な飛躍を意味する。

 

 
しかし、飛躍のヒントは連続性の中にある。
社会や文化、そして人の感情は時代と共に変化をするが、
その変化は予測可能だ!
 
 
予測しながら、自らも1・2・3と進歩しながらもある時、
ある瞬間、5・6・7と進化する。
 
 
人の進歩や進化の本質は、ある種、
自らを常に肯定しながらも、どこかで否定し続ける。
 
 
何故なら、否定があるからこそ、
そこには大切な努力というモノが生み出される。
 
 
それが肯定だけだったら生み出せれるのは
独自性や卓越性ではなく傲慢だったり、
独善だったりと、進歩や進化からは程遠い字義になる。
 
 
その否定から生み出される努力の積み重ねが
時間経過係数と共にまったく違った何かを
生み出すきっかけになったり、
大きく変わることにつながっていく。

 

 
僕は自らを肯定しながらも否定することによって
理由(わけ)を発見できるのだと思う。
 
 
 
学ぶというものなんて理由(わけ)がなければ
学び続けることなんて難しい!
 
 
常に学びの前提には目的とか目標が必要だと思う。
 
 
それが、目的や目標で無くても、たとえば
誰かとの比較でも、羞恥や悔しさなんかでもいいと思う。
理由(わけ)があればそれで良い。
 
 
僕の学びの原動力は羞恥と悔しさだった!
今更ながらに思うことは学びの理由(わけ)なんて
本当に何だってかまわない!
 
 
理由(わけ)よりも学び続けることが大切。
学び続けなきゃ進歩も進化もありえない!
 
 
昨日は『AAY』について記事を書きました。
組織デザインを考える場合、
大凡2つの改革の仕方があります。
 
 
一つは一見、無駄や非効率に思える対処療法。
現在、見えている、分かっている
軽度の悪い事実に対処する方法。
 
 
薬を服用させる方法と、自分自身による
気づきと改善といった賦活力や免疫力を鍛える
文化的共感療法があります。
 
 
しかし、悪い根っこが予想外に広がっていたり、
対処療法によって、悪い事実が組織の中に
文化的な原則として定着するようであれば、
対処療法では改善の見込みはない!
 
 
顕在化している悪い部分よりも、
潜在化している悪い部分の方が
余りにも大きいのであれば、
優しい解決策は取れない!
 
 
徹底的な厳しい解決策が必要だ!
 
 
それは外科的な根治療法。
しかし、これには大きな心的負担と
環境リスクが伴います。
 
 
何れにせよ、今の状態の理解と、
未来のあり方によって
打ち手は違ってくると思います。
 
 
僕のところの現在の状態ば、
少しはOさんという所長のお陰で、
静から動へと少しづつですが
動き出したって感じかなっ?
 
 
所長が率先垂範しているのだけれど、
一部の乗務員は納得はしていなくって、
いやいや、でしかも、できればやりたくない!
抵抗勢力が権謀術数にあくせくしているような状態です。
 
 
僕は基本的には短気なので、正攻法で真正面から、
外科的な手法でバシバシと叩き潰してやろうかと
思っておりますが、クスリの効果よりも
リスクの方がはるかに高い。
 
 
だから、現在は根治療法は難しいような気がする。
じゃあ、僕の出る幕ないじゃん!
 
 
今月の末に全体会議を実施しようと
所長から打診があった。
絶妙なタイミングじゃん!
 
 
ここは一発、所長に任せて!!!!!!!
 
 
僕は会議ではなるべくなら発言しない!
ニコニコと満面の笑顔で、怒らない!怒らない!
般若心経でも唱えながら会議に臨もう!
いやいや!かかしになろう!

 
今日、久しぶりにネクタイを締めました。
そう言えば、6月くらいから
ネクタイなんて絞めたことがなかった!
 
 
でも、やっぱりネクタイを締めれば気合いが入る。
人って服装によって心のあり方も変わるのですよね~!
 
 
ネクタイを締めながら、気合いを入れて、
渾身の力を込めて記事を書いて行きたいと思います。
 
 
 
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今日は『成功する為にはAAYが大切』について!
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『AAY』って何?
 
 
AAYとは・・・・・・・
 
『当たり前のことを』 
『当たり前でないくらいに』 
『やり続けること!』
 
 
まずですよ、
知っていることと、
できることは違います。
できることと、
やることも違います。
 
 
何らかの結果を出そうと思うのであれば、
まずは『やる!』ことが大切になってきます。
 
 
ちょっと、待って下さい!
 
 
仕事には、『やらなければならない仕事』
『やった方がよい仕事』
『やりたいと思う仕事』がありますが、
ここでは『やらなければならない仕事』
『当たり前のこと』と定義します。
 
 
本当のことを言えば・・・・・・・・・・・
『やらなければならない仕事』はどちらかといえば、
仕事というよりも労働に近いのですが、
一応、仕事ということで話を進めます。
 
 
そうすると、当たり前のこととは、
上司や会社に『やりなさい!』
と言われている仕事を一生懸命に
『当たり前ではない』くらいに頑張ることです。
でも、これがなかなかできないんですよね!
 
 
やらないといけないことは知っているが、
でも実際にはできていない!
 
 
僕のところの運転代行でも同じで、
僕は当たり前のことを何度も、何度も
言い続けているが、でもできていないことって
イッパイあります。
 
 
当たり前のことができないのであれば、
それは、当たり前の結果も出ないということです。
 
 
反対に当たり前のことを、当たり前にやれば、
それは、当たり前の結果が出る。
 
 
素晴らしい結果を望むのであれば、
当たり前のことを当たり前でないくらいにやり続ければ、
それは当たり前でない結果を生みだします。
 
 
これって、当たり前ですよね!
 
 
しかし、当たり前のことを、
当たり前にやらない人から見れば、
当たり前でないくらいの結果を出した人に対して、
『そりゃ、奇跡やわ!』と言います。
 
 
実は世の中には偶然っていうものは存在しないのです。
常に何らかの結果には、何らかの原因が存在します。
 
 
奇跡といった類のモノは確かにあるのかも知れませんが、
少なくともビジネスに関して言えば、少ないと思うし、
当たり前の小さな小さな努力を積み重ね、
臨界点を越えた瞬間、水が気体に変容するが如く
今までにない異質なモノになる。
 
 
それが奇跡というものの正体じゃないかと思います。
 
 
だから奇跡には必ず当たり前の理由が
存在するということです。
 
 
『藤岡さん、努力って本当に報われますか?』
聞かれることがあります。
 
 
正直に言えば、そりゃ報われないことも確かにあると思う。
いやっ、寧ろ、報われないことの方が多いと思う。
 
 
でも、例え望む結果が出なかったとしても、
自らが努力したプロセスは確実に自らの経験や
知見になっているから、それ自体が僕は大成功じゃないかと思う。
 
 
でもね、知っているだけで、何もやらなければ、
その経験すら手に入らない訳だから、
『当たり前のことを、当たり前でないくらいに、やり続けること!』
これって凄く大切なことなんじゃないかなって思う訳です。
 
 
僕だって寝る時間まで犠牲にして運転代行という仕事を
10月で、もう3年になるけれど、やり続けています。
だから、運転代行っていう仕事に関して言えば
僕は確実にプロだと思っています!
 
 
泣いたり、笑ったりしながら日々、やってきたことってある種
僕は財産だと思うし、途中で何度の辞めようと思いましたけれど、
やり続けることによって一つのことを追及しようと試みることは
美徳と言ってもいいんじゃないかな!
 
 
ただ、大切なことは、経験に学ぶといった前提がなければ、
最初の一か月を36回繰り返しただけになってしまうので、
そこには成長は約束されない。
 
 
だから、経験から反省や改善と言った学習を基調とした
自分自身である必要がある。
 
 
僕は企業でも個人でも卓越しなければ
結局は何者にもならないと思っています。
 
 
それには選択と集中、それから集中したのなら
『当たり前でないくらい』に取り組む。
こういったシンプルな発想が大切だと思っています。
 
昨晩もヒマだった!
大阪市内の代行はどうも最近、ヒマらしい?
 
 
昨日の夕方、提携している代行の社長さんから
電話があり、『藤岡さん、最近どう?』
 
 
『いやーっ、ゼンゼンあかんよ!』
 
『やっぱり、そうなんや!』
 
『今までの半分くらいしか電話が鳴れへんわ!』
 
 
こんな会話をしていた!
 
 
でも、あかん、あかんと何百回言ってみたって
何の解決にもならない!
 
 
ふと、昔、ダイビングのライセンスを
取ろうと思って読んでいた
本のあるフレーズを思い出した。
 
 
ダイビングでは、
海中で事故が起こった時、どうするのか?
 
 
1.止まる
 
2.落ち着く
 
3.考える
 
4. 対処する
 
 
この順番で行動しなければならない。
我々は止まるということに関して
凄く消極的なイメージがあるのだけれど、
事故や想定外の出来事に遭遇した際には、
止まることが最も積極的な行動になることもある。
 
 
僕は若い頃、登山もしていました。
山はナメれば命を落とす。
だから怖がり過ぎてもいけないし、
ナメたらもっといけない!
 
 
山の稜線なんかを歩いていると
一瞬で天気がガラリと変わります。
 
 
いったんガスが出てくれば、
1メーター先も見えなくなってしまいます。
 
 
この時、動くことは命を落とすことになってしまいます。
だから、僕たちは、積極的に動かないという選択をする。
 
 
自然の脅威には逆らわない、自然に身を任す選択が
動かないという自らを活かす賢明な選択になる!
 
 
今、僕のところの運転代行は、
まさに事故や想定外の出来事に遭遇していると言える。
 
 
昨年と比較して、お客様の数は
倍くらいに増えているのにも関わらず、
売り上げが激減している。
 
 
その理由を外部に委ねることは簡単だ!
でも、それでは根本的な成長は
今後も約束されることはない!
 
 
まずは、内部に根本的な問題を見つけて、
徹底的に対処する。
 
 
勿論、僕は以前、コンサルタントをやっていたので、
問題は大凡分かっているが、ただ、
環境との適応を考えると今、拙速に対処することは
別の時間と空間に於いて
新たな問題を誘発することになってしまう!
 
 
だから僕自身が大ナタを振るう根治療法よりも
僕自身が積極的に動かない
文化的対処療法を実施しようと思う。
 
 
人の問題とは、それだけ厄介だし、
デリケートなんですよね?
 
 
企業や組織、個人でも同じなんだけど、
未来のあるべき姿に対して
現状とのギャップが
解決しなきゃいけない問題なんですね!
 
 
そうすると、ギャップを正しく理解しなきゃ、
問題が見えてこない訳です。
 
 
ギャップとは、それは未来のあるべき姿と
現状との違いとか、差分のことです。
 
 
ただ、問題が明確に捉えられたとしても、
解決策を間違えれば、新たな問題を誘発したり、
以前の問題がもっと大きな問題へ
膨らむ可能性だってある訳だから、
特に人の問題になれば、
個人の思惑やプライドなどが複雑に絡んでくる。
 
 
特に、若くない人たちは、
今まで自らにとっての
独自な社会性というものを築いている。
 
 
それは自らが糸を出して構築した
蜘蛛の巣のようなもの!
 
 
蜘蛛の巣の一本、一本が自らと社会との関わりだ!
 
 
自分が今まで社会とどのようにして関わってきたのか?
関わり方や、それらに伴う価値観や自己の判断基準や
経験や知恵など・・・・・・・・
 
 
だから、難しいし、時には解決する
スピードが命取りになることもある。
 
 
今、一旦止まって、昨日のブログにも書きましたが、
天の時・地の利・人の和をもう一度、見直し、
改善することにしました。
 
 
エントロピーの法則じゃないけれど、エネルギーの
流れの向きを変えようと思う。
 
 
この世で起こるあらゆる物理的な変化には
必ずある種のエネルギーが関与している。
 
 
そして、エネルギーが流れる向きは
本質的には一方通行。
 
 
極めれば時には流転することもあるだろうが、
基本的には極めるまでは、一方通行なんです。
 
 
人が何かを考え、何かの行動をすれば、
必ずそこには目には見えない
プラスとマイナスのエネルギーが発生する。
 
 
良い考え、良い行動は、プラスのエネルギーを生み、
自分勝手な、自分最適な考え方や行動の仕方では、
当然、マイナスのエネルギーを生みだすことになってしまう!
 
 
この力学の方向を少しづつ変えていこうと思っています。
時間はかなりかかりそうですが、やるしかない!
 
 
ほんま、大変や!
堪忍や!
 
結局、夜中に代行業務が終了し、あれこれ考えていましたが、
睡魔に襲われて、ソファーで爆睡してしまいました。
 
 
うちのところの運転代行が激ヒマの理由を考えていた。
まあっ、僕らの仕事は水商売のまた水商売だから、
飲食店が忙しくなければ、こちらも忙しくはならないし、
また、たとえ飲食店が忙しくなったとしても、飲酒運転をして
帰る人が多ければ、これもまた忙しくはならない。
 
 
じゃあ、なぜ飲酒運転をしてしまうのか?
 
======================
ここで少し飲酒運転・酒気帯び運転の罰則について
======================
 
飲酒運転に対する罰則は、運転者本人への罰則と、
お酒を提供した人、飲酒運転の車に乗っていた人、
飲酒運転することを知っていながら車を提供した人で
罰則が分かれています。
 
 
ここでは飲酒運転の区分と罰金&点数について
記述したいと思います。
 
 
飲酒運転はお酒を飲んで車を運転する行為ではありますが、体内の
アルコールの量や運転手の状態によって3つに区分されています。
 
 
酒酔い運転(体内アルコール量に関係なく運転手の状態で判定)
 
酒気帯び運転(血中1ミリリットルにつき0.5ミリグラム以上)
 
酒気帯び運転(血中1ミリリットルにつき0.3グラム以上)
 
 
酒酔い運転では5年以下の懲役又は
100万円以下の罰金(刑事責任)
 
 
違反点数は35点で、
欠格期間3年の免許取り消しの行政処分(行政責任)
 
 
酒気帯び運転では3年以下の懲役又は
50万円以下の罰金(刑事責任)
 
違反点数は25点と13点、欠格期間2年の免許取り消し、
免許停止90日の行政処分とに分かれています。
 
====================
 
 
 
何れにしても、かなり厳しい処分が待っています。
でも、ミナミの堺筋周辺で待機をしていますと、
如何にもお酒を飲んできたと一目瞭然の人たちが
平気で車を運転して帰っています。
 
 
警視庁の統計では飲酒運転は
減少しているとなっていますが、
僕は絶対にそんなことはないと思っています。
 
 
統計学なんていうものは、あくまで前提となる
要件まで見なければ検証データーがどれだけ
確度の高いものなのか判断なんてできないし、
そもそも本当に実践したデーターでなければ意味がない。
 
 
 
実践もしないで憶測だけの統計学なんて、
巷に溢れている。
 
 
そんなものは統計学とは言わず、
自己保全的戦略的憶測、希望的観測と言う。
 
 
ここ最近といっても、昨年の暮れから、
大阪市の難波周辺道路で
検問をしているのを見たことがない!
 
 
交通安全週間であってもだ!
 
 
だから、お酒を飲んでも自分が
事故さえしなければ問題ない!
 
 
本来なら、飲んだら乗るなということだが、
飲んでも大丈夫!
 
事故さえしなければ、捕まらない!
 
 
人間って感情の生き物だから、
常に検問なんてやっていないから!
 
 
って思うのと、最近、あちらこちらで
検問をやっているからって思って
お酒を飲むのとでは、
その後の行動に大きな差が出ると思う。
 
 
本当はそんなことではいけない!
本人の自覚と責任に於いてお酒を飲んだら運転してはダメ!
 
 
 
僕らは常にミナミ周辺の駐車場近くで待機しているので、
駐車場に入っていく人を観察しているけれど、
確実に酔っ払っている人って高確率でいてますよ。
 
 
 
駐車場から1メートルでも出たところで検問でもやれば、
そりゃ、凄い数の人が捕まって罰金を支払ってくれるのに!
それって消費税なんか上げなくても大丈夫なくらいの
経済的効果を見込める筈!
 
 
でも大阪の警察官の数は慢性的に足らないし、
警察の方も大変だし莫大な人件費も
計上しないといけないし、難しいよね?
 
 
ともあれ、人間の行動基準っていうものは
基本的には論理を越えた感情によって
決まると言われていますので、
『飲酒運転をする人ってサイテー!』
みたいな文化基準になってくれれば、
社会はもっと健全で幸福になる。
 
 
また政治の施策と経済は密接な関係があるので、
未来の日本を見据えた、政治家個人の利害を超越した
公益性の高い政治手腕を発揮して戴き、消費のポテンシャルを
もっと引き出し、働き手に正当な富の分配を行えば、
消費は確実に増大し、大阪も元気になる可能性はある。
 
 
僕自身も、営業戦略を大幅に修正しようと思っている。
今一度、『天の時』・『地の利』・『人の和』を再構成しようと考えています。
 
 
殆どの場合、コミュニケーションって何だ?
と聞けば会話だと答える。
 
 
でも違う。
 
 
コミュニケーションって言うなれば単なるおしゃべりの類でしかない!
だから、あんまり意味がないんじゃないかなっ!
 
 
そもそも会話をする相手って同じような習慣や嗜好を持っていて、
だいたい自分が合わないと思う人とは進んで話さない!
 
 
ビジネスで必要なのは会話じゃなくて対話。
対話となれば別に親しくなかったとしても仕事だから、
価値観や情報の交換や目的に対するプロセスなんか
相違点についてすり合わせなどを行なわなければならない!
 
 
会話は別に相手に対して失礼なことを言わなければ、
別段、気にする必要なんてないが、対話で大切なことは
まずは、お互いに目的を共有しているかを確認しなければならない!
 
 
そもそも、お互いが同じ絵を見ていなければ、話が
かみ合わないばかりか、大きな誤解を生みだすことになる。
 
 
我々、日本人は対話がどうも苦手な民族らしい!
みんな傷付きやすいんだろうね!
 
 
自分が何かについて意見を述べる。
誰かに自分が言った意見を全面否定されたとしよう!
すると自らの人格をも否定されたと錯覚してしまい、
次から発言することを止めてしまったり、
相手のことが嫌いになったり、挙句の果てには喧嘩になったりする。
 
 
これが会議で上司の意見に対して反対意見なんて述べようものなら、
『あの野郎! 上司の俺に立てつきやがって!』
本来ならば、革新を求める会議が遺恨てんこ盛りの源平合戦のようになってしまう。
 
 
まあっ、昔からの商慣習というか、了見が狭いというか、
僕もメーカー時代、会議で上司のK部長に180度違う意見を言えば、
休憩時間に呼びだされて!?
 
 
『藤岡君、俺に何か文句でもあるのか?』
 
『戦略会議の前に君のところの部署にも合議を取り付けてあった筈だが?』
 
『君は俺に恥をかかせるつもりか?』とカンカンに怒って言われたことがあった。
 
 
当時の僕はマーケティング事業開発室の課長をしていました。
彼は営業第一部の部長で、非常に優秀で仕事は抜群にできるのだが、
めっちゃ、偉そうで、常に部下をグルグル巻きにするのが趣味みたいな人物。
また彼は僕らのマーケティング事業開発室を凄く嫌っていました。
 
 
マーケティング事業開発室は取締役会直属の部隊で仕事の範囲も
広範で権限もあった。
 
 
だからR&Dや営業部・企画部などにも発言力があったので、
彼にとっては唯一、自らの力が及ばない部署でもあった。
 
 
そんな訳だからK部長は事前に一方的に企画書を送りつけてきて、
 
 
『今回の会議はこれでいくから!』
 
 
内容は東京ビックサイトでの展示会の企画書だったが、
膨大な費用をかける割にはリターン戦略のない粗末な企画書だった。
 
 
僕の直属の上司は、『藤岡君、君はどう思う?』
 
僕は『リサーチもしていないのに投資をする必要なんてあるのでしょうか?』
 
『見返りの期待も予測も出来ない投資って、それは寄付ですよね!』
 
チラッと上司を見ると、ニヤリと笑って『これってオカシイよな!』と言った。
 
 
結局、営業第一部はこの企画書を部でモンで昇華させることもなく、
戦略会議に臨んだ。
 
 
部長のプレゼンは、自社のブランディング戦略でまとめてきた。
だいたいブランディングって大きな花火を打ち上げたからといって
ブランド・イメージが確立される訳じゃないし、ビックサイトで
極めて大きなブースで大々的にするから・・・・・
 
 
『おーっ!凄い会社!』
 
『信用できるぞ!』
 
 
そんな単純で拙速な展開もないだろう!
 
 
ブランディングっていうものは言わば、顧客からの小さな信用の積み重ね。
小さな・小さな信用が時間経過係数と共にブランディングという形のない
数値化できないけれど、大切なビジネスの根幹ができあがる。
 
 
そもそも市場に対して2次元でのチャネルが既に出来上がっているにであれば、
大きな花火を打ち上げて3次元(平面と立体)の戦略によって販売量を一気に伸ばせる
可能性は極めて高いと思うが、現状では意味のない寄付でしかない!
 
 
結局、3時間ほど続いた会議は終わり、
この企画は次回に持ち越しとなった。
 
 
それで、上からの指示で今回の企画は営業第一部と
マーケティング事業開発室との合同企画という形になり、
一週間にわたってK部長と様々な対話を重ねながら、
時には、喧々囂々となりながらも企画書をつくりあげた。
 
 
その結果、企画は承諾されて、東京での展示会で新たな
販売チャネルが5社も構築でき、会社的にも大成功となった!
 
 
やはり、対話というものは大切で、展示会以後、K部長と妙に仲良くなり、
週に2回ほど僕のデスクの電話が鳴り、『藤岡君、今晩、一杯どうだ?』と
お誘いがあり、二人で夜中まで飲み歩いた。
 
 
 
先日、代行の乗務員さんを思い切り叱った。
安易な仕事の取り組み方に激怒した!
 
イメージ 1
 
 
『我々はお客様から命の次に大切なお金を戴いている。』
 
『それってアマチュアだったら本来戴いてはいけない筈だ!』
 
『プロだからお金を戴ける資格がある。』
 
そのように言った。
 
 
僕は至って当たり前だと思っています。
運転代行の資格といえば2種免許になりますが、
安全に快適に、そして迅速に運転することが出来る。
 
 
プラス、僕は『感謝』だと思っています。
 
 
これって、そんなに難しくはないと思う。
誰からお金を戴いているのかを考えれば分かること。
僕からではない、お客様から戴いている。
 
 
『プロになれ! プロになれ!』って言ったって・・・・・
 
 
そりゃ、業種・業態によってはプロの定義って様々だけれど、
でも、少なくとも自らの中に自分なりの
プロ意識を育てることはできると思う。
 
 
 
サラリーマンであれば、最初のプロ意識とは、
フォロワーシップ、上司の命令に従って与えられた
仕事を一生懸命にやる。
 
 
 
100%以上の結果を出すことができれば、
それは立派なプロだと思うし、次に自らの
裁量の範囲を拡大していくことを考える。
 
 
それって信じてもらい任されるということ!
人って任されて挑戦して、失敗して、改善して
そんな繰り返しの中で自ら学び、成長していける。
 
 
 
それには100%以上の結果を出し続けることと、
上司から命令されなくっても、組織に対しての貢献を
自ら考えて、自分主導で行動できること。
 
 
 
でも、昔の僕もそうだったけれど、日本の大企業って
自立した個人をスポイルさせると思っています。
効率や合理性をつきつめていけば必ず均質になる。
だから大企業って個性的ではない人間を育む。
 
 
 
するとどうなるのか?
 
 

 

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だいたい、大企業は調整型の人間ばかり育つ。
調整型の人間たちは基本的に決断力や実行力が備わっていない。
そればかりか社内処世術や社内政治にあくせくする。
そちらに思考も行動も優先してしまい、本来の仕事が疎かになってしまう!
==============================
 
 
 
一番良い例は役所だ!
 
 
=============================
役所の仕事は住民の不便の解消や利便の促進にある。
困っている人を助けて、より良い生活が出来るように配慮することが
彼らの仕事の筈だが、どうやら彼らの頭のネジが緩んでいるのか、
頭が良すぎるのか反対のことを一生懸命やっているようでならない?
=============================
 
 
 
だから、自分主導で何かをすることや
自己責任をことごとく嫌う傾向にあると言ってよい。
 
 
 
一つは知識の偏重にあると考えています。
そもそも、知識なんて、有るにこしたことはないけれど、
しかし、あるだけでは何の価値も、何の値打もない訳です。
 
 
 
知識を活かして行動するところに知識習得の意味と意義がある。
 
 
 
僕は何時も言うのだけれど 『知行合一』行動する為に知識は存在する。
行動を前提としたものでなければ知識は有益ではなく、有害である。
 
 
 
テレビを観れば何なに評論家とか、ことある度に批評を
繰り返す輩がいるが、彼らが起業すれば、誰よりも
上手くやっていけるかと言えば、恐らく無理だと思う。
 
 

確かに知識としては、正しい事を言っていると思うが、
彼らの言っていることは『学』でしかない!
 
 
 
大学で経済学や経営学、物理学などを学ぶが、
実際に社会で役に立つのは経済学や経営学、物理学から
『学』を取ったもの。
 
 
つまり、経済や経営、物理といったものが実際の役に立つ。
アカデミックな学問は机上の正しさであり、世の中を美しく
そして合理的に解釈しているだけ。
 
 
我々が活きている社会はアカデミックではなく、プログマティックな
リアルな競争の社会なのだから、勝つ者があり、負ける者がある
厳しい社会。
 
 
負ければ倒産や自己破産が待っている。
机上の誤まりなら『ごめんなさい!』ですむが、
現実はそんなにも甘くはない!
 
 
 
実際に会社を経営するということは、矛盾に対する挑戦
みたいなものだから、正しい事を、如何にも正しく言ったって
イコール利益にはならない。
 
 
 
何故なら、皆が正しいと言っていることは、確実に
正しくない方向へと移っていっているからだ!
 
 
 
学問のように予定調和的なものは何ひとつない世界。
 
 
 
だからこそ、プロになることが絶対に大切だと考えています。
自営業者も会社の経営者もサラリーマンも一緒だ!
 
 
 
『学』はとても大切だけれど、『学』に拘らず、『学』に溺れず、
『学』を現在進行形の『知恵』に変える為の『実践力』『学』を社会の
『価値』へと変える『想いの力』が大切だと思っています。
 
 
 
それには兎に角、世の中をどんどん、小さく小さくしていけばよい。
その小さな世界の中で自らがプロになれば、例え小さな世界での
プロであったとしても、意識は確実にプロなのだから、
あとは世界を大きくしていけばいいだけ!
 
 
世界を大きくする方法なんて難しくはない。
プロ意識を持っている人間には、それ相応の
プロが集まりだす。
 
 
すると、プロ同志の繋がりは、価値の連鎖を生みだして、
どんどん大きな世界の住人へと活躍するフィールドは拡がっていく。
 
 
 
僕が大切に思っていること!
 
 
『夢』を持つこと、そして『夢』を『夢』で終わらせない為に
日々、『努力』して自らを『成長』させ『夢』を叶えること!
 
 
もしですよ、その『夢』が叶わなかったにしても、
必ず自らの『成長』は約束される。
 
 
つまり、『夢』を持つこと自体、『成長』が約束されるということです。
 
 
僕ね、@アース運転代行に面接に来られた人たちに
必ず、『あなたの夢はなんですか?』って絶対、聞いているんですよ。
 
 
するとね、殆どの人は『夢』なんてないです。
って答えるんですよね。
 
 
恥ずかしいから言わないのか?
こんな奴に言う必要なんてあるか!って思っているのか?
そらゃ、分からないですが、『夢』を語れば、語るほど、
その瞬間から、現実になっていくのにね!
 
 
僕なんて、200歳位まで生きなきゃ叶えられないくらい、
『夢』がいっぱいあります。
 
 
それって、今の現実や現状なんてどうだっていいと思う。
どっちの方向に向かって活きているのか、歩いているのかってことだし、
『夢』があるから頑張れたり、我慢したりできるし、未だ見ぬ明日を
期待したり希望のきっかけだと思うこともできる。
 
 
どんな『夢』でも僕は」良いと思う。
高級マンションを買いたいだとかベンツに乗りたいでもいいし、
ミナミのクラブで綺麗なお姉ちゃんと
どんちゃん騒ぎをしたいだって、僕はゼンゼン良いと思う。
 
 
僕なんて、サラリーマンを辞めた理由なんて、
『お前はバカか?』って言うような理由ですよ。
 
 
そりゃ、世間的には、起業して人を育てたいとか、世の中を変えたいだとか
当時の僕は言っていましたけれど、本音はまったく違いますよ。
 
 
Sクラスのベンツに乗りたかっただけです。
当時の僕は自分で『夢日記』をつくっていて、
そこに自分が欲しいモノの写真を張り付けて、
自分でそこに何時までに買うとか、乗るとか書いていました。
 
 
2年で叶えました。
 
 
何が何でも叶えると思い続けることです。
信念に刷り込むくらいに・・・・・
 
 
想いの強さが大切ですよね。
 
 
だから、僕は、その人が『夢』を持った瞬間から、
自分を取り巻く、すべての環境が少しづつ
変化してくると考えています。
 
 
何かを我慢したり、優先順位が今までとは変わったり、
人脈が知的に変化して来たり、もっと知りたいと思ったり、
行動に変化が現れたりだとか今までの自分とは少しづつだけど
着実に違う自分に変わってくる。
 
 
僕自身もそうだった。
何が変わったといえば、付き合う人間が大きく変わりました。
サラリーマン時代では考えられないような
異質な人たちと付き合うようになっていた。
 
 
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、
自らが『夢』を持って成長路線をひたすら
歩くようになってくれば、成長の度合いに応じて
人脈も変化してくる。
 
 
次々に新たなな目標になる人たちが現れるんです。
これってホント不思議ですよ。
 
 
次の目標になるような人たちが一瞬早からず、
一瞬、遅からず現実に僕の前に現れる。
 
 
そして、『えーっ!?』 『わーっ!?』
って目からウロコがどんどん落ちる!
 
 
今の自分と比べれば、自分が小さく、情けなく思ってくる。
そして、『くそーっ!』と思い頑張る。
 
 
人は人によって磨かれるんですよね。
その時、その瞬間、どれだけ目からウロコを落とすのか?
どれだけ悔し涙の滴を流すのか?
 
 
そういったことによって人って成長するのかなって
今更ながら、思うのです。
 
 
結局、『夢』さえあれば、人なんて何処からでも、
そして何時からでも変わることが可能だし、
大概のことは、強い想いがあれば叶えられるんじゃないかなっ!
『世界に変化を望むのであれば
  我々、自らその変化にならなければならない!』
 
 
僕はこの言葉を凄く気にいっている。
そして自分自身、常に変化しなければならないと考えている。
 
 
何故なら、新しい環境と新しい行動を自ら創りださなければ、
自らが見る現実は安逸で刺激の無いモノになってしまうから!
 
 
新しい刺激は新しい自分発見や人生の覚醒につながり、
それはある種の成長へと続く道を創ることになる。
 
 
今、社会や経済、そして文化に至るまで、あちらこちらで
パラダイム・シフトが同時多発的に起こっているが、
しかし、その殆どのことは自分とは無関係ではない!
 
 
みんな世の中を静止画像で見ようとする。
そして、それらを写真のように切り取って、
それが事実で、それが当たり前だと信じてしまう。
 
 
僕は違うと思う!
 
 
事実という類のモノは、それが本質ではなくて、
ただの現象でしかない!
 
 
それって世の中を自分観で見ているだけで、他人観や組織観、
会社観や日本観、もっと視野を広げてアジア観や世界観で観れば、
一つの小さな変化が時間が経てばやがてどのような現実を
創り上げていくのか?
 
 
そして、その現象はプラスの現実になるのか?
あるいはマイナスの現実なのか?
 
 
そんなことを推理・推測、そして推論へと発展的に
そして構造的に考える必要があると思う。
それが『悟性』というものだ!
 
 
そのうえで、自らに対する基準やルールを引き上げる。
それは、つまり『理性』を高度化することだ!
 
 
『理性』とは、理論理性と実践理性とに分かれる。
外界の変化をキャッチして自分は何を知る必要があるのか?
何を学ぶ必要があるのか?
 
 
そんなことを考え、意味づけし、
実践へとつなげていくことが理論理性。
 
 
実践理論とは自分は何をすべきなのか?
何をすべきかに対しての善か悪かの判断が実践理論。
 
 
『理性』というものの本質は結局のところ
筋道を通すことなんですね。
 
 
正しい筋道を通すことによって、自他共繁栄といった
状態を創り上げること。
 
 
自らの周りの変化に対して新しい筋道を創っていくことが、
変化であり、自己成長だと考えています。
 
経営者やリーダーって絶対に現場に拘らなきゃいけないと思う。
何故って、それは現場が利益の源泉だからです。
 
 
お商売が上手く回りだしたら、経営者やリーダーって
少しづつ、現場から遠ざかっていく。
 
 
それは、ある意味、正しいことなのかも知れないが、
だけど、現場を大切に思う気持ちを忘れてはいけない!
 
 
成長のプロセスの中である段階まで成長すれば、
机上で経営しようとしてしまう。
 
 
数字が最大の論拠であるが如く、時として
現場最大重視から、数字フェチへと大変化する。
 
 
この段階が最も怖い魔のトンネルだ!
 
 
経営者やリーダーが現場から離れてしまうと、
何が起こるのかと言えば、自分自身が現場に出て
一次情報を取れなくなってしまう。
 
 
二次情報や三次情報は報告する人間の偏見が
入る為、事実とは少しづつ乖離してくる。
 
 
その少しの乖離が時間経過係数と共に現実を
正しく理解できなくなってしまい、誤った戦略や
ニーズの曲解により、プロダクト・アウトは加速する。
 
 
それって間違った方向にアクセルを目いっぱい踏んでいるようなもの。
間違いに気づいて戻るにしても時間と距離が致命傷になる。
 
 
僕は今まで、現場に拘ってきました。
社長が一番偉いなんて考えたこともない!
 
 
常に現場で旗を振り続けてきたが、しかし、それも問題だ!
そんなことを何時までもしていれば人が育たないばかりか、
自分も枯れてしまうからだ!
 
 
だから文化とか風土といった目には見えない
資本の力が必要になってくる。
 
 
現場に拘りながら、見えない資本の形成と成長が
本当の社長やリーダーの仕事なんだろう!