大学の自分のゼミの4年生の卒業制作に向けての、本来なら作品講評なのだが、講評ではなく、メッセージとして「総括」を書いたものを今回は載せてみました。
AI時代においての大学において学生に「伝える」とは何か…
考えて書いた「総括」です。

卒業制作に対して講評ではなく、総括として書くことにしました。
今の時代、ChatGPTやGemini、DeepSeek、Anthropic、Claude、Qwen、Pangu、Hnyuan、Yi、などなど、また、新しく出てきたWudaoと、だれでも使えるジェネレティブAIが次々と生まれてきています。
はっきり言って今までのような講評ならば、いろいろなAIを使ってビッグデータの中で作品を分析・要約して直接的な「答え」を生成・提示してくれるわけだから、遙かに常識的で的確な講評をAIの方がしてくれると思います。
ぼくはみんなに、これからの時代、AIにできない、「自分にしかできない」ことを考えるように何度も言ってきました。
そのぼくが、AIにでもできるような常識的な講評をするのは違うと感じました。
考えました。
自分にしかできない、卒業していくみんなに最後に伝えることとは何か。
まずみんなは創作の大学へ来て学んだのだから全員「作家」のはずです。
作家というのは、その作家でしか書けない表現だから作家と呼ばれています。
ですが、現実は、プロでは売れるものでなければ掲載も連載も単行本もなかなか出してもらえないこともあり、いつのまにかアンケートという、マーケティング重視のデータで創る作品が中心になったのが、ぼくが歩んできたこれまでのプロのメディアです。
ぼくは作家として、「今、これが売れているからこういった感じで書け」という、編集たちからの要望はとてもイヤで、つまらなく、自分の作品を書くためにどうすればいいか、そのことをつねに考えていました。
編集の要望に応えながらも、自分の作品の形へと持って行く。
これはぼくの周りの、今も活躍する作家仲間たちといつも議論していたことです。

もちろん、当たり前ですが、書きたいものだけでなく、お金のために書いた作品もいくつもあります。
ですが、自分しか書けない作品があったからこそ、ぼくは何十年も、そして今でも作家をやっているし、作家としてぜったいに必要な「研究」も、つねに「目的」を持ってやって来られたと思っています。
そしてAI時代となった今、絵や物語が描けなくてもAIで創作できる時代になりました。
AIは、今、スマートフォンがなければ困るように、AIも生活の必需品となってきています。
その中で作家として生きるにはどうしたらいいか、卒業してからのみんなにとっても大きなテーマとなるはずです。
作家として生きるということは、作家だけで生きるということではありません。
もちろん、プロとしてそれだけで生きれたら最高ですが、この世界はそんなに甘い世界ではないことは、50年以上この世界で生きてきて、ぼくの周りにいたたくさんの天才作家たちが、時代の流れの中で、作家として食べられなくなっていったことを見ているので、その厳しさは知っています。
ですが、作家だけで食べられなくても、働きながら作家をつづけることをみんなにはやってもらいたいと思っています。
作家として生きることは、本当に面白くやりがいのある、ぼくは作家で生きてきてよかったと実感しています。
作家であったおかげで、世界で活躍する何人もの人たちと出会い、またそんな人たちと友人となってきました。
会いたいと思った人はほとんど会うことができました。
同じ作家仲間も、戦友のように、今でも会うと創作のことで熱く語り合います。
また、自分の大好きな世界に身を置き、その風景の中で世界中飛び回り、見て、経験して、感動してきました。
そしてつねに新しいものへの挑戦。
大学に入り、研究者ともたくさん出会い、研究仲間もまわりにたくさんいます。
この世界にいたからこそ、自分が興味の中で自由に成長できたと思っています。
「しあわせ」は何かと考えたとき、これだけの人や風景、すべての興味あるものと出会える生き方、まさに「しあわせ」を感じることのできる場所だと、ぼくは感じています。

この総括は、ぼくにしか書けないことを、みんなに伝えることなので、どうしても田中誠一.という作家の生きてきた経験で書くことになります。
ぼくはエッセイやコラムも、サンデー毎日や、モノマガジンなどで何年も連載してきたことから、エッセイの感覚でこの総括を今書いています。
ぼくの場合、自分にしか書けない作品を書くためにやってきたことは、間違いなく「取材」です。
20歳半ばからの作品は、ひとつの作品を書くにあたって、だいたい2年の取材期間を使ってきました。
たとえば、ぼくの作家として一番多く書いてきたボクシングの世界です。
その世界のボクサーならジム、プライベート、試合、そのボクサーの生まれ育った場所、両親、兄弟、友人、コーチなどなど徹底的に取材してきています。(これだけやるのだから、実際2年はかかります)
こうやって書くと、すごく大変のように感じるかもしれませんが、そのボクサーのことを知ると、「もっと知りたい」、「もっと知りたい」とワクワク感がどんどん膨らんでいきます。
そして次に、「書きたい」という衝動が抑えきれなくなっていきます。
「書きたい」「書きたい」「書きたい」、どんどん作品のキャラクターたちが頭の中を動き回ります。
そしてラフを創ると、それを持って出版社や、テレビ局にプレゼンです。
編集たち、ディレクターたちにとっても、ぼくにしか知らないことが詰まった作品の企画に、マーケティングを忘れて「やりましょう!」と言ってくれる編集が、10社回ったら、1社は必ずありました。
その編集が心を動かされたのは、ぼくが選手と過ごした日々から生まれてきた、ぼくだけの言葉であり、感覚であり、空気感です。
つまり、キャラクターがぼくの吐き出す作品の中で生きているということです。
その生きたキャラクターに編集は惹かれたわけです。
それは当たり前ですが、ぼくにしか書けない言葉であり、作品です。
以前、みんなにも見せましたが、ぼくの著作「拳雄たちの戦場」の前書きに、ちばてつや先生が書いてくれた言葉があります。
その一部を抜粋します。
その闘士たちが、どのようなきっかけでボクシング界に入り、どういう練習を重ね、どのような体調のもとにリングに上がり、あの名勝負が行われたのか。
田中誠一さんの熱い文章の行間から、また、田中さんの目でしか取れない写真やイラストをとうして、リンクサイドの興奮が、ドラマが臨場感を持ってひしひしと伝わってくる。
もう少し早く田中誠一さんと会っていたら…
この一冊のさわりだけでも読んでいたら…
「あしたのジョー」も、もっとさらに豊富なキャラクターに彩られ、もっと深みのある、もっと人間味に溢れた作品になったのではないか…
と、今更ながらではあるが残念でならない。
ちばてつや
ぼくにとって、宝の言葉です。
ぼくは小学生5年のとき、「あしたのジョー」に出会い、震えるほどの感動とともに、マンガ家への憧れ。それが自分の表現の原点になっています。
ぼくの中の一番高い山の頂上が、「あしたのジョー」でありちばてつや先生です。
そのちば先生からの言葉。
作家にとってこれ以上の喜びはない言葉でした。
ぼくは連載の締め切りだけで、3年ほど前に数えたら1200以上の締め切りをやってきていました。単発の作品を含めると1500ほどの作品を創ってきています。
やめようと思ったことはありません。
これ以上面白い生き方はないからです。

ぼくは大学へ来て研究者として生きるようになって、まず感じたのが、大学の学生たちのあまりの作品の少なさです。
みんなに何回か言ってきたことだから、みんなもわかっていると思います。
「書きたいものがわからない」と答える迷子の学生もいました。
ぼくはそういったことがなかったので、それはなぜなのか、ぼくなりに考えました。
ぼく自身は、書きたいことがいっぱいあります。
歳を取るごとに増えてきて、書きたいことだけではなく、今はマンガを使った、教育、観光、福祉、経済、人材育成と、つねにいくつかのプロジェクトを進めています。
ひとつひとつ本気で取り組むと、やりたいことも増えていくというわけです。
今も、2月冒頭にさくら市の市役所で大きなプレゼンが控えていて、その資料制作で毎日奮闘しています。
今、ぎっくり腰で椅子に連続で座れる時間が1時間が限界なもので、座って、寝ての繰り返しで自分なりにがんばっています。
少しぐらい休んだらと言われますが、休むと落ち着かず、よけいに苦しい時間になってしまうからです。
では、ぼくは10代のころからなぜそれだけの作品を書けることができたのか。
みんなとの違いは何なのか、考えてみました。
ぼくががんばれた一番の要因は「プロ」でした。
17歳のとき、週刊少年ジャンプで賞をもらい、17歳から音楽も含め、自分の創っていった作品がプロの作品となったことが大きかったと思います。
プロになれば当たり前ですが、レベル以下の作品を創ったとたんに、仕事はこなくなります。
実績のない新人など、ダメと思われたら簡単に捨てられる世界です。
その世界に夢を抱いていたこともあり、とにかく必死でした。
仕事がこなくなるということを「死ぬ」と捉えていました。
作家として「死ぬ」というわけです。
みんななも同じだと思いますが、自分がこの世界で生きて行けるのか、とにかく不安でした。
不安だから、とにかく創るしかなかったのです。
プロになっていたから、次々に創っていかなければ忘れられてしまうし、レベルを落とせば仕事はこなくなります。
もし、あのときプロでなかったら、間違いなくサボっていたと思います。
「今日、これだけやったし、まぁいいか」と、創る苦しさから逃げ出せる場所にいたなら、ほとんどの人は逃げだします。
作品を創っていくにおいて、すべて生きたキャラクターを生み出すことから初めてください。
いくら技術を磨いても、構図やパースなど研究しても生きたキャラクターが生み出せてなければ、その技術は漠然としたものになります。
生きたキャラクターを生み出せば、そのキャラクターに命を与えるために、目的を持って技術を覚えたいと思うはずです。
ぼくが新しい技術を作品に取り入れたいと研究しているのは、生きたキャラクターが見えていて、そこにどうやったら命を与えられるかつねに考えているからです。

冒頭にみんなはとにかく作品が少なすぎると書きました。
自分が何を書いていいかわからないという学生の言葉も書きました。
それも含め、生きたキャラクターを生み出せば、まず「何を書いていいかわからない」という悩みはすぐに解決するはずです。
キャラクターが動き出せば、キャラクターと会話するだけでどんどん自分が生んだキャラクターのやりたいことが見えてきて、書きたいことはどんどん増えていきます。
増えていけば、生きているキャラクターなのだから、そのキャラクターの生きている世界を知りたく、取材で飛び回ることになっていくはずです。
すると、いろいろなことを経験し、体験し、自分の中の、キャラクターの生きている世界が膨らむことで、「書きたい」「書きたい」「書きたい」と、もう自分の中から吐き出したいことが溢れでてきます。
そしてキャラクターが動けば、そのキャラクターが映像のカメラワークのように頭に浮かんでくるはずです。
その浮かんだ構図を書くために、必要だと思えば必死にパースなど技術を学びたいと、やらされる勉強ではなく、自分の表現手段として自分が知りたい勉強になっていくはずです。
友人の高橋留美子先生に、らんまが始まる前あたりだったと思います。
留美子先生のマンガのテクニックを知ろうと質問したことがあります。
「留美子先生はどうやって創っているのですか?」
そのときの留美子先生の答えは「頭の中に見開きでキャラクターの動きがどんどん見えてくるの」という答えでした。
自分の創ったキャラクターを留美子先生は「自分の子ども」といつも言っています。
その子ども達が留美子先生は頭の中で動き、あの天才的な作品が生まれていたということです。
生きたキャラクターを生み出せば、みんなもすべてのことが見えてくるはずです。
特にAI時代においては、生きたキャラクターを動かす、3D化する、会話ができるようにする。
これからはハプティクスなど感触も創れることにもなるし、味も世界中で研究されています。
生きたキャラクターが創れた時点で、すべてのテクノロジーは自分だけの作品を羽ばたかせてくれる「道具」となるはずです。

最後にぼくがみんなに伝えたかったことは、「生きたキャラクターを今の時代の中で考えてください」ただひとつです。
絵の技術的アドバイスや、普通なら講評でやる、細かいチェックなどより、まずはキャラクターが創れなければ何も始まらないというのがぼくの考えです。
ぼくのキャラクターの生み出し方を簡単に書きましたが、これは作家によってみんな違うと思っています。
ぼくはノンフィクションの作品も数多く書いてきたことから、スポーツ選手なら、そのスポーツ選手がどういった環境で、どういった人たちに囲まれ、どういった生き方をしてきたのか。
そして、いつ、そのスポーツと出会い、世界のトップ選手になっていったのか。
それを徹底的に取材することで、選手のキャラクターが出来上がり、生きたキャラクターが見えてきました。
実はフィクションでも同じやり方で作品を創ってきています。
みんなが今から生きて行く世界は、AIにより、作家は、本当の作家しか生き残れない時代が来たと思っています。
AIには創れない、自分が感じ、自分が体験し、自分の五感で感じた中、自分だけの作品が創れる作家です。
ぼくはとてもいいことだと思っています。
AIによって、人間が生み出す作品を考えなければ生きていけない時代になったということは、本物の作家だけが世に出られる時代になったということだと思っています。
プロでまだ仕事をしていないゼミ生は、まずプロを意識して制作をやってみてください。
プロで生きることは大変ですが、プロになることは簡単です。
人には自分しか書けないものを必ず持っています。
それを表現することで、驚きや感動、また情報でもいいです。自分の生きてきた中で、自分の得意とする分野で、キャラクターを生み出し、そのキャラクターをどのように使えば、クライアントが求めている作品が創れるはずです。
たったこれだけを考え、いつも言っている「だれにでもできることを、だれにでもできないだけやる」で、それはお金を取れる作品になります。
最初に書いたように、プロとして仕事を請ければ、大学の課題の何倍ものテンションを持って作品に向き合えるはずです。
この先、制作していくためにも、プロを知ることで、本気の自分を経験して、見つけてください。
最後なので長々と書きました。
ぼくが作家として、ぼくしか伝えることのできないことを、ゼミの総括として書きました。
田中誠一.
今回も「旅の空」の動画を創った。
80年代、90年代に追い続けたボクサーの思い出の1分間。
旅の空XXI Boxing scenery
20代後半から40代と、当時のぼくのスケジュール帳は
毎日がボクシングだった。
後楽園ホールを中心とした試合会場、ボクシングジム
沖縄から北海道まで選手の育った地。
海外へもボクシングのためだけに。
生きるとは…生命力の強さとは何かを追いかけた日々だった。