知人が『啐啄まえだ』という名前の焼き鳥とワインのお店を安佐南区山本に開店いたしましたので、先日お邪魔して来ました。

以前より「啐啄」という言葉について聞いた事はあったのですが、無知なもので意味までよく知りませんでしたので、店主に教えて頂きました。


 禅の言葉に「啐啄同時」というのがあり、5月は野鳥にとっては子育ての時期です、卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がコツコツとつつくことを「啐」といい、ちょうどその時、親鳥が外から殻をコツコツとつつくのを「啄」といいます。雛鳥が内側からつつく「啐」と親鳥が外側からつつく「啄」とによって殻が破れて中から雛鳥が出てくるのです。

 両方が一致して雛が生まれる「機を得て両者相応じる得難い好機」のことを「啐啄同時」というのです。親鳥の啄が一瞬でもあやまると、中のヒナ鳥の命があぶない、早くてもいけない、遅くてもいけない、まことに大事なそれだけに危険な一瞬であり啐啄は同時でなくてはなりません。

 このように「啐啄同時」は、弟子をヒナ鳥に、師匠を母鳥にたとえ、師匠と弟子が意気相合して、間に髪を容れる瞬間もないことを示す言葉であります。禅門では修行者と師僧とが、互いに意気が合って一体不離になっていることをいいます。すなわち弟子の修行が円熟しておることに気づいて、師僧が悟りの機会をあたえてあげる、師僧の励ましに応じる境地に弟子が至っていなければだめなのです。
 親子であっても、卵の殻を内側から子も無心につつき、母も外側から無心でつつく、互いに意識せず、「啐啄同時」というのは自然にそうなっているものです。相談しながら同時につっついたりするものではありません。


という事だそうです。

師匠だけが殻を破ろうとつついてもダメですし、弟子だけが破ろうとしてもしかり、双方が同時に同じように破ろうとしなければならないという事です。
親と子の関係、また他の人間関係もまた同じだと思います。

私についていえば、子供たちがやる気になり、今この時だという瞬間を見逃さず指導し、ただ勝手に教えこもうとしてムダ骨を折ったり、教えなくてはならない大事な時期をはずして手遅れになったりしないように肝に銘じたいと思います。

『啐啄まえだ』に行かれる際には御一報いただければ、ご案内いたしますので。