本日、梅雨が明けた沖縄。
トレーニングも、夕方にしかできんほど、日差しがきつい。
濃縮タイプの梅雨、連日の豪雨と、元気すぎる日差しに
植物たちは、めちゃくちゃ緑を萌やしてる。
この前、ブログに書いたゴーヤーたちもあのころはまだ小さかったのに
こんなに大きくなった。
ちょっと見ない間にこんなにも。
さすが!在来種!
沖縄の天気のリズムをとらえているみたいだ。
さて、僕がこれまで挑戦してきて気づいた役者の身体について
僕は、これを宮本武蔵の常の身だと、思う。
常の身とは
①虚領頂頚(キョリョウチョウケイ):うなじを立てる
②眼神注視(ガンシンチュウシ):自分、相手、場の身体をみる
③沈肩垂肘(チンケンスイチュウ):肩を下がり、肘が垂れる
④含胸抜背(ガンキョウバッパイ):胸を張りすぎず、広背筋を抜く
空手から派生した、躰道を調べてみて、これを初めて聞いた。
はっとした。
これって、舞台上で必要な身体と同じじゃないかと。
剣豪武蔵の教えが、武道の流派は違えど、共通しているということだ。
真剣を手にし、対峙する相手を眼前に、お互いに命を賭した局面においても
脱力、弛緩、が重要なんだと。
5つの中でも、②眼神注視は、僕にとってはもっとも興味深い。
芝居の中で、2の状態って言い換えられるかもしれない。
僕の感じている「2の状態」とは、
何かやろうとするのではなく、かといって無関心でもなく、
相手をただ受け入れ、その場をただ受け入れ、
身体は弛緩して脱力している。
脱力がゆえに、視野は広く、感覚は鋭く
一瞬一瞬、変化を認める
それがゆえに、自分、相手、空気を含めその場にいることができる。
何が起きても、自然の流れに逆らうことなく、反応することができる
そういう感覚。
これ、「常の身」だ!
感覚と、課題と、武蔵の言葉や命のやり取りという極限の状態にある武道の膨大な歴史の中で得た、人体や精神のコントロール、制御。そして放出。
それらの人類の知識が、文字となって僕の感覚に結びついた。
この時、僕は、静かに感動していた。
震えるほどに。
ここかあああ。。
やっと、役者として、俳優として、スタートラインに立てた気がした。
や、まだ「音」があるな。
やっと半人前だ。
それでもいい。
うれしい。
これ、偽りのない僕が気づいた感覚。
いったいどれほど、かかっただろう。
僕は、数々の挑戦から、最低限の状態として「常の身」だと思っている。
よかったら、参考にしてみてね。
競合相手が増えればいいさ。
僕も、負けないようにする。
これ、マジだぜ。
次は、「音」だ!
抽象的すぎるかもしれないけど、「宝もの」だからこそ、公開します!
必要な人に届いてくれ~
常の身、いかに添付(https://ncode.syosetu.com/n6168h/2/)より、引用
「水之巻」第二節
一 兵法の身なりの事
(原文)
身のかかり、顔はうつむかず、仰のかず、かたむかず、ひずまず、目をみださず、額にしわをよせず、眉あいに皺をよせて目の玉動かざるやうにして、瞬きをせぬやうにおもひて、目を少しすくめるやうにして、うらやかに見るるかを、鼻すじ直にして、少しおとがいを出す心なり。首は後ろの筋を直に、うなじに力を入て、肩より惣身はひとしく覚え、両の肩をさげ、脊筋をろくに、尻をいださず、膝より足の先まで力を入て、腰の屈まざる様に腹をはり、楔をしむると云て、脇差の鞘に腹をもたせ、帯のくつろがざるやうに、くさびをしむると云ふ教へあり。総て兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とすること肝要なり。よくゝゝ吟味すべし。
(現代語訳)
敵と向かう時、顔は俯かせず、上げ過ぎず、斜めにせず、歪ませず、目をきょろきょろさせず、顔を顰めず、眉に力を入れて目玉を動かさず、瞬
きを抑えて、遠くを見るような目で、落ち着いて眺め、鼻筋を通す様に真っ直ぐ立ち、少し顎
を出す感じにする。
首筋を伸ばし、うなじに力を入れ、肩から全身に気を回し、両肩は自然に垂らし、背筋をぴんとし、尻を突き出さずに、膝から下に力を充実させ、腰が屈まないように腹に力を入れ、楔
を絞めると言われるところの脇差しの鞘に腹を押しつける感じで、帯が緩まないようにするという古来の教えに従え。
全てに於いて、兵法をやるからにはこの身勢を常に保つことが大事だ。よく考えて工夫すべし。
【追記】
僕は、まだできない。
この弛緩する、爆発力のある身体を獲得必要がある。
文字通り、身につける必要がある。
これから、始まりだ。
挑戦が試される。

