内弟子の咲耶 日向子です。
自分の「自我」「私欲」によって決断することは
自らが主体となり、その時の運の吉凶に左右される。
自分の意思に関係なく与えらる環境や立場は
好む好まざるを問わず、まさに天意そのものである。
これまで運命学、算命学を学んできて
多くの方に出会い、鑑定をさせて頂く中で
「人の人生」「生きざま」「死にざま」「宿命」「運命」
と言うものに向き合ってきて
感じているものです。
自分の意思ではどうにもならないことも
あるかもしれない
しかし、それは必ず意味があって生じていることなんだ・・・と。
その時にはわからないことであっても
ずっと後になってから腑に落ちる事、納得する事、
気付けること
あります。
「あ~これでよかったのだ。有り難い」
・・・と。
「天意」とは、天の心、自然の道理。のことを言います。
つまり、自分の宿命に反した生き方は不自然である
とすれば、「天意」は、自然の道理、自分の宿命を生きるよう
引き戻したり、軌道修正したり、
気付かせたり、学ばせたりしてくれるのでしょう。
「人が悩む時とは?不安になる時とは?」
おそらく、自分の立ち位置や環境の不一致や
不自然に直面している時なのだと思います。
その不自然を算命学は理論的に
他人の意思や主観を入れることなく
知ることができる宿命のカルテである。
と思っています。
天意を嫌がらず、自分の意思とは違うと反発せず
感情的にならず
受け入れてみると、自然と、本来の宿命が歩む道、
巡り合わせ、仕合わせ(適職)、に導かれるものだ。
と言うことを、この算命学の世界を通じて
感じています。
人も、企業も、国家も、天意に背いたことを
してはいないだろうか?
自分に投資をする
日向子