西武・セゾン

西武・セゾン

堤義明が率いた西武王国と、異母兄・堤清二が築いたセゾン文化。
彼らが追い求めたものは一体何だったのか―――。
闇に葬られた両者の知られざる攻防劇に迫る。

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永江朗『セゾン文化は何を夢みた』朝日新聞出版、2010年9月


弊ブログにアクセスしてくださった皆さんが、

この本1冊を読んで頂けるのであれば

私はもう、ここに何も書く必要はありません。


というくらい、いい本です。


私は学校の図書館でこの本に巡り合い、

どうしても手元に置いておきたかったので

先日、ジュンク堂書店池袋本店で買い求めました。


そのジュンク堂書店池袋本店は、

嘗て売り場面積が日本一だったこともある超大型の書店なのですが、

1フロア当たりの面積が小さい分、高層になっており、

エレベーターやエスカレーターで頻繁に上下移動しなければなりません。

そのエスカレーターは、池袋の街をちょっと上から眺められる

貴重なスポットです。


池袋は流石、西武の高速バスが高頻度で行き交っています。

その高速バスの車両なのですが、未だに多くの車両は

昔の西武ライオンズカラーのまま運行されているのです。

昨年の春、箱根に行った時にも、何と大涌谷で

このライオンズカラーの車両とばったり遭遇してしまいました。

小田急との箱根山戦争に敗れたというのに

西武は本当にしぶといですね。。。


旧西武のオーナー、堤義明が逮捕され

新生西武グループが発足し、

2007年には新しいコーポレートカラーが制定されました。

それから5年以上の歳月が経ち、

西武鉄道では新カラーが車両やサイン表示などで積極的に採用される一方で、

西武バスでは旧西武時代のカラーを払拭するような動きはほとんど見られません。


そして、ジュンク堂書店池袋本店のエスカレーターにて、

西武の高速バスが丁度眼下を横切って行くのを見ていて、あることに気付きました。


驚いたことに、車両の屋根に、まだ番号が記載されているではありませんか。


その昔、オーナーの義明は日常の移動にヘリを利用していました。

何せ、世界一の大富豪になったこともある人物ですからね・・・。

そのヘリから、地上を走っているバスを確認するために

車両の屋根に車番がペイントされるようになったようです。


オーナーが去ってから、随分と時が流れましたが、

番号の書かれたライオンズカラーのバスは

池袋の街を往時のように行き交っていました。


池袋にいると、今尚、

西武やセゾンが絶頂期にあるような錯覚にとらわれてなりません。


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今ではアメリカの世界最大小売りチェーン「ウォルマート」傘下となり、

KY(カカクヤスク)といったキャッチコピーで、安売り路線を突っ走っている西友ですが、

その起源は、まだ堤康次郎が西武グループ総帥の座に着いていた1956年まで遡ります。

西武百貨店のスーパーマーケット部門として「西武ストアー」が設立され、

その後1963年には“西武の友”という意味で「西友ストアー」と改称しました。

この時代は、西武百貨店と西武鉄道の経営母体が同一だったため、

西友は西武鉄道沿線を中心に店舗網を拡大していました。


1964年に康次郎が死去し、

西武百貨店を核とする西武流通グループ(後のセゾングループ)は、

二男の清二の手に渡りました。

西武鉄道グループは異母弟の義明が引き継いだため、

この時点で西武百貨店や西友と、西武鉄道は全くの別会社となったのです。


ところで、

コンビニエンスストアのファミリーマートや、

無印良品が

西友から誕生したことを

皆さんはご存じだったでしょうか。


ファミリーマートは、実は、西友の小型店がその起源です。


また、無印良品は、西友のプライベートブランドとして誕生しました。


その後、

ファミリーマートは、株式会社ファミリーマートに、

無印良品は、株式会社良品計画として、

独自の道を歩んできましたが、

その両社が2006年に資本再提携をしたのです。

結果、ファミリーマートの中に無印良品のコーナーが誕生しました。


さらに2007年には、ファミリーマートと西武鉄道が業務提携を始め、

西武鉄道駅構内の売店をファミリーマートと同等の商品やサービスを提供する

「TOMONY」に置き換えています。

そのTOMONYも、ファミリーマートと同様に無印良品の商品を扱っています。


西友から生まれたファミリーマートと無印良品という兄弟は、

誕生から20年以上を経て、見事再会を果たしました。


そして何といっても、セゾングループに属していたファミリーマートが

西武鉄道グループと再合流したことは、革命とも言えるでしょう。

嘗て、義明と清二が君臨していた時代には、絶対に有り得なかった動きです。


こうした旧西武と旧セゾンの歩み寄りの例としては他に、

クレディセゾンが発行するプリンスカードがあります。

プリンスカードのプリンスは、旧西武を象徴するプリンスホテルのプリンスです。

同じカードの上にSAISONとPRINCEの文字が書かれているのを初めて見たときには、

目を疑いたくなりました。


こうした、セゾンから独立して立派に成熟した“セゾンの子供たち”のゆる~い連携や、

旧西武と旧セゾンのゆる~い連携を

皆さんもぜひ探してみてください!

実に奥が深くて面白いですよw


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「西武」を冠している以上、西武百貨店が、

西武鉄道をはじめ、「西武」を名乗るものと同じグループに属しているのであろうと、

多くの人が誤解するのも当然です。


西武百貨店池袋本店は、西武池袋線の池袋駅に直結していますし、

西武ライオンズが優勝すればセールを行いますから、

一般の利用客は漠然と「西武」という企業体が存在しているように

錯覚してしまうのも無理はありません。


西武百貨店も西武鉄道も、

もともとは西武の創業者である堤康次郎が経営していたので、

同じ西武グループに属していたと言えます。


その後1964年に康次郎が死去した際、

西武グループを継ぐのは3男の義明ではなく、

異母兄の清二であると目されていましたが、

実際にはグループ総帥の座は義明に渡りました。

そして、不遇を受けた清二に対して義明は

本業ではない流通部門を委ねたのでした。


こうして、

西武の本業である鉄道やホテル・レジャー施設を中心とした西武鉄道グループを義明が、

西武の副業である百貨店を中心とした西武流通グループを清二が

率いていくことになり、

暫くは相互の関係維持に努めようとしていましたが、

父の七回忌を機に相互不干渉の確約を交わし、

2つのグループはそれぞれの道を突き進んでいくことになりました。


それでも、清二の持ち分である西武百貨店や西友などで

義明の持ち分である西武ライオンズの優勝セールを催したり、

義明の持ち分である西武鉄道沿線の建物を

清二の持ち分である西友に賃貸するなど

ゆる~いつながりは保ち続けていました。


相互不干渉によって兄弟間の競争意識に火が付いたこと、

ゆる~いつながりによって実態以上に大きな「西武」を演出できたことが

「西武」ブランドを押し上げることにつながったのでしょう。


清二の西武流通グループは後に、セゾングループと改称しました。

改称の理由は、表向きには、

西武流通グループがクレジットカード事業を始めるにあたって、

「西武カード」では身内でしか使えない印象を与えてしまうため、

一般凡庸カードに相応しい名前として「セゾンカード」という名称にしたことを機に

グループ名もセゾングループにした、

ということになっています。

しかし、改称に至った背景には、兄弟間の確執により

清二が「西武」からの独立を鮮明にしたかったことがあるように思われます。


それでは、タイトルにもあるように

セゾングループの中核である西武百貨店は、何故、

セゾン百貨店に改称しなかったのでしょうか。


その答えは、

西武百貨店池袋本店、通称イケセイの建物の所有者が

西武鉄道グループの義明だったため、でした。


もし、建物が清二に譲渡されていたならば、

確実に、西武百貨店はセゾン百貨店になっていたことでしょう。


こうして、セゾングループの中で百貨店には「西武」の名前が残ってしまい、

セゾングループが解体され、

そごうと経営統合し、

セブン&アイ・ホールディングス傘下となった現在に至っても尚、

西武百貨店は西武百貨店であり続けているのです。


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先日、本探しのため、久々に池袋の地を踏みました。


私は9歳までを池袋から急行1駅10分の街で育ちました。

正に池袋は庭でした(今は新宿が庭、池袋は別荘のようになっていますが・・・)。

そのため、幼少期の思い出の中には必ず池袋があります。

そうしたバックグラウンドがあるためか

私の中には今も、セゾン文化の精神が流れているようです。


西武百貨店池袋本店、通称イケセイのSMA館(後のイルムス館、現:別館)にあった

セゾン美術館は、99年、四半世紀の歴史に幕を下ろしました。

それは、私が7歳の時ということになります。

という訳で、記憶は朧げです。

でも何度か母に連れられて行ったような印象が残っています。

しかし、難解な前衛芸術を主に扱う美術館などに、

保護者は子供を連れて行くでしょうか・・・?

因みに母に当時のことを訊いてみましたが、記憶が最早曖昧で

確かなことは分かりませんでした(若年性認知症などではありませんww)


セゾン美術館では、ほとんどの企画が赤字だったようで、

その採算度外視の運営は

今でいうメセナの先駆けのようだと良く言われています。

その赤字を多少なりとも抑えるため、

前衛芸術を取り扱う展示だけでなく、

一般大衆向けの展示も行っていました。

恐らく、私が幼稚園や小学校時代にセゾン美術館へ連れられて行っていたとしても、

それは、ショックが大きくて教育上悪いかもしれない??前衛芸術ではなく、

一般大衆向けであり、尚且つ子供向けの展示だったと思われます。


セゾン美術館の前身は、75年、本館の最上階の12階にオープンした西武美術館です。

美術館を名乗っていますが、百貨店の催事場に過ぎず、

89年に場所を別館に移して博物館法が適用されたのを機に

セゾン美術館と改称しました。

現在の別館はその際にセゾン美術館の頭文字をとって別館からSMA館に改称しましたが、

その後99年に美術館は閉館し、

デンマークの家具ブランド「イルムス」が入居したことによりイルムス館と改称しました。

そして、2008年から2年間、イケセイが総額400億円をかけて大改装・耐震化工事を行い、

それに伴って、イルムス館には無印良品の旗艦店がオープンし、

巡り巡って再び別館の名に戻った、という訳です。


その別館では今も、

セゾン美術館の末裔“的”存在の西武ギャラリーが細々と活動を続けています。

厳密には、末裔は軽井沢のセゾン現代美術館ですね。

嘗てのセゾン美術館の収蔵品は今、こちらに収められているようです。

近いうちに軽井沢へ、西武黄金時代の痕跡を探す旅にでも出たいなと考えています。


池袋はその昔、書店の街でした。

今も、ジュンク堂書店池袋本店やリブロ池袋本店といった大型書店の本店があり、

家電と共に、本の激戦区とも言えるでしょう。

先日、リブロへ行って、

ここならもしかすると旧西武・旧セゾン関係の本の品揃えが豊富かも、、、

と思い、探してみたところ、

堤義明に触れる内容が書かれた旧西武関係の本は一切取り扱っておらずwww

旧セゾン関係の本は普通にボチボチといった状況でした。

結局、旧西武・旧セゾン関係の本はジュンク堂の方で探し求めることにし、

ここでは、丁度偶然遭遇した「古地図展示即売会」で、

東京市15区時代の明治30年の鳥瞰図と、

東京市35区時代の昭和8年の地図を購入しました。

詳しくは今度、ブログ【住宅街探訪】にでもアップしたいと思います。


ジュンク堂書店といえば、つい最近まで私の庭、新宿にもありました。

新宿三越アルコットの6階から8階だったと思います。

しかし、今では皆さんもご存じ、

ビックカメラとユニクロがコラボした「ビックロ」なるものに様変わりし、

嘗ての三越の面影は、階段部分の袖壁や手摺などに僅かに残すのみとなってしまったのです。

私としては、この変化は非常に無念です。

昔、新宿三越アルコットの確か4階から6階には、

これまた旧セゾンのロフトがテナントとして入っていた時代がありました。

ビックロも確かに面白いことは認めます。

でも、新宿からロフトも消え、ジュンク堂も消えてしまったのは、喪失感が大きすぎました。


そんな訳で、別荘の池袋まで足を運ぶ生活を余儀なくされています。

因みに池袋のロフトは小さいので、渋谷まで行かねばなりません。。。


ここまで書いてきて、この記事のタイトルの意味を見失いそうになっていました。


そのリブロへ行ったついでではありますが、お隣の無印良品の池袋西武店にも立ち寄りました。

先にも書きましたが、イケセイの大改装に伴ってオープンした店舗で、別館にあります。

そして、セゾン美術館の末裔“的”存在の西武ギャラリーも、

嘗てセゾン美術館のあった別館にあります。

その昔、西友のプライベートブランドとして誕生した無印良品ですが、

現在では良品計画という、西武百貨店とは別の会社が運営しています。

※現在、西武百貨店はセブン&アイ・ホールディングス傘下です。

その無印良品の池袋西武店で流れた、ある店内放送を聞いて、

思わず私は鳥肌が立ってしまいましたw

西武ギャラリーの案内放送が流れたのです・・・!


そこにはまだ、セゾンが生きていました。


セゾン解体から10年以上の歳月が経過しようとしています・・・。

セゾンが生んだ数々の事業(西友・LIVIN・無印良品・ファミリーマート・ロフト・パルコetc...)は、

それぞれ独立し、立派に成長を遂げています。


これからも、そいうった“セゾンの子供たち”の現在の生き様や、

今尚残る旧セゾングループのゆる~い繋がりに迫っていけたらと思います。

今回の、無印良品で流れた西武ギャラリーの放送は、ゆる~い繋がりの好例でしたw


そして、セゾン文化の精神が骨の髄まで染み込んでしまっている、私のような人間も、

セゾンの子供たちと言えないでもないかもしれません。


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あなたにとっての西武を一緒に思い出してみましょう。



大磯ロングビーチ

プリンスホテル

苗場スキー場

軽井沢ショッピングプラザ

八景島シーパラダイス


これらは、西武が残していったものの一部です。



西友

ファミリーマート

無印良品

パルコ

ロフト

リブロ

J-WAVE


これらは、もうひとつの西武が残していったものの一部です。


もうひとつの西武とは?

答えは、セゾンです。

クレジットカードの名前ではありません。

セゾンカードをつくったのも、セゾンです。



西武の創業者は堤 康次郎(つつみ やすじろう)という人物です。

彼には数えきれないほどの子がいましたが、

その中の義明(よしあき)に、西武を

清二(せいじ)に、もうひとつの西武を託しました。

もうひとつの西武は、副業の流通事業でした。

こう言うと、清二の方が弟のようですが、実は兄です。

こうして、兄弟間の確執が生まれました。


兄は東大卒で小説家でもあり、前衛芸術にも強い関心を寄せている人物でした。

彼は、持ち前の才能で、三流の西武百貨店を一流の文化発信基地に甦らせました。

しかし、バブル崩壊後の業績不振で、セゾンは解体されました。


一方で、本業を託された弟は、金銭欲と物欲の塊と言っていいかもしれません。

世界一の億万長者の座を手にしたこともありました。

しかし、証券取引法違反で逮捕され、西武王国は崩壊しました。

今は保釈金を払い、ひっそりと余生を過ごしています。



以上、大雑把ではありましたが、西武と、もうひとつの西武である、セゾンについてお話ししました。

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