「火事はどこだ、牛込だ。牛のキン〇〇丸焼けだ」というざれ歌が、むかし子どもたちの間で流行っていたそうです。確かに牛込は火事が多い地区です。江戸の街では乾(北西)にあるので、牛込から火の手が上がると、風向きで下町の方まで全滅してしまう恐れがありました。だから子どもが喜びそうな歌で注意を促したのでしょうね。

 

 その牛込地区に、江戸の始め(慶長三年)、尊重院日靜上人という僧侶が市谷田町の長屋の中に草庵を開きました。富山出身の日靜上人は、江戸の人々の苦しみを救おうと身延山久遠寺で授かった大黒天像を江戸に移し経王寺を開創しました。

 その後、江戸城の外堀工事により、現在の牛込原町の「六銭寺上がり屋敷」の跡地に移転し現在の経王寺の基盤ができました。

 

 しかし、明暦三年の振袖火事はじめ数々の火事で経王寺は何度も類焼しました。諸堂宇が灰塵に帰しても、不思議なことに大黒天像だけは火難を逃れました。そこから、悪難を避けることのできる「開運火防厄除けの大黒天」として江戸庶民の信仰を集めることになりました。

 

 関東大震災も東京大空襲でも、経王寺のお堂も大黒天も焼け残りました。

 

 火事は一瞬にしてすべてが灰になります。でも、もっと怖いのは心の火事。この火事は怒りが原因。一瞬で信用も関係性も灰になってしまいます。心の火防にも、経王寺のお大黒様を是非お参りください。お待ちしております。

 

経王寺住職 (柳町地区担当民生児童委員) 互井観章(たがいかんしょう)