はじめまして、病気で働けないため、2016年8月から生活保護受給者になった人です。


簡単に自己紹介をします。



平成のはじめの方に東北の田舎に生まれました。

一応、経済的には恵まれた家庭で育ちました。

父は公務員、母は会社員でした。

幼稚園、小学、中学まで同じクラスメイトでした。小6秋からイジメというかクラスに馴染めなくなりました。無視される、仲間はずれにされるは日常茶飯事。中学生の頃は登校拒否や不登校になりました。高校進学するが不登校になり、通信制高校に転校。4年制でしたが5年で卒業。21歳でした。

親がいわゆる毒親だったため、親から離れたい一心で上京。

千葉で派遣のお仕事が決まり引越しまでするが「性同一性障害は前例がない」と不採用を言い渡される。

東京に引っ越す。仕事がなかなか決まらない。決まっても3ヵ月以内で辞めるを繰り返す。結局、この頃は親から仕送りを貰う悲しい現実でした。

仕事が続かない理由は過敏性腸症候群とコミュ障と能力(適性)が問題かと。

2015年の秋には埼玉で一人暮らしを始める。

2016年1~3月だけは仕送りなしで暮らすことが出来ました。フリーター生活を続けるが精神科に行く余裕がなく、過敏性腸症候群も酷くなる一方だったが、長期の仕事に就こうと決意する。(2016年6月)

しかし、結局、腹痛が治まらず、仕事も覚える余裕もなく、クビというか自主都合退社。

まずは過敏性腸症候群を治そうと生活保護を受けることを考え始める。



そして、ここからが大変でした。


2016年7月上旬、生活保護を受けたいと福祉課に行くが「若いから生活保護に浸って欲しくない」との理由で別の制度を紹介される。再三、生活保護を受けたいと申し出るも何度も何度も「若いから生活保護に浸って欲しくない」と返される。

その日は結局は粘りに粘っていたが空腹で貧血を起こした。


水際作戦にあった私はないお金で仕事を探すことに。

派遣に採用されるが、やはり過敏性腸症候群の腹痛のせいで不採用になり、途方に暮れる。


同行してもらえば良いんだ!と思った私は苦手な電話を 法テラス→首都圏生活保護ネットワーク→近くの司法書士 という具合にし司法書士さんと8月に申請に行くことに。


前回の対応が嘘のように申請が出来た。


可否を待つ間に家族から連絡があったので紹介したい。


とても苦手な姉からは「生活保護なんてよく考えたな」というような見下したような意見。


母からは覚えてません。


それから祖母には伝えてないそうです。



8月下旬やっと生活保護を受給できるようになりました。




受給後は次回書きたいと思います。