けがれなき神の家族

けがれなき神の家族

秘められたる神秘の御傷の聖母 
https://kegarenaki-kaminokazoku.amebaownd.com/
http://www.divine-innocence.org/

祷りの冊子---償いの1日---道行の祈り他

https://docs.google.com/document/d/1WHuEc32k14RxXA_89ytNzcuvt7WsZA5u/edit?usp=share_link&ouid=108018721498568891306&rtpof=true&sd=true
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12/28は 幼子殉教者の祝日
この日に 「同士殉教者」の列に
この中絶で殺された子供たちを入れてくれるように

地上の教会が それをみとめて祝日にするようにと
天国で希望しています

皆さんで、毎月の初金の償いの祈りの行進と
この12/28を祈りでお祝いしましょう!

祈りと行動!

キリストの「神の純真潔白」の道(DI 54)

The Way of Christ’s Divine Innocence, Spring 2024

© copyright Patricia de Menezes. 2024 (Mica試訳

 

今回は聖ヨセフの特集号です。聖ヨセフが直接語っておられるディヴァイン・イノセンスのメッセージと、聖家族の中での聖ヨセフの役割の重要性、また、わたしたちキリスト者としての生活における聖ヨセフの役割の重要性について語られているディヴァイン・イノセンスのメッセージを集めました。贖(あがな)いの幕開けに聖ヨセフは、聖母マリアに次いで、イエスに近い方でした。カトリック・キリスト教の伝統は、聖徒の交わり[諸聖人の通功]における聖ヨセフの特別な位置を証言しています(英語版p.28参照[旧ミサ典礼書からの朗読])。福音書で、聖ヨセフについては、聖母よりも更に少ししか語られていません。しかし、イエスの生活におけるマリアの役割と同様に、聖ヨセフの役割は、イエスの救いのミッションが明らかにされていく上で、中心となるものでした。彼らのミッションは、イエス・キリストご自身の体であるカトリック教会の中で継続しています。教会のメンバーの一人ひとりについて、聖マリアと聖ヨセフは特別に心をかけておられます。

ディヴァイン・イノセンスのメッセージでは、わたしたちの生活の全てを、イエスを中心とする、とりわけご聖体として現存されるイエスと、神のみ言葉であるイエスを中心とすることによって、わたしたちがイエスのようになることの重要性を示しています。しかし、それだけではなく、基本的な召命である「聖なる者となる召命」において、男性であることと女性であることの意味深さを示しています。

聖ヨセフは、ご自分の役割の尊厳と、全ての男性の役割の尊厳は、この世におけるイエスの命の保護と監督にあると話しておられます。全ての男性は、その人生と召命において、キリストのように聖なる者となるよう招かれています。しかしまた、聖ヨセフの役割を果たすようにも招かれています。

全ての女性は、キリストのように聖なる者となるよう招かれています。しかしまた、聖マリアの役割を果たすようにも招かれています。マリアの役割とは、自分自身の命と召命の中におられるキリストの命をはぐくむことです。男女どちらも、互いに敬意を表しながら、協力して働くようにと言われています。

これができるよう助けを受けるために、わたしたちは、完全にコミット(献身)したカトリック教徒となり、また、聖家族のメンバーとなる必要があります。「聖家族の修練」において仕えることは、ただ単に成聖のための鍛錬を、教会の中で、教会を通して受けるというだけでなく、聖家族を通して与えられる恵みをわたしたちが受けるということです。

男性と女性の役割において神が意図される完全さを捻じ曲げ、混乱させるこの罪深い世にあって、聖家族は、神の善と、男性・女性・家族における神の秩序を実現させるための、真理の灯台であり、恵みの道具です。

男性が罪深い行動をするとき、あるいは、神のお望みではなく歪められた男性らしさの姿を生きるとき、歴史においても現在でも、そのダメージの証拠には事欠きません。治療を提供するために、「沈黙を破って」、聖ヨセフの役割はカトリック教会において高められています。少し例をあげるだけでも、教皇文書、ミサの奉献文への聖ヨセフの名前の追加、聖ヨセフの聖年、聖ヨセフへの奉献の祈り、そして、聖ヨセフを保護の聖人とする男性グループの立ち上げの増加などがみられます。

ディヴァイン・イノセンスのメッセージはこれに貢献しており、聖ヨセフの役割に協力する実践的な道を、「聖家族のコミットメント」によって提供しています。

*フランシス・フロスト神父(ディヴァイン・イノセンスのメッセージの神学的研究を制作された神学者)の言葉。

 

1996年5月1日、労働者聖ヨセフの祝日

パトリシャ:聖務日課[教会の祈り]の時に、聖ヨセフ様が聖域の中にお出でになりました。わたしたちが、聖務日課を最後まで続けるように望んでおられることを、態度で示されました。「神の言葉」は私的啓示に優先するからです。ヨセフ様が聖域の中に来られたのは意味深いことでした。そのおかげで、わたしは、家庭がナザレと同様に、神の臨在の神聖な聖域となるべきであることを理解させていただきました。

詩編と朗読のあいだ、わたしは多くのものを見せられました。今日の祝日の聖務日課の最後に、ヨセフ様は次のメッセージをくださいました。朝の賛歌は次のように歌っています。

朗読:「ヨセフよ、聖書は、あなたの王家の系図の栄光をたどることを喜びます。しかし、あなたの家系は途絶えます。後継ぎが長く続くことはありません。」

聖ヨセフ:すべての男性が、わたしの役割の後継ぎとなるように召されています。その役割とは、彼らも、この世にあるイエスの命の保護者・監督者となることです。キリスト教の時代には、ずっと昔から、この崇高な尊厳が男性に差し出されてきました。

聖霊の御助けによって、御父の神である御子のお世話(ケア)をし、お護りする任務をゆだねられ、御父のみこころを行うことは、何という祝福でしょう!天の高みにおられる御父ご自身から、あなた方のまことの父性は与えられています。ああ、男たちよ、来なさい!立ち上がり、けがれない聖性とイノセンスのうちに、あなた方に運命づけられた役割を担いなさい!

わたしの息子たちー普遍のナザレの修練に与っている息子たちー、日々のつらい労働を忠実に果たし、自分のすること、出会うこと全てのうちと、自分自身のうちにあるキリストの命を警戒して守ることによって、あなた方は、まことの王職を果たしています。この王職は、神から全ての男性に与えられた賜物です。あなた方の役割が全世界で完成されるように、神をお助けし、また、わたしを助けてください!

ナザレの家庭で聖母とわたしは、造り主である御方が、わたしたちに与えてくださった全ての事物を、驚きをもって見つめていました。語られた創造主のお言葉は、肉をもって私たちと共におられました。御子の崇高な神性が、わたしたちの目の前にありました。御子のご霊魂は、わたしたちの命と存在の魂として、わたしたちと共に、ここにありました。御子の家庭は、わたしたちの家庭でした。家族の一人ひとりが日々の仕事で材料を使う時、わたしたちは目の前に、これら全ての賜物(材料)の源(みなもと)を見ていました。聖母がパンを作る時、わたしたちの目の前に「命のパン」がおられました!

聖ヨセフ:わたしたちが水をくみ上げる時、ここ、わたしたちの目の前に「救いの井戸」がおられました!わたしが、固有の特徴をもった様々な木材を使って仕事をするとき、ここ、わたしたちの目の前に、これら全てをお造りになった方がおられました。

パトリシャ:聖なるご夫妻は、み言葉が肉となられたという崇高な現実と、お二人が遂行された驚くべき役割を、少しずつ認識できるようになっていかれました。聖三位一体の一致と、愛と、平和こそが、お二人の暮らされた生活でした。わたしはこの神秘を、言葉でうまく説明することはできませんーしかし、わたしたちは、聖家族の修練と、諸秘跡と、教会の教えによって、実際に、この神秘の一部となることができます。

十字架の御足元で、わたしたちの聖母は、神秘的な意味で「神秘の御傷」をお受けになったことを、わたしは理解しました。マリア様は、十字架の下に立たれた時でさえ、父なる神のお望みを行うことを、喜びとなさいました。

聖ヨセフ:ああ、ここ、わたしたちのつつましい家庭にある、見えるもの、見えないもの、この全ての現実の、何と崇高なことよ。何百万冊もの本も、わたしたちが発見した数々の神秘を、書きおさめることはできないであろう。これら全てと、終りのない宝が、わたしたちが生きたのとまったく同じ、この[聖家族の]修練のもとに来て、これを謙虚に生きる者には、差し出されています。聖母とわたしは、喜びのうちに死を迎えました。あなた方も、この「普遍のナザレにおける修練」の中で良く生きたならば、人生の終りに、喜びのうちに死を迎えるでしょう。

はじめに、人はエデンの園の管理者でしたが、不従順によって、神と共に歩むという特権を失いました。新しいエデンの新しい園-聖家族と神の教会-にあって、あなた方は再び、神と共に歩みます。わたしたちが地上でそうしたのと同じです。

パトリシャ:聖家族の修練によって、この地上で神と共に歩むということがどういうことかを、よりはっきりと体験するようになります。聖家族の修練は、霊的、実践的、そして個人的な道です。これは「キリストの『神の純真潔白』の道」であり、カトリック教会を通してのみ、完全に理解し、生きることのできる道です。

2サムエル7:28、29(労働者聖ヨセフの祝日の朗読)

朗読:「主よ、あなたはまことの神、あなたの言葉は真実であり、あなたは、あなたの僕とこの素晴らしい約束をしてくださいました。その約束が、あなたの御前で永遠に続くようにと。主なる神よ、あなたが口を開かれ、あなたが祝福してくださいましたので、僕の家は、永遠に祝福されています。」

パトリシャ:神が話され、その言葉がナザレで肉となり、ベツレヘムで産まれたところを、わたしは見せていただきました。聖家族の修練を通して、地上の神の家庭は永遠に祝福されています。そして、普遍教会の中にある「普遍のナザレ」を通して、さらに大きな祝福が与え続けられています。これは、神の素晴らしい約束によって、永遠に神の臨在のうちにあります。わたしたちは、肉体の目では見えない現実に、確証を持てるようになります。なぜなら、わたしたちはそれを、霊の目で見ることができるからです。

聖ヨセフ:それぞれの男性としての役割、女性としての役割を正しく行う者はみな、父である神に祝福されています。全ての男性がキリストに似た者となり、キリストを中心とした生活を送り、世にあるキリストの命を警戒して守ること、そして、全ての女性がおとめである聖マリアのように、キリストに似た者となり、キリストを中心とした生活を送り、世にあるキリストの命をはぐくみ、母としての世話をすることが、御父のお望みだからです。

パトリシャ:聖書の索引から、「ナザレ」と「ナザレ人(ナザレの)」という言葉を探して聖書箇所を参照することは、良い学びの課題となるでしょう。聖書辞典で調べて、これらの言葉がどのように使われているかを確認するのも良いでしょう。例えば、ルカ1:26、2:39,51、4:16、マタイ2:23「彼はナザレ人(ナザレの者)と呼ばれるであろう」。マタイは「ナザレ人(ナザレの者)」を預言の成就であり、イエスがメシアである証拠と理解しています。この言葉は、十字架に打ち付けられた言葉の中に含まれていました(ヨハネ19:19)。そして、初代キリスト者に対して嘲笑的に使われていました(使徒24:5)。マルコ1:9は、ナザレを、イエスがそこを去り、洗礼を受けにいく場所として示しています。また、マタイ4:13はナザレを、そこから宣教に出かける場所として示しています。「ナタナエルはこう言っています。『ナザレから良いものが出るであろうか』。フィリポは彼に言っています。『来て、見なさい』」(ヨハネ1:46)。

 

1999年6月1日(ii)

パトリシャ:わたしは聖ヨセフ様の役割について考えていました。

パトリシャ:主よ、ヨセフ様が加えておられることは何ですか。

イエス:彼は、御父の保護と監督権を加えています。これは、全ての男性の役割です。それを知っていたならば、男たちは、自分の役割をより良く理解できたことでしょう。ですから、この原初の霊性(オリジナル・スピリチュアリティ)を広めることが、まことに必要なのです。男性は、保護することと、生計を立てることによって、御父の愛を現すように学ぶ必要があります。聖ヨセフの役割は、御父のケア(お世話、配慮)を表現する父性的役割です。御父の決定的なみ言葉が、肉となり、聖ヨセフのケアのもとに置かれました。

 

2003年7月4日、初金曜日

パトリシャ:愛するお母様、男性の聖ヨセフ的役割は、その男性が病気になったり、年を取って脆弱になったりして、女性を守れなくなった場合には、どうなるのでしょうか。

マリア:正しい男性が、キリストのようになる努力をしてきて、自分自身と、女性と、子供たちと、他の男性と、自分の召命の中にあるキリストの命を守ろうとしているにもかかわらず、弱さが物理的活動を制限するとき、父なる神は、その正しい男性を、お見捨てになると思いますか。そのような男性にも、祈りと、善を行いたいという望みと、忍耐と愛の模範があります。彼は、自分の命と喜びと苦しみを、ミサの聖なる犠牲(いけにえ)に合わせて、家族の必要のために捧げることが、今でもできます。また、独身男性の場合であれば、近しい家族と全人類のために、そのようにできます。彼は、愛と喜びをもって、聖霊の力に頼ることができます。彼は、より深く謙遜を学ぶことができ、また、読書と学びの時間によって信仰を学ぶことができます。女性も同様に、生活の状況が変われば、その役割も変化します。

パトリシャ:愛する聖母よ、では、とても高齢になるまで、やるべきことをやらずに、善い人生を送らず、遅くなってからやっと、カトリック信仰の素晴らしさと「神の純真潔白の道」を見い出した人はどうなのでしょうか。

マリア:その人たちは、小ささの道から始めて、崇高な栄光を生きなければなりません。そして、小さな子供たちと同様に、わたしの御子の「神の純真潔白の道」を歩み始めなければなりません。以前は、罪を犯し、自己中心的な生活を送っていたかもしれません。あるいは、人生が与えた傷を癒すために、時間を使い過ぎていたかもしれません。しかし、今は、恵みと秘跡の助けによって、全く新しい生活を始めなければなりません。このような人たちが、男性であろうと女性であろうと、聖家族における三位一体的生活を送りたいというのであれば、彼らは、わたしの御子の「神の純真潔白の道」を歩む鍛錬が不可欠であることを受け入れなければなりません。文字を読むことができるならば、聖務日課[教会の祈り]を唱え、信仰を学ぶことができます!話すことができるならば、神への賛美を歌うことができます!ロザリオを唱え、ご聖体に現存される我が御子を称えて聖体メダイを身につけることができます!これまで告解とミサに行かなかったならば、告解とミサに行くことによって、へりくだることができます!このカトリック・キリスト教の霊性は、教会そのものの霊性です。この霊性について、福音と聖書とここでのメッセージによって、全て学ぶことができます。このメッセージは、神の啓示の、より深い理解です!

ここにいる皆が勤勉に信仰を学んでくれたなら!わたしの子供たち、あなた方の主と、教会と、あなた方の天の母に従順でありなさい!学び、学び、学びなさい!あなた方の償いに感謝しています。あなた方の償いが、カトリック信仰の学びを忠実に実践するものでありますように!

わたしの母性的祝福を与えましょう+。               〈2024年6月7日(初金)配布〉

 

写真は、ロレートの 聖ヨゼフの祭壇