こんにちは【運の法則】でラクに開運:青樹庵です。
昔のお話を書きますね。
小学生になって、はじめてお小遣いを2銭(千じゃなく銭です)もらって、飴玉を買ったときは大興奮しました。
いつも横目で見て通りすぎていたお菓子屋さんに走って行きました。
わき目もふらずにお目当てのものを差して「これ2つ」と元気な声です。
鉄砲玉(てっぽうだま)という黒い飴玉でした。1個5厘(りん)でしたよ。
そのころは、ほとんどの物は銭(せん)単位で売られていて、
厘という数字は知らなかったので
「1こ5厘」とガラス箱のふたに書かれている文字を見て「なんだろう」って、戸惑ったのをおぼえています。
こういうドキッとした出来事は脳の奥底に刻み込まれるのでしょうかね。こんな齢になってもふっと思い出しますもんね。
この単位、数年後には、厘(りん)は世の中から消えましたよ。たとえば2こ1銭という形になったんです。
タクシーは「円タク」と呼ばれていました。運賃が1円だったからです。
1円札というのが有りましたが、お札は子供には縁のないものでした。
お札には1円札、5円札、10円札、50円札、100円札が有りました。
たしか、10円札は別名「いのしし」とか呼ばれていて、大人でもそれを持つと、えらい鼻息だったとか。
そのくらい価値が有ったんですね。子供のころの記憶ですから不確かですが。
硬貨は1銭玉、5銭玉、10銭玉、50銭玉だったと思います。
お年玉はだいたい20銭か30銭で、
或るとき父の知り合いのおじさんからお年玉をもらったんですが、
袋の中の50銭玉を見たときは、声も出ないくらい感激しましたですよ。
そのおじさんが急にとてつもない金持ちに見えて、それ以来えらく尊敬しましたね。
50銭玉は銀貨で出来ていてとても立派なものでした。他の硬貨とは色も重みもぜんぜん違いましたからね。今に換算したらいくらになるのかな。
これも戦争が始まるとすぐに、小さくてみすぼらしい硬貨に変わりましたけど。
戦前のお金はとても価値が有ったというお話です。
生活もくらべものにならないほど質素でした。
でも、日本人の根性は今とはくらべられないほど強かったですよ。
また書きますね。
青樹でした
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