Pretzel Logic
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Steely Dan - Pretzel Logic (Two Against Nature 2000)
Steely Dan - Pretzel Logic (Two Against Nature 2000)
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2番目のLive version
Drums、コーラスの完成度の高さ
返す返すも、Liveを生で見たかった
スティーリー・ダン - Wikipedia
スティーリー・ダン (英語 : Steely Dan )は、アメリカ合衆国 ・ニューヨーク州 ニューヨーク 出身のロックバンド 。主にドナルド・フェイゲン とウォルター・ベッカー によるデュオ 体制で活動し、世界的な成功を収めた。2017年 にベッカーが死去し、以降はフェイゲンのソロユニットとして継続している。
2000年 度 グラミー賞 を3部門で受賞 [4] 。 2001年 、 ロックの殿堂 入り [5] 。世界の作品の売り上げは4000万枚を超える [6] [7] 。
概要
ラテン音楽やR&B/ソウル、ブルー・アイド・ソウル やジャズ など黒人音楽寄りで幅広く多様性を持った音楽性が特徴。ジャズ的な 代理コード や意表をつく コード進行 で曲にひねりを加え、著名な スタジオ・ミュージシャン を起用し高度な アンサンブル を構築。その独特なサウンドは、クロスオーバーや黒人音楽に関心を持つミュージシャンに、多大な影響を与えた。 テクニカルな面が強調されがちだが、1950年代、60年代のジャズやR&B が持つフィーリングを重視しており、ボブ・ディランに影響を受けた、ドナルド・フェイゲンの奇妙で難解な歌詞 も特徴の一つとしてあげられる。
略歴
スティーリー・ダン結成まで
ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーはニューヨーク のバード・カレッジ在学中に知り合い、共同で曲作りを始める。カレッジ卒業後(ベッカーは中退)2人は作曲家として活動するが仕事には恵まれず、ジェイ&ジ・アメリカンズのバックミュージシャンなどで糊口を凌いでいた。この頃に作られたデモテープは、後に「ベッカー&フェイゲン」名義の作品集としてレコード、CD化されている。ようやくABCレコード のプロデューサーのゲイリー・カッツに才能を見出された2人はロサンゼルス に移住、バンドとしてレコード・デビューするために旧知のミュージシャンを呼び寄せ、スティーリー・ダンを結成した。バンド名は、ウィリアム・S・バロウズ の小説『裸のランチ 』に登場する男性器の張型 「Steely Dan III from Yokohama」に由来する[8] 。
結成当初のメンバーは、ドナルド・フェイゲン(ボーカル、キーボード)、ウォルター・ベッカー(ベース)、デニー・ダイアス(ギター)、ジェフ・バクスター [注 1] (ギター)、ジム・ホッダー(ドラム、ボーカル)、デイヴィッド・パーマー(ボーカル)。主なスタッフにゲイリー・カッツ(プロデューサー)、ロジャー・ニコルズ(エンジニア)。
デビューから活動休止まで(1972年 - 1981年)
1972年 、デビュー・アルバム『キャント・バイ・ア・スリル 』発表、そこからシングル・カットされた「ドゥ・イット・アゲイン」は全米6位の大ヒットを記録[9] した。
プロのミュージシャンとなればライブ活動は必要不可欠だが、本来作曲家としての活動を望んでいたベッカーとフェイゲンは肉体的にも精神的にも過酷なライブ を嫌い、それがやがて他のメンバーとの軋轢を生む。また作品を追うごとに理想とするサウンド とメンバーの演奏力の差が明らかになると、彼等の感情を無視して外部のスタジオ・ミュージシャンを積極的に起用するようになり、バンドとしての一体感は失われていった。
1973年 、2枚目のアルバム『エクスタシー 』発表。
1974年 、3枚目のアルバム『プレッツェル・ロジック 』発表、そこからシングルカット された「リキの電話番号(Rikki Don't Lose That Number )」は全米4位と、シングルとしては彼ら最大のヒットを記録した[9] 。しかしすでにこの頃はバンド形態は崩壊寸前状態で、パーマーは既に解雇され、同年にバクスターとホッダーも解雇され、ライブ活動は停止した。なお同年のライブではマイケル・マクドナルド [注 2] ジェフ・ポーカロ [注 3] がツアーメンバーとして参加している。
1975年 、4枚目のアルバム『うそつきケイティ 』を発表。
以降はスタジオ・レコーディングのみの活動に専念、トム・スコット 、ラリー・カールトン 、チャック・レイニー 、バーナード・パーディー 、スティーヴ・ガッド ら主に、クロスオーバー 系の腕利きミュージシャンを大勢起用するようになった。
1976年 、5枚目のアルバム『幻想の摩天楼 』を発表。ゴールドアルバムに選ばれチャート15位に入賞、ちなみにスティーリー・ダンのアルバム中、最もギターが多用された作品である。
1977年 、6枚目のアルバム『 彩(エイジャ) 』発表、全米3位、200万枚を売り上げる大ヒットを記録した彼らの代表作である。 同アルバムでは、東西の有名スタジオ・ミュージシャンを贅沢に起用していた。音楽評論家からも高い評価を受け、このアルバムはスティーリー・ダンの名声を決定的なものにした。なおデニー・ダイアスが本作を最後に正式にメンバーから外れ、スティーリー・ダンは名実共にベッカーとフェイゲンの2人だけのグループとなった。
1980年 、7枚目のアルバム『 ガウチョ 』 [10] 発表後、スティーリー・ダン、すなわちベッカーとフェイゲンのコンビは翌年に活動を停止する。『ガウチョ』もヒットを記録、高い評価を獲得したが、前作の評価があまりにも高かったゆえに制作時のプレッシャーは並々ならぬものがあった。フェイゲンやプロデューサー ゲイリー・カッツ の完璧主義は前作を超え、演奏に寸分の狂いも許さず、一方ベッカーは麻薬に溺れ レコーディング どころではなくなっていた。 前作に比べ、膨大な時間(2年半)と費用(日本円で1億円以上)がかさんだり、アルバムのメインとなるべき曲が思わぬミスで消されるなどのトラブルが頻発したが、完成度の高さは頂点を極めている。スティーリー・ダンはこのアルバムを区切りに、長い休止期に入る。
ソロ活動〜再結成(1982年 - 2003年)
1982年 、ドナルド・フェイゲンはソロ・アルバム『ナイトフライ 』を発表。スティーリー・ダン時代のサウンドにさらに磨きをかけ、以前に劣らぬヒットと高い評価を獲得した。3M 製32トラックのデジタル・マルチトラックレコーダー を使用した音響面のクオリティの高さも絶賛され、一時期はPAエンジニア のサウンド・チェックの定番となっていたほど「音のいいアルバム」といわれていた。
一方のウォルター・ベッカーは麻薬中毒から脱するためにハワイ ・マウイ島に移住。1985年 にチャイナ・クライシス のプロデューサーとして音楽界に復帰した。その後、フェイゲン、ベッカーともに目立った活動をすることはなかった。
1993年 、フェイゲンのソロ・アルバム『カマキリアド 』をベッカーがプロデュースしたことをきっかけに2人での活動を再開する。そして同年に「スティーリー・ダン・フィーチャリング・ウォルター・ベッカー&ドナルド・フェイゲン」名義でライブツアーを開始、翌年には初来日も果たした。このツアーの模様は公式のライブ盤『アライヴ・イン・アメリカ 』として発売されている。
1996年 、再び世界ツアーを行ない、同年に発表したベッカーのソロ・アルバム『11の心象(11 Tracks Of Whack )』をフェイゲンがプロデュースしている。
2000年 、スティーリー・ダン名義としては『ガウチョ』以来20年ぶりとなる8枚目のスタジオ・レコーディング・アルバム『 トゥー・アゲインスト・ネイチャー 』を発表。全米6位の大ヒットを記録し、同年の グラミー賞 では最優秀アルバムをはじめ4部門を獲得した。
2001年 、「ロックの殿堂 」入りを果たした。
2003年 、9枚目のアルバム『エヴリシング・マスト・ゴー 』発表。
同年、アルバム『彩(エイジャ)』がグラミーの殿堂 入りを果たしている。
ベッカーの死去(2017年)
2017年 9月3日 、ウォルター・ベッカーの死去が、ベッカーのオフィシャルサイト上で発表された。67歳没[11] 。当初死因等の詳細は発表されていなかったが、11月16日 にベッカーの妻デリアにより、死因については急激な進行の食道癌 であったことが公表された[12] 。癌は毎年受けていた健康診断で発見され、化学療法による治療を行っていたものの、進行が早く発見から4ヶ月も経たないうちに死去したという。ドナルド・フェイゲンは追悼声明で、大学時代からの長年の友人でありバンドメイトでもあったベッカーを回想するとともに、スティーリー・ダンとして作り上げてきた音楽を、自分ができうる限り続けていきたいと語った。
フェイゲン単独体制〜以降(2017年 - 現在)
ベッカー死去の翌週から、意向の通りバンド活動を継続。ベッカー亡き後初のツアーは10月13日、オクラホマ州タッカービル公演からスタートし、「ドゥービー・ブラザーズ 」とのジョイントライブをイギリスで3公演開催する事を発表した。
2019年 秋、過去の名作『幻想の摩天楼 』『彩(エイジャ) 』『ガウチョ 』『ナイトフライ 』のアルバム全曲を再現する日替り企画を、秋の米東海岸 ツアーにて実施[13] 。
「Pretzel Logic / Steely Dan」
PRETZEL LOGIC 歌詞 Steely Dan ふりがな付 - うたてん