中学の同級生が21日の朝方亡くなったと知らせを受けました。
彼は数年前から闘病していて、去年の正月の同窓会で私はそれを知りました。
投薬の副作用で腎臓に影響が出ていることや治療の様子から癌の一種だと察したけど、最後まで本人に病名を直接聞くことはなかった。
大阪在住の彼は、これが参加できる最後だと覚悟して帰省してきたのだと思います。
二人で話した時、そんな風なことを言っていました。
その時の私にはガンに対する知識はほとんどなく、ただ、私が心臓病だと彼は少し知っていたので、話してくれたのかもしれません。
中学時代は、同じクラスで、まぁ、普通に話す程度。高校からは別で実に20年近く会ってもいなかったのです。
その同窓会をきっかけにフェイスブックで彼が闘病生活をたまに投稿するようになりました。
そんな中、オットの癌がわかり、私は彼に病院を選んだいきさつ何かを教えてもらったりLINEでやりとりを少ししていました。
そして、オットは残念ながら他界。
その後彼の闘病生活をフェイスブックの投稿で見守るだけの日々。
しかし今年の2月に、彼から連絡があり、同級生からメッセージを集めてもらえないかと。
エンディングノートを作っているらしく、それに貼りたいからと。
病状があまり良くないことも知りました。
正直、戸惑いました。
上記のように、そんなに仲がいい友達って訳じゃなかったから。
でも、彼は私が協力するってわかってたんだと思います。
私はオットのために何も出来なかった。
オットが何も望まなかったから。
オットと同じような状態の友達が望んでいることなら、やってあげたい。
そう思って、実は苦手な取りまとめをやることに。
まぁ、他にもやってくれる人がいたし、連絡回して集める場所を提供しただけですが。
他の友達は大阪に会いに行ったりしてたけど、私は体力的、時間的にそこまで出来なかった。
でも、私に出来ることはやれたので良かったです。
彼の実家に手紙を届けたとき、おばさんからかなり状態が良くないことをききました。
あとは、一日でも長く生きられることを祈るばかりだ、と。
ああ、もうそんな段階なのかと愕然としました。
まだ35歳なのに。
小さい子どもも居るそうなのに。
それでも彼から届いたお礼のメールは、強さが滲み出ている文面でした。
とても苦しんだだろうし、怖かっただろうし、不安で仕方なかっただろうと思います。
本人と家族にとって、本当に、経験しなければわからない苦しみなんです。
それでも彼は強かった。
心から、お礼を言いたい。
ありがとう。お疲れ様。
早過ぎるけど、その分、向こうでゆっくり休んでね。
いつか、また会おうね。私たちが行くまで待っててね。
Candyからの投稿