何に愛を感じるのか?
人によって、愛の定義は違います。
それぞれの人が、自分なりに愛を定義して生きています。
そして、自分なりのその定義は生い立ちの中でうまれていきます。
私は、お金を出してもらえる(養ってもらえる)ことに愛を感じ、
守ってもらえる、助けてもらえることに愛を感じていました。
特にパートナーに、これらをずっと求めてきたのだなと思います。
幼少期、母はあまり物をすぐに買ってはくれなくて、
欲しい物が与えられない
と思い込んでたんですね。
また、小さい時から自立することを教えられ、なんでも自分でするように育てられました。
与えてよ!
なんでしてくれないの?
自立なんてしたくない!
そんな思いが根っこにあるから、
反対のことをずっとしてきたんだなぁと、しみじみ思います。
何か小さいものひとつ購入するときでも、
自分で必要なものをちゃんと考えて買えるように、
自分のことは自分で出来るように、
ちゃんと教えてくれていたのに、
小さい頃は、親の愛が分かりませんでした。
全部助けてくれて、全部与えてくれるだけが愛ではないですよね。
親は、子供がちゃんと自立できるように、必要な愛を与えてくれています。
でも子供の私には分からないので、そこをずっと拗ねたまんま、
その思考を持っていました。
すると、ちゃんとその根っこを気付かせてくれる相手と出会うんですね。
私の深層心理をちゃんと映し出してくれる相手が現れます。
早く気付こうよ!
って。(笑)
こうした勘違いの思考のパターンって、本当に多いなぁと思います。
どこかに愛の捻れがあると、
相手の愛を素直に受け取れません。
そして、ずっと当たり前に感じていたことって、気付きにくいんです。
だから、周りの人を通して自分をみていく。
出来事から、自分の本当を紐解いていくんですね。
気づくためには、
素直になる
ことが大切だと思います。
素直にならないと、相手の話の本質がみえてきません。
そして、素直になるから、
自分の本当の気持ちにも気づけます。
気づくことで、修正していけますね。
与えてもらう愛から、与える愛へ。
依存から自立へ。
捻れた思考パターンを元に戻し、根っこを修正してあげること。
深層の深い部分こそ、とっても大切だと思います。
自分の思考パターンに囚われすぎていると、
周りがよく見えなくなる時があります。
目の前の現実は、
すべてが自分の意識の投影です。
自分が人生で何を意識しているかで、現実が変わっていきます。
自分が正しい!
という思いで世界をみていると、
新しい情報が入ってきません。
なので、
新しい意識をどれだけ持てるか?
がないと、新しい世界は創れないのかなと思います。
そして、何を見るのかは自分が決めています。
何を見たいのか?
どういう現実にしたいのか?
すべて、自分で決めていること。
何を意識しているか?
何を思い出しているのか?
で人生は決まっていくと思うんですね。
潜在意識は思い出したら繰り返そうとします。
出来事や状況そのものから、
何を感じたのか?
という自分の反応(思考)のパターンというのはだいたい決まってい ます。
もし、現状を変えたいのであれば、
この先、何を意識するか?
を変えれば変わっていきます。
過去の色々なものを整理していたら、
思った以上にすっきりしました。
今の自分にとって不必要なもの、人間関係、過去のメール、写真、携帯の電話帳。
もう何年も使わなかったり、
使うかもと思って取っておいたものでも、
結局必要がないものがほとんどです。
中には執着していて捨てられないものもあったり。
けれど、
何かに執着しているとき、
それは、そのモノにというよりも、
モノに込められた思いに執着していることが多いと思います。
そこに、自分のアイデンティティを求め、
私、私の、私のもの
といったように。
そのモノに自分を見出そうとしなければ、
執着は自然に消えていくんだなと思います。
モノを大切にすることも大切です が、
そこに必要以上の執着を感じたなら、
ちょっと疑ってみてもいいかもしれません。