時が過ぎるのは早いもので、あっという間に十二月を迎えて二週間が経とうとしていた。俊くんとはあっさり別れた。私にも彼にも承諾するほかに選択肢がなかったと感じ取ったに違いない。あれだけ私に依存していたくせに、そんなもんか、やっぱりなとまで思ってしまった。

 私は京一さんとの約束の前に、新しい服を買いに出かけていた。いつもは表参道にいそうな女の恰好だけど、少しスカートなどにも挑戦しようと考えていたのだ。着圧のあるスキニーなど好んでいた私は冬の寒さにもいよいよ耐えられなくなってきた。ボルドーの少し大人びた形のスカートを試着すると、少し前に本屋で見かけた尾形真理子の「試着室で思い出したら本気の恋だと思う」を思い出した。今度読んでみようかなと思った後に、このことを試着室で思い出したから、この本に恋しているのかと思い、一人でクスっと笑ってしまった。そのスカートは自分でもびっくりするくらい似合っていた。そしてそれを買った。学生の私にしては少し高かったけれど。

 クリスマスは京一さんとボルドーのスカートと共に過ごした。ビールやウイスキーを浴びるほど飲み、二人でお風呂に入り、もう寝ようかと誘われたベッドの中で行われたオリンピックは無事に金メダルを獲得したし、同窓会のワンピースは彼に一緒に選んでもらったチャイナドレスも獲得できた。体のラインが出てしまうけれど、私なら綺麗に着こなせた。両親にも似合っていると称

賛を受けたし、バッチリ決まった。

 年末は二人でジャズを聞き流しながらワインを飲んだし、一月末には旅行へ出かけた。それが最初の旅行だったから、九州へ行ったのは覚えている。揃って博多ラーメンをすすり、ただひたすらに路地裏をうろうろしていたはずだ。とても有意義な時間だった。彼も忙しい人だったので、なかなか休みが合わない中の奇跡的な時間でもあった。二人である古着屋の鏡の前に立った時、なかなかにお似合いなカップルだと思った。それはどうやら彼も一緒らしい。お互いに少し微笑むとまた歩き出した。

 2月上旬、私の高校時代の友人が集う同窓会へ足を運んだ。実を言えば、怖かった。また、あの先生の顔を見ることになるかもしれない。そうなると居てもたってもいられなくなることくらい、安易に予想できた。京一さんが選んでくれたチャイナドレスを身に纏って、足が綺麗に見えるハイヒールを履いて、タクシーから降りて会場へ向かう。ショートに切った髪を揺らして昔にはなかったえらく鋭い目つきで同級生を圧倒。担任だった先生までも息をのんでいた。受付を済ませた私と一緒に横にいた友達は早速ドリンクを頼み、位置へ着いた。来ていた人たちの中には、元カレや仲良くしていた人も、大嫌いだった人も、バイトが一緒だった人もたくさんいた。会が始まっても目線は常に私に向けられていて、しんどくなった私はお手洗いへ駆け込んだ。結局、会場には例の先生はいなかったし、そこは安心できたが、高校時代と打って変わりすぎたせいか、みんな驚きの表情を隠すのが下手だった。ぱっと化粧を直して、ヒールをカツカツ鳴らしながら、会場へ戻った。会場には、時間が経つにつれて人が多くなっていて、みんな、声をかけてくれる。私は、高尚な人間を装って、軽く相手する。奥で何人かが私を妬む目で見てくる人間が目に入った。それが面白くて、楽しくて、この気取り屋を最後まで辞められなかった。一緒に来た友人と最近のことについて話しながらカウンターで飲んでいた。カウンター席では何人かが話しながらグラスに口をつけていたが、立ったり座ったりがなかなか多く、忙

しなかった。横に一人、座った人がいることは感じた。気にならなかったからスルーしたが、ビールを頼む声が私を硬直させた。ダメだ。振り向いては。目を合わせてはならない。横にいる友人は何とも微妙な面持ちで、わかりやすくぎこちなく話している。誰が来たのかは、二人ともわかっていた。私はもう一度お手洗いに行ってくると言って、席を立った。

 あぁ、こんな仕打ちがあっていいのか。来ないと思っていたのに。あの先生が来る意味はあったのか、何を思って、どんな気持ちで此処へ来たのか、目的は何だったのか、私をがっかりさせるために来たのか、ああそうか、現実を見せに来たのか、昔の甘い気持ちを掘り起こして、ネックレスを置いて帰ったことを反省しろと言いに来たのか。こんなことばかり考えてしまった。手洗いから出ると、喫煙所へ直行し、カツカツと灰皿の前へ立つとウィンストンの先に火をつけて、自分を落ち着かせる。しかし、近づいてくる足音にせっかく落ち着いた気分も台無しになってしまった。私は灰皿に煙草を押し付け、振り向いた。するとやはり、あの男が立っていた。

 「久しぶりだな」と軽く微笑んだ男に、私は「ええ、そうね。」としか返せなかった。次に彼が口にする言葉は何だろう。それに対して私はなんて返せばいいのだろう。一瞬で全てを理解しようと必死だった。わかっている。十も離れた男と結ばれるなど、私の人生を狂いに狂わせるに違いなかった。彼は私にとっても、自分にとっても有利な選択をしたまでだ。そう思えば綺麗に終われると思っていた。彼は何かを差し出してきた。私が掌を上にして受け皿を作ると、そこに私が置いて行ったネックレスがするりと落ちた。何も言えなかった。本当に言葉を失ってしまった。この人は何を考えて私にこれを渡したんだろう。肝心なことは口に出てこなかった。そして一言、「綺麗になったね」とだけ言って、彼は会場を後にしてしまった。私は何を言えばよかったのだろう。もしあのことを思い切って聞いてみても、答えてくれただろうか、いや、きっと答えてはくれなかっただろうな。そんなことを考えるに考えた。そして一日が終わった。

 高校時代は専ら本を読んでいた。読むのはもちろん、書くことも好きだった。将来は小説家になりたいほど本が好きだった。本はたくさんのことを教えてくれる。常識はもちろん、知らないことは本が全て教えてくれた。大人になって、大人の女性がどんなことを思うのか、楽しんでいた。本を読んでいる時だけは、自分だけの世界に入れるような気がした。一人でいる時は専ら書いていたし、授業の合間に読んでいた。そして、また書き始めた。

 そうしているうちに季節は変わり、春になった。少しずつ仕事にも慣れてきた。忙しいけれど、仕事があるのは信頼の証拠だしと思って、一日一日を大切に生きた。京一さんはまだ京都に住んでいて、野洲に住む私のアパートからは遠いけれど、それでも時間があれば行き来していた。京一さんは、遠い道のりを苦とも言わずに来てくれた。この前あの先生と会ったけれど、京一さんといると、京一さん以外のことを考えないから心が浮いて感じた。

 私は京一さんとならどんなことだってしたいし、京一さんになら、何をされてもいいと思っていた。言葉一つ、やりとりの一つ一つが私の生きる糧になっていた。彼はどう思っているだろう。こんなにも人の心を読み取る能力があればいいのに。と思う反面、嘘も本当も、仕草や言葉も全部人間らしくていいとも思っていた。付き合っているのに日々募るばかりの想いは時に私を苦しめた。もともと重い気質の私は、会えない時の夜は不安で布団の中で泣いて過ごすほどだった。見た目からは想像できない病む性格で、自分でも少し厄介を背負っていた。京一さんは案外詮索をする人で、私のことを調べつくす程だ。私はそれが嬉しかったし、自己肯定感や認知欲が満たされた。私が書く小説は、そんな重い自分と、京一さんのことを記したものだった。半分の現実

と、半分の理想や妄想を織り交ぜて。またキーボードを叩く。

 私は椎名林檎が好きで、よく聴いていた。彼女の女としての人生を全うしているような、あの立ち姿が好きだったし、端正な顔立ちで、他にない独特の雰囲気で、できることなら彼女になりたいと思った。自分に自信はなかったけど、できるだけ他の女の人とは差をつけるようにした。京一さんはそれを好としてくれていて、安心して自分の世界を造れた。七色の自分はすごかった。スキニーもジーンズもスカートも全部似合うような気がした。そのためにどれだけ苦労したことか。ご飯の量はいつもの三分の一程に減らし、お酒も一週間に一日、缶ビール一本にした。おかげで体重は六キロ落ちたし、首回りがほっそりして、鎖骨が顕になり、体力もなくなった。努力の賜物ってすごいと思った。そう思ったあと、一瞬、自分が気持ち悪くなった。無理矢理痩せることが良いことじゃないことが、わかっているのに、やめられない自分が怖くて、嫌悪感に侵された。日に日に食欲が減って、痩せていった。どれも「痩せなきゃ」という使命感のようなものが私を呪っていた。

 中学の時から、学校のカーストは中の下くらいだったように感じる。勿論上位はスタイルが良くて、おしゃれで美人な子ばかりだった。流行はその子たちが作っていたし、それに乗れない私たちはその子たちとは別の世界で生きていた。高校へ上がればどうにかなると思っていたが、何も変わらなかった。キラキラとした彼女たちに対して思うのは、私も綺麗にならなくちゃ。という感情だった。そんな時出会ったのが椎名林檎だった。これくらい魅力のある人間になればきっと道行くすべての人に振り向いてもらえる、そう思った。そのころから、「痩せなきゃ」の呪いは纏わり憑いていた。色気を求めるために化粧は丁寧に、大した用事のないときは全くしないで肌を休ませた。さらに知性を磨くために数ある本を片っ端から読み漁り、息抜きにゲームもした。健康のためにダーツも嗜んだし、ギターも弾き始めた。完璧になりたかった。そうすればみんな私に寄ってくると思っていたし、カース

トも手に入ると思っていたけど、密かに話題になるほどだった。それがエスカレートさせていた。痩せ太りを繰り返して、手に入れた体系は歪なものだったし、心も不揃いのものばかりだった。

 京一さんはそれを個性と呼んでいたし、そう京一さんが言うことで、私もそう思えた。こんな自分でも、愛してくれる人がいる。その感覚は初めてだった。その時、初めて全てを手に入れた気分になり、カーストも何もかも無意味になった。綺麗になった瞬間だったように思う。