まばたきシャッター
国語辞典の解説はいらない。
「そんなもの友達じゃないよ」
そう言う人もいるかもしれない。
ただ、少なくともぼくには、
道で倒れることがあっても手を差し伸べてくれる。
電話番号も、住まいも、名前すらも知らない友人がいる。
かなりの数いる。
ネットではなく実生活の上で存在している。
ぼくにとって彼らは知人ではなく友人。
ボソっとつぶやいてみても反応がない。
気配が消えている。
ふり返ると立ち止まっていた。
足蹴にされる女のいる場所へたどり着くまで、
そんなことが数回あった。
崖の上を見上げていたり。
地面をのぞきこんでいたり。
息のかかるほど饅頭に接近していたり。
そのたびに彼の指はシャッターボタンの上。
立ち止まる男。
熱海でぼくの隣を歩いている男。
ほんの数時間前に会った男。
彼はぼくの友人だ。
さっき会ったばかりだけれど。
本名はさておき、
ひげフレディー というお方。
「ははぁーん……」
静止する姿を見ながら、
生命の神秘に立ち会っているような気がしてきた。
本職はカメラマンじゃない。
実は彼のブログ に登場する写真が好きなんです。
「それら」はこうやって「生産」されている。
ぼくはその場に立ち会っていた。
気になる。
止まる。
押す。
そんなことを繰りかえしながら歩く。
一連の動作に5秒とかかってはいないだろう。
何度も、何度も立ち止まる。
NYへ帰る前日だった。
そんなひげフレディーさんから届いたメール。
《2010.2.27 熱海をご覧ください》
立ち止まる男が送ってくれた熱海のアルバム。
まったく同じルートを、まったく同じ時間に歩いていた。
目に映るものはそれぞれに違う。
立ちあうまで写真から感じていたのは、
「結構、時間をかけて撮られてるのかな?」
そんなことだったので出来上がりを見て2度ビックリした。
おまけにぼくの後姿、何かに熱中している姿まで……。
たしかにあの手際、スピードなら一瞬の隙も逃さないだろう。
お礼と、そんな感想を送る。
「ぼくの写真はパッと見て、アッと思って、サッと撮る。
『アッ』の瞬間をできるだけ速く切り取ることに専念しております。
……ホントはまばたきぐらいのスピードで撮れれば最高なのですが(笑)」
『アッ』の瞬間、よくわかります。
実際ぼくもその『アッ』を大切にしたくて、
今回の帰国でPILOT Capless Decimoというノック式万年筆を買った。
旅行者の太っ腹銭勘定で。
写真におさめたいものもあるけれど、
日頃持ち歩くのは携帯電話付属のものなので、
シャッターが押せるまでの6~7秒にいらつき、気が萎えてしまってる。
かといって携帯とカメラ両方を持ち歩く気はなし。
電話付きのカメラがあればいいのに。
「辞書はすぐに引けるように箱は捨ててしまいなさい」
小学生の頃、こんなことをどこかで読み、
「なるほど、頭がよくなるためにはまずここからだ」
ひとり納得をした。
百科事典を含む、家中の辞書の箱を捨て親からさんざん怒られた。
幸い未遂に終り(箱を回収)、親は安堵していたが。
瞬間を切り取る。
考えるのではなく感じる。
素晴らしいモノは、
時を自由に扱える、
捕らえることのできる者の元へと舞い下りる。
やたらと体内フィルムを浪費するときがある。
そう、ぼくはまばたきシャッターが欲しい。
本物はまぶたの裏にしかない。
夕方には東京から到着した(実の)妹と合流。
『メイポール』という昭和臭な喫茶店でおしゃべり。
その日一番喋ったような気がします。
ここでもひげフレディーさん「アッ」と思われたようです。
熱海でランデブー
<熱海はこんな町でした>
今さらながら。
インターネットは多くのスタイルを変えてしまった。
海外在住者特有の病。
日本の活字に対する枯渇もほぼ解消された。
ホイッスルを吹きながら車の間を縫う自転車。
メッセンジャーのニーサンも以前ほどは見かけない。
Tweeterで援助者を同時進行で募集。
日本一周を企てるオネダリ上手な少女も出現すれば、
それまででは考えられなかった出会いもある。
なんとなくだが、顔は知っている。
声を聞いたことがあるばかりか、
電話で3時間以上も喋ったことだってある。
文章や写真から推しはかった性格だって、
そうかけ離れてはいないだろう。
でも、会ったことはない。
そんな人と熱海で待ち合わせ。
当初は「東京で」ということだったが、
一方的な都合で「熱海でお願い」、ということに。
なんとなく顔は知っている。
それでも半生な世界で仕込んだ材料での組み立てには限度がある。
焼きつけたイメージを改札口で探したのだけれど……。
「セイキさん!」
先に見つけたのはあちら。
大柄な男性、という勝手な造形とのギャップに、
悪い意味ではなくショックでしばらくの間立ち直れない。
霧雨の中、
「とりあえず《寛一・お宮の像》だけは押さえとかないと」
意見が一致する。
海岸沿いににあるという、
下駄で足蹴にされる女の像まで歩くことに。
無口な50前の男2人。
職業不詳な外見の2人。
ボソボソと語りながら、
片方は時折り一瞬立ち止まったりしながら熱海の町を歩く。
昭和でパンパンそうなボーリング場。
トンネルよりも隧道という名が似合う洞穴を通って。
廃墟に踏み込んでみたり。
「あそこが眺めのいい露天風呂らしいですね」
ホテルのフロントへ行くとやんわりと断られたり。
路地に迷い込んでみたり。
熱海に来ているというのに、
蕎麦屋の2階でカツ丼を食ってしまったり……。
「なにしてんだ?この人たち」
はた目にはそうとしか映らないかもしれない。
それでも、少なくとも、ぼくには充実した楽しいひと時だった。
あたみ桜のまだ残る川沿いの道を歩きながら、
小さな頃のことを考えていた。
昔から無口だった。
仲のいい友達と遊んでいてもそれほど喋る方じゃない。
ただ、5分ほどの沈黙が訪れると、
「悪いなー」
と、思う。
それでも黙ったままだった。
今でも変らない。
少しだけ変ったところは
「通じる人には、通じる」
わかってくれるやつだけで十分。
そんな希望と決意のようなものを持っている。
彼はそんな人であるように感じ続けていた。
甘えかもしれないが。
もちろん齢を食い、
今では社交的な会話をできるようにはなったけれど。
そんなときぼくは自分である気持ちがしない。
通じる人には通じる。
この確信をもったのはNYへ来てから。
しかもホームレスになってしばらく経ってからだった。
様々な肌の色、言葉、民族的背景……。
NYを表わすとき、こんな表現がよく使われる。
加えて不信、裏切り、笑顔の裏の泣き顔……
中でもひときわ混沌としているのがホームレスの世界だ。
まことに厄介な付属物がある。
どこへ行っても日本人なんて1人もいない。
物理的は同じ島にいるわけだが、
あの人たちはここにはいない。
たったひとりの日本人だった。
時が過ぎるに従い、
「見たことあるな、あいつ」
そんな人間が段々と増えはじめる。
黒い人、白い人、浅黒い人。
交差することはあっても、
互いに立ち止まることをなかなかしない。
あちらは何かを警戒しているだろうし、
こちらは天性の無口ときている。
それでもやっぱり通じるものはある。
1人、2人、3人……。
ほころびは加速度的に広がっていく。
生涯、忘れることのできない人々と出会い、
ぼくも彼らもすこしずつ心を開いていく。
言葉はいらない。
オシでもいい。
ツンボでも構わない
ホームレスという社会こそ人間の原風景なのではないだろうか。
人種も言葉も肌の色も関係なく、
ただ生きるためだけに生きている。
弱い者は倒れ、
助ける者もいるが常に死とも隣り合わせている。
いい意味でも、悪い意味でも差別はなく、
誰もが人を人としか見ないし。
それ以上でも以下でもない。
人としてしか接する術を知らない。
あそこは本当の意味での平等社会ではなかったのかな。
知っているのに知らない人と熱海の町を歩きながら。
傘がない
ジョージ・ハリスンが亡くなった。
「彼は死ぬまでの20年間あまりテレビはおろか新聞にも目を通さなかった」
そんな記事を段ボールにあぐらをかいて読んでいた。
ホームレス生活にピリオドまで3ヶ月。
「インターネットだけじゃない。テレビ、新聞にも手は出さないぞ!」
誓いにも似た気持ちで小さな旅へ。
4月15、16、17の3日間だけ。
楽しむことに専念する。
それでも日常で情報に首まで浸っている身には、
時折、一瞬の不安が襲ってくる。
山奥に暮らすことはできないな。
17日深夜。
帰宅してみるとアイスランドで火山が噴火をしていた。
知らないということは
幸せなのだろうか?
罪悪なのだろうか?
臆病なだけなのだろうか?
能天気な声が終焉の迫った冬季オリンピックの結果を伝える。
合間にほんの少しだけはさまれたニュース。
たしかに耳に残り、頭では理解をしていた。
アメリカにいれば強烈に焼きつけられていたのだろうが。
Bridge and Tunnel Peopleではないが、
ここでは所詮対岸の火事に過ぎず、メダルの色のほうが重い。
情けない話だがぼく自身もあの国では弛緩していた。
「念のため……」
やっぱり用心深い。
「ひとつあとの新幹線でも十分に間に合うよ」
そんな言葉に耳は貸さない。
(念のためなんだ)
なんといってもぼくは用心深く、
待たされるのはそれほどもないが、
待たせるのが大嫌いなのだから。
雨の伊豆高原、
9時42分発《踊り子2号》に乗って東京へ向かう。
「チッ!」
いつまでたっても東京駅に入ることができず、
中途半端な場所で停車をしてしまっている。
出発したものの引き返してきた列車などで、
東京駅の路線は混雑のきわみ、ということだった。
窓から見ても別段そうは見えないので実感が湧かなかったのだけれど。
到着予定をもう15分ほども過ぎている。
(大丈夫だとは思うけど……)
不安といら立ちの中ぼくが呪っていたのは、
JRでも、
前日に「危ない橋」とわかっててぼくを連れ出した人でもなく、
海の向こうの災害だった。
(まったく迷惑なこった。遅れちまうじゃないか)
しばらくして少しだけ恥ずかしくなる。
海の向こうでは数百人、数千人の人々が、
命を喪い、喪おうとしているのにだ。
ぼくは約束に遅れることに怯え、地震に舌打ちをしている。
数分後、列車は動き出し、
約束の30分前にはなんとか当地に着くことができた。
東海道線はぼくの乗る列車を最後に運休。
チリ地震による津波警報。
次の新幹線に乗っていたら完全にアウトで、
新横浜あたりからタクシーを飛ばす羽目になっていただろう。
それでも間に合っていたかどうか。
「念のため」もたまには役に立つ。
このニュースはNYが観光地であることをいやでも印象づけた。
この国の非常時に対する姿勢も。
アイスランドの火山噴火で、
ヨーロッパの空は混迷を極め余波は世界中に及んでいる。
ニューヨークのJFJ国際空港も、
足止めを食った1000人以上ものヨーロッパ観光客であふれかえり、
ターミナル4に設置された簡易ベッドで寝泊りをしているらしい。
市長は市内のホテルに足止めを食った人々への割引きを要請した。
新聞は簡易ベッドの並ぶ光景を「難民キャンプさながら」と伝える。
日本であればさしずめ近郊にある体育館を解放し、
布団を敷き詰めるといった光景が予想される。
地震などの被災地を映し出すフィルムが印象深いせいだろうか、
それほどこの光景が珍しくないというのは怖いことだな。
日本のニュースによると成田で100人ほどが足止め。
外国人観光客を相手に成田山・新勝山や老舗旅館がおにぎりを配布しているという。
ホームレスには頬かむりをしても、
おみくじを買い、賽銭を投げる外国人には握り飯を与える。
それは悪いことではない。
Yokoso Japan!
Japan Endless Discovery
日米のそんな光景を思い描きながら結像するのは、
ぼくの場合、やはり難民キャンプではなくてホームレス・シェルター。
考えようによってはこの人たちも、難民、ホームレス状態にあるといっていい。
ぼくらが実に不確かな地盤の上に生きていることを、
この一事は伝える。
明日のことなんて誰にもわからない。
♪都会では自殺する若者が増えている
今朝きた新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨、傘がない……♪
井上陽水『傘がない』
Bridge and Tunnel People
理由は単純。
この先も日光東照宮へ行くことはない、それと同じ。
徳川家康が嫌い、ただそれだけのこと。
ひとりになりたくて。
待ち合わせの約束を1時間さばよんで伝える。
午前11時、熱海駅前で同行者の車から降りた。
1時間だけ、ただブラリとするために。
熱海へは行きたくて行ったわけじゃない。
やむにやまれぬ事情で、といったところ。
それでも初めての町。
次はいつ来るのか2度目があるのかすらわからぬ町。
1時間でいいから自分だけの時間が欲しい。
欲ばりだ。
少し古びた商店街を往って、還る。
温泉マーク入りのまんじゅう屋、
干物屋、
郵便局
かまぼこ屋、
一里塚、
床屋
時代にシッポをふらない喫茶店……。
駅構内のかまぼこ屋で試食をしたあと風景にとけこむことにした。
周りを見習いベンチで缶ビールの栓を抜く。
駅前には足湯があった。
先程、梅園でつかったからもういい。
それ以前に『家康の湯』という名前が気にくわない。
歩くうちに通り向こうにあるビルが気にかかりだす。
途中に置かれる古く、小ぶりな蒸気機関車。
明治、大将の忘れ物らしい。
「ここは『登る』じゃなく、『上る』だろう……」
《機関車に登ってはいけません》
この10文字あまりの文章ででこの街が好きになった。
国境線なんて言うけれど、
幅5cmほどでは用をなさない。
多くの場合は川や、海をはさんだり。
山のアチラとコチラだったり。
はたまた、長い長い城をこしらえてみたり。
帯は文化を隔てる。
人間がこしらえた塀という境界線、
その上をゆっくりと歩く猫たち。
Bridge and Tunnel Peopleという言葉がある。
あった、か?
今でも使うことはあるんだろうか?
少なくとも15年頃前まではよく使っていた。
川を挟んだ向こう側。
ニュージャージー、コネチカット、ロングアイランド……
そんなところからニューヨークへはるばるやって来る人たちのこと。
生活に必要なものはすべてあるのだが、
不必要なものが存在しない、存在を許されない町。
一種の蔑みと少しの同情を含ませて、
Bridge and Tunnel Peopleと呼ぶ。
日本の「田舎者」とは少し意味合いが違う。
熱海駅前。
大きなロータリーはあるのに近くに横断歩道がない。
ニューヨーカーに豹変して車道を突っ切ってもいいのだけれど、
日本の人の目はキビシク、怖い。
そんなときに地下道を発見。
静かなトンネルを抜けるとそこは駅前とは別世界だった。
うっすらと流れるBGM。
人の気配はない。
通りをはさんで建つ駅前のビル。
繁栄の残香はふんだんにある。
閉ざされたシャッターに湿った靴底の音が響く。
かつての食堂街だろう。
営業中の4軒。
ショーケースに、貼り出されたメニューにグイグイと心が持っていかれていた。
寿司、オムライス、餃子、そば、定食もあればもちろんビールだって。
3軒とも似たようなラインナップで、
すなわちぼくの好みでもある。
覗きこんだ店には小上がりさえある。
酔った吉田類さんがいてもなんの違和感もない。
しかし……。
約束の時間が迫っていた。
軽く1階、2階を流して駅へ戻ることに。
幾分ましとは言えるものの、地上もやはり似たような世界だった。
地下と同じで窓はないのになぜか少しだけ明るい。
明るく感じる。
洋品店、歯医者、ケーキ屋、喫茶店……。
3階以上はオフィス・テナント。
差し込み式の表示にも空白が目立つ。
洋品店のそばを歩く2人の年配女性。
川向こうとこちら側。
コインロッカーの値段。
駅構内では300円。
地下食堂街の階段脇では200円。
100円の差がなんだか悲しい。
使用中のものはなかった。
廃墟
サイドウォーク・カフェ。
通りに面したカフェ、レストランが歩道にテーブルセットを出しはじめる。
コンクリート、レンガ、石で出来上がった街。
綿密に設計をされた公園。
大地は人間という神が想像したもの深くに眠る。
そんな街では風物詩もまた人工のもの。
ここ数年の新顔は透明プラスチックのカップ。
温度計の表示と薄茶色のアイスコーヒーを手にする人の数が同期する。
ここしばらくの天気具合はなぜか東京と似ている。
不具合、と言ってもいいほどに寒暖の差が激しい。
30度を超す夏日。
数日後には10度を切り長袖の世話になる。
初物好き。
俗に言われる江戸っ子と似た気質なのか。
コートの背を丸めながらの屋外での食事シーンも珍しくはない。
歩きながら見ているのか、見ていないのか。
自分ですらわからない。
そんな視線はたしかにある。
屋外地下、吹き抜け沿いのカフェ。
テーブルの出されていない敷石はやけにくたびれて見える。
雪の翌朝に歩いてみても、
昨夜の手がかりを見つけることはむずかしい。
そんなエリアであるのに敷石にはまったく艶がない。
陽に灼け、塩をまかれ、零下をひと冬の間抱き込み……。
敷石はくたびれてしまったのか。
通り過ぎながら映っただけだから、
時間にして30秒程度。
見つめていたのは5秒にも満たないだろう。
車道を横切る頃には意識が飛んでしまっていた。
暗闇。拾われることのないゴミ。通りの奥に起こる匂い。
隙をうかがうチッポケな犯罪の眼、眼、眼……。
ナポリには1980代ニューヨークと同質の空気が立ちこめていた。
あの頃を思い出させるに十分な落書きの中に埋め込まれた地下鉄。
Graffitiのセンスだっていい。
作ったものではなくできあがったものなのに。
乾いた風景を見ながら郊外へ。
電車を降りて歩く。
グレープフルーツほどもあるレモンが枝にぶら下がる。
ポンペイ遺跡へ行ったのは炙られるような暑さ、熱さの日5月だった。
廃墟群。
かつて町として機能し、繁栄をしていた。
食堂、居酒屋、風呂屋、スタジアム、
上下水道も完備していれば、
風俗店もありGraffitiもある。
人々に埋め尽くされた町は、突如、火山灰の下に埋れた。
悲劇を思わせる材料に事欠きはしないのだが、
帽子をかぶっただれもが乾いた観察者の目でかつての繁栄の上をなぞる。
1900年という時間は人を冷静にするに十分な時間なんだろうか?
ミッドタウンに埋め込まれた敷石。
そこに廃墟となってしまったニューヨークを見ていた。
2010年04月14日朝。
朝の肌寒さのためか人影のない広場。
人の手によるものは、
出来上がったときに動くことをやめてしまう。
まるで地球の表面に焼き付けられたシミのよう。
生命を吹き込むことのできるのは創造主である人間だけ。
自然は愛しく、恋しい。
それでも、ぼくは都会がなくては生きていくことはできないだろう。
人は苦手だが、好きでもある。
窓辺に佇む庭に棲む猫のような距離感で生きてゆくことのかなう場所。
都会。
少なくともぼくにとっては。
数年後、
ぼくというカタチはこの地上に存在をしていないかもしれない。
数千年後に石膏を流し込まれるカタとしてだけ地底深くに転がるだけで。
電車いっぱいのSさん
2日間お休みです。
次は4月17日(予定)。
「念のため……」
そんなときは、いらないものがほとんど。
「本を読む時間は飛行機の中くらいだったな」
「カメラの充電なんてしなかった」
……
日本へ帰ってからの生活パターンもわかってきたので、
回を重ねるごとに荷物は少なくなっていく。
迷ったら入れない。
今回はスーツケースに大きな空っぽの段ボールを入れて帰った。
すき間が開きすぎてしまい。
それでもNYへ帰る際には重量オーバー。
あわや、超過料金を取られそうになる。
旅人の太っ腹の重さ。
何度も失くしたり、壊れそうになったり。
スペアの眼鏡を買うことにした。
老眼鏡を手放すことができなくなって5年が経つ。
分厚い手帳
文庫本
ペン
携帯電話
タバコ
ライター
財布
老眼鏡
便利になった世の中で増えつづける荷物。
「念のため」は入っていない。
二つ折りの財布だけは定位置である左の尻ポケット。
去年より増えているのは携帯電話と、倍の厚さになった手帳。
ポケットの少なくなる春に備えて小さなバッグを買うことに。
念のため。
生成り帆布製の小さなショルダーバッグを無印良品で。
1980円也。
バッグの起源は袋。
ある程度のこだわりはあるが、
ぼくの場合は物が入ればこと足りる。
とはいっても、数万円のバッグを否定する気はさらさらない。
Sさんと会ったのは23年前だった。
シカゴへ引っ越した数日後だったはず。
Sさんは財布を持たない。
クレジットカード各種、免許証など数種類のIDカード、お札。
そんなものを輪ゴムでグルグル巻きにして束ねていた。
3cm程の厚さは会ったはず。
Sさんはカバンを持たない。
書類、バインダー、本、ペンなどをレジ袋に入れて会社へ来ていた。
袋はたまに替わるが、
そこにはいつもDominick’sというスーパーのロゴがあった。
Sさんは1970年代初頭にNYへやって来た。
時間の大部分は当時で止まっていたのかもしれない。
少しだけフレアのかかった綿ポリのズボン。
ベルトレスだった。
「どこで買ったんすか?」
ききたくなるようなシャツは、
高い襟台、大きく長い襟、不思議な小紋模様のプリントが全身を埋めるポリエステル製だった。
今だったら「ブルーズだな」なんて思えるが、
あの頃のぼくにそんな容量はない。
家へ帰るなり「すごか人のおらすバイ」
と、当時の妻に靴を脱ぎながら伝えた。
笑いをこらえながら。
レジ袋はアメリカでも問題視されている。
15年ほども会っていないSさん。
今ごろはエコバッグですか?
財布は相変わらず輪ゴムですか?
出だしはファッションだった。
エコであることはおしゃれだった。
電車内を見回すと多くの人がエコバッグを手にしている。
買い物用ではなく、通勤用として。
しかもほとんどは別段洒落たものではなく、
はっきりいってショボイもの。
99¢で売られているスーパーなどのものが多い。
そんな中でSさんを思い出したという次第。
ファッションという入り口から入ったが、
そこではじめて機能性に気づいたのだろう。
物を入れる。丈夫である。
ただそれだけの機能に特化したバッグ。
アメリカではToteと呼ばれる。
この名前がこれほどあふれかえるとは想像だにしなかった。
別格である、L.L. Beasの帆布製Toteを除いては。
今回の帰国にあたって母へのおみやげに選んだのもバッグ。
黒いナイロン地Tote風バッグ。
99¢じゃない。
今日は仕事を終えたその足で小さな旅に出る。
いつもとは違うバッグのために勝手がちがい、
「あんたチャック開いてるよ」
と見知らぬ人から教えてもらったり、
物のありかがわからずゴソゴソしたり。
身体がオートモードで動かない。
もちろん「念のため」は入っていない(と思う)。
「念のため」は不要。
しかし、今、
ぼくがあるのも内在する「念のため」のおかげといってもいい。
基本的なところで用心深いから。
雨の日、大雪の日、強風の日、やばそうな場所で……。
6年の間、そんな中をくぐりぬけることができたのも、
どこかにあった「念のため」のおかげでもある。
ただぼくの用心深さには適当なズボラさが同居をするのだけれど。
たまにやってしまうチョンボ。
「こいつは入れとかなきゃな」
旅先でふたを開けたら空っぽだったフェイスクリーム。
この適当はテキトーではなく。
この良い加減はイイカゲンではない。
血は争えない。
NYヘ発つ朝、
ぼくは母親を見送った。
友人達と小旅行へ出かけていく母。
肩ではおみやげの黒いカバンが揺れきれずにいる。
「『これも要るかなー』と思うて、
わかっちゃおるとばってんねー。
ついつい、あれもこれも詰め込んでいつもカバンはパンパンたい」
玄関までの数メートル。
苦笑する母の背中を送って歩く。
「いってらっしゃい。いってきます」
「いってきます。いってらっしゃい
ウエストの周囲
「去年の夏はたしか……」
白いズボンのチャックを上げようとしているんだけど、
やせ中年男のたるんだ腹程度。
それでも旅は人を太っ腹にしてくれる。
飛行機内のアルコールに金を払う気はサラサラないが。
成田に到着すると迷うことなく宅配カウンターへ向かう。
身軽になってリムジンバスカウンター、ここでも金を落とす。
羽田ではキリン・ラガーの値段にも抵抗を感じない。
200ドルで偽ルイ・ヴィトンのボストンを買ってもニコニコ。
「授業料、授業料」と、
イエローキャブに遠回りされてもなんとか自分をねじ伏せる
「仕方ないよ」高いホテル代もしかたない。
似たようなもの。
某大手文具屋の支店にて。
「こちらが試筆用のものになります」
もったいぶった態度で試筆専用万年筆を渡されてもグッとこらえられる。
こんな店ではやせっぽち。
友と飲む時は金のことなんて考えない。
しょっぱいラーメン、食後に手を合わす。
買ったり、動いたり、寝たり、飲んだり、食ったり。
だまされたって小さなことなら。
日常では安いビールを求めて歩くのに。
ハッピー・アワーに間に合うよう早足になるのに。
旅先ではこだわらない。
旅に出ることは楽しい。
見知らぬ街。
見知らぬ人。
なつかしい街。
なつかしい人。
お金を使う、
これも旅また大事な旅の要素。
《日本一週無銭旅行》
ネットのコミュニケーションを使うらしいが
そんな旅をを企画・実行中の女の子がいる。
マメに宣伝・連絡を繰りかえしながら。
徒歩、馬、船、鉄道、車、船、飛行機、スペースシャトル。
時代とともに旅の形態も変りつづける。
でも、金を使わない旅って楽しいんだろうか。
人々の善意と情だけで旅に出る。
旅先では陽気でいるがそれはあくまでも旅の顔。
だれもがあとひとつの顔を持つ。
生活者としての顔。
片面だけの顔なんてありえない。
ホームレスという生き方も、
似ていないこともないけれど、
はなっから人の懐だけをあてにしているわけじゃない。
身銭を切ってこそ旅は楽しい。
おごられたり、おごったりしながらも旅を続ける。
次はおごったり、おごられたり。
数年前まで、日本国内の飛行機移動は高かった。
今ではどこへ行っても\10000か\11000。
期日指定の航空券を海外で購入しておかなければならないが。
《Yokoso Japan》という観光キャンペーンの一環らしい。
「外国人を日本へ呼ぼう」
もちろん飛行機に乗れだけではなく行く先々でお金を落とす。
旅行者の太っ腹で国をうるおそう。
なんだか寂しいなこの発想。
自分の身を受け取る側に置いたとして。
個人的に\10000の飛行機はありがたいけれど。
まるで下手な釣り師を見ているよう。
エサの先から釣り針が見えてる。
歩道に溢れる人、人、人。
地下鉄で、カフェで地図を広げるカップル。
UPS配達トラックの前でポーズを取る女性。
そんな人が増えはじめる頃、ニューヨークに春がやってくる。
暮らす者には生活の場に過ぎない。
地球人口99%の人にとっては観光地に過ぎない。
経済活動のヘソではあるがにそういったお金でも街は潤っている。
観光地になった街。
財源確保のためにカジノを検討し、
税収アップのためだけにマリファナ合法化を議論する。
観光立国はそんな考え方に似ている。
《日本一周無銭旅行》に似た脈拍を感じる。
金のためだけならば、マリファナも違法のままがいい。
「むしゃくしゃする時は買い物」
そんな女の子は多い。
身銭ということを考える。
使うことの大切さ。
なんでも、次は
《Japan Endless Discovery》
らしいですね前原国土交通相。
むかしあったテレビ番組『クレクレタコラ』。
明日から金曜日まではお休みします。
次の更新はアメリカ時間の土曜日(17日)予定です。
西インド諸島
目で、耳で焼きつけたものよりも、
匂いや味覚の記憶の方が鮮明であることがある。
今朝の話。
地下鉄への階段を下りながら、
Port Authority Bus Terminalの匂いをかいだ。
古い匂いだ。
今日がぼくの誕生日であることと無縁ではない。
48回目。
その上、あと5ヶ月でアメリカ生活24年目に入る。
人生の半分というのはやはり大きいな。
12歳の時、
「人生の半分は小学校にいる」
そんなことは考えなかったが。
排気ガス、酸っぱい体臭、乾いた小便、たばこ、アルコール、ほこり……。
そんなものがブレンドされた匂い。
24年前の臭い。
バスのドアを出たときに包み込まれた臭い。
沸点がやってきたのは別のばしょだった。
あたり前の話だがニューヨーク市はニューヨーク州にある。
しかし、ぼくの原点となるニューヨークは、
お隣のニュージャージー州にある。
長い旅だった。
サンフランシスコを起点にあちこちに寄っての旅。
それでも、その日、ニューヨークに到着することは知っていた。
"......New York,,,,,,"
運転手が次の停車地を知らせる。
聞き取りにくいながらも、
なんとかニューヨークという単語だけはつかみとることができた。
言われてみれば通りを歩く人の表情がこれまでとは違う。
弛緩した中にもどこか緊張感がただよっている。
(ぅぉ、お、お、お……)
腹の底でほとばしるものがある。
ニューヨークへ着いた。
バスが停まったのはArmy & Navy Storeの前。
不思議と誰も降りようとはしない。
しようがないからて荷物を手に出口へと向かうことに。
「あんたニューヨークまでだろう?」
「あぁ」
「ここはまだニューヨークじゃないよ。ここはウエスト・ニューヨーク」
「は???」
「まだここはニュージャージーだよ。着いたら教えてあげるから座りな」
なんとか事情が飲みこめて再び席に身を埋めることにした。
約30分後についたほら穴のようなバスターミナルがニューヨークだった。
この街に腰を落ちつけてからも、
バスで、車で「あの」ニューヨークへは何度も足を運んだ。
たまたま見かけたArmy & Navy Storeにお宝が渦巻いていた、
ということもあるけれど身体の底に、
「あそこへ行きたい」
そんな衝動が確実にあった。
いつも小さな興奮をたずさえてその町、
ぼくのニューヨーク。
ウエスト・ニューヨークへ行っていた。
今回の帰国ではJFk空港近くまで別ルートをとった。
LIRR(ロングアイランド鉄道)という中距離鉄道に乗って。
朝7時過ぎとはいえ、
通勤客とは逆方向になるので車内はガランとしている。
「……???」
車内アナウンスに耳を疑う。
電車が滑り込んだ殺風景な駅。
表示を見ると"East New York”
ぼくはコロンブスの気持ちが良くわかる。
彼にとって西インド諸島はまちがいなくインドだった。
ササヤく
人はトライアングルが好きだ。
点が2つでは線に過ぎず、
3つになって初めて面になる。
そこに線にはない安心を見出すのか。
それとも遠い文明発祥の地に想いを馳せるのか。
そして新たなトライアングルがひとつ。
チャイナタウン・トライアングル。
Canal St.-Centre St.-Walker St.の3辺に囲まれる。
日本での実感は、
以前は国民的バッグ的存在であったルィ・ヴィトンのバッグの減少。
あそこでも、ここでもという風ではなくなっていた。
それでも数百万もする限定商品を買う社長夫人はいるらしいが。
チャイナタウン・トライアングル。
そこは偽物ブランドバッグの王国。
度重なる摘発で店頭からはほとんど消えてしまった。
2003年以来、没収されたものは約50億円に達するという。
それでも消えることはない。
「あいつらには本当にしてやられてばっかりだよ……」
10年ほど前、飲み屋の常連Jの声が響く。
バッグではないけれど彼は某有名若者ブランドの社長。
「でもな」
小声で続ける。
「正直な話、うちの商品より奴らの方がいいデキなんだ」
歩道を埋める人で真っ直ぐに歩くことのできないチャイナタウン。
ささやく男がいる。
「リーバイスのセカンドあるよ」
20年前、NYのビンテージショップにて。
どこの店へ行っても同じようなささやきが聞こえてくる。
カビとホコリの匂いに混じって。
売りたいものがある。
店頭に出したくない、並べられないものがある。
そんな時に人はささやく。
求める者は救われる。
探している者に首にサインなんて下げてはいなくても、
アチラから手を差し伸べてくれる。
本人は気づいていなくとも、
Somebody's watching you.
(ブランド物バッグ探してんの?)
通りすがりの白人女性に声を掛けるアジア人女性。
その後ろ姿に10年前、20年前のひとコマを思い出す。
中華街の"Bag Whisperer"たち。
狼の皮をかぶった羊
吸いがらをポイする人。
空き缶を人ん家の前に置き去りにする人を見かけると、
必ず追いかけて肩をたたき渡してあげる人がいた。
「近頃は自然に還るものはヨシとしました」
以前ではアクセルを踏み込んで追いかけていたのに、
みかんの皮を窓から放り投げた車を見ながらニコニコしている。
年齢や経験というのは面白い。
かつての彼は羊の皮をかぶった狼だったが、
今は日向ぼっこをしているドーベルマンの横顔をしている。
羊の顔をかぶった狼。
出処はイソップ物語とずっと思っていたのだけれど、
古くはは新約聖書:マタイ伝に出てくるとのこと。
ぼくにとってはニッサン・スカイライン・GT-R(箱スカ)。
2日続いた真夏日もひと息。
今日のNYは平年並みといったところ。
それにしても気候がおかしいのか、
自分の軸がずれすぎたのか。
最近、平年並み、などの平均言葉を聞いてもピンとこない。
なんだかあいまいで、だまされているような気がして。
やっぱり性格の方がなじれてるみたいだ。
ドアを開けたときに感じたのは、
春ではなく秋の初日だった。
油断をしていた身体がヒンヤリ引き締まっていくのを感じる。
それでもチェリーの花は真っ白な花を咲かせ、
フードをかぶった二人の子どもが、
父親の周りをグルグルまわりながら通り過ぎてゆく。
気づいたらポケットの中に手を突っ込んでいた。
手袋はタンスの中に眠る。
マフラーを巻く人。
ダウンの人。
厚手のウールコートに身を埋める人。
Tシャツの人。
電車の中も期待と現実の格好の人々。
それでも2日前より冷えたとはいえ春日和。
ほぼ満員に近い。
日本では見られない風景。
自転車が3台。
1台は中華料理屋のデリバリーの人なんだろうか、
チャイナタウンにあるGrand Stで降りていった。
"Excuse me."
背後からきた影が人の間を縫うようにして移動していく。
先程までぼくの斜め後ろに座っていた女の子だった。
18歳ほどの彼女は全身黒ずくめ。
革ジャン、細身のコーデュロイ・パンツ。
黒革のサンダルとバッグには鋲が打たれ、
レイバンの黒いウェイファラーをかけている。
そこだけ茶色の、アミダにかぶった帽子。
デビュー当時のマドンナを思わせる風貌だった。
「???」
振り向いてみると、
先程まで彼女が座っていた席にはベビーカーに座る男の子に話しかけている父親がいる。
日本の街はきれいです。
いくらNYの街が以前より綺麗になったとはいえ、
まったく比較の対象にすらなりません。
もしろん清掃をする人の頑張りもあるでしょう。
それでも、
どうみても悪そうに見えるアンちゃんが、
「スッ」と仲間の輪から抜けてゴミ箱にペットボトルを放ったり。
住宅街にある自販機前。
黒塗りの車から降りてきた男性。
どうみてもその筋の方の格好をなさっています。
何も買うわけではなく、
手に持った空き缶3個ほどをゴミ箱に入れると運転席に乗り込む。
街には一時期ほどゴミ箱が見られないのに。
(以前よりは住みにくくなったかな?)
とは思うものの、日本人は基本的に几帳面と真面目さから抜けきれないのかな、
とも思う。
街には狼が増えた。
それでも大部分は狼の皮を被った羊ではないのか、と。
それは決して悪いことばかりではない。
以前は羊の皮をかぶることに憧れていました。
ぼくはそんな柄ではないし、
基本的に羊的部分が強いと思う。
たとえかぶってもそんな皮は窮屈着心地が悪い。
居心地のよい生き方をしよう、と。
でも、日本人のよくないところは自分の《楽》に甘えるところ。
ぼくも含めて。
