ヨハネの福音書8:31、32
「そこでイエスは、その信じたユダヤ人達に言われた。
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
人類の歴史は自由との戦いだった。
いつも何かの奴隷のように感じ、その圧迫、束縛から解放のために戦った。
政府と闘った。奴隷解放のために戦った。
ところが、感づいている人は感づいている。常に何かの奴隷の様に感じ、誰といても耐え難い孤独を感じる。
20世紀の有名な神学者であるカール・ハイムは次のように言った。
「私達人間には自由意志があって自由に罪を犯すことができる鍵を持っています。
ところが私達がその鍵でドアを開けて入ると監獄に入ってしまったようにそれ以上自分の力ではそこから出て来ることができなくなります。
私達はそこから出る鍵は与えられていないからです。」
僕は真理を求めた。知識の中にそれは無かった。僕は真理を求めた。人の愛の中にそれは無かった。僕は真理を求めた。快楽の中にそれは無かった。
僕は自分の罪を知り、イエスキリストを知った。僕はイエスキリストが自分の罪のために十字架に掛かったことを信じた。
僕は十戒を守った。そこには「しなければならない」という絶望があった。僕はしなければならないことが何一つ出来なかった。
荒野をさ迷った。エジプトに帰りたかった。苦シミチャンをことごとく味わった。
「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:24)
「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」
イエスキリストは一度きりの十字架によって僕を罪と永遠の死の監獄から出してくれたのだ。
僕はそれを信じたのだ。
サタンが「お前はまだ罪を犯している。だからお前は偽りの父の子、偽りの子だ」と罵ってきても、僕には聖書で反論することが出来、イエス様が論破してくれる。
「彼は私の息子だ。私は彼の全ての罪を贖うために地上に来て、十字架に掛かった。彼はそれを信じ、悔い改めた。一度きりの十字架で彼の罪を贖い、一度きりの悔い改めで彼を赦した。だから、彼は私の息子だ。」
ヨハネ14:18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
15:11 彼(イエス)は言った,「ある人に二人の息子がいた。 15:12 そのうちの年下のほうが父親に言った,『お父さん,財産のうちわたしの取り分を下さい』。父親は自分の資産を二人に分けてやった。 15:13 何日もしないうちに,年下の息子はすべてを取りまとめて遠い地方に旅立った。彼はそこで羽目を外した生活をして自分の財産を浪費した。 15:14 すべてを使い果たした時,その地方にひどいききんが起こって,彼は困窮し始めた。 15:15 彼はその地方の住民たちの一人のところに行って身を寄せたが,その人は彼を自分の畑に送って豚の世話をさせた。 15:16 彼は,豚たちの食べている豆のさやで腹を満たしたいと思ったが,彼に何かをくれる者はいなかった。 15:17 だが,我に返った時,彼は言った,『父のところでは,あれほど大勢の雇い人たちにあり余るほどのパンがあるのに,わたしは飢えて死にそうだ! 15:18 立ち上がって,父のところに行き,こう言おう,「お父さん,わたしは天に対しても,あなたの前でも罪を犯しました。 15:19 わたしはもはやあなたの息子と呼ばれるには値しません。あなたの雇い人の一人のようにしてください」』。
15:20 「彼は立って,自分の父親のところに帰って来た。だが,彼がまだ遠くにいる間に,彼の父親は彼を見て,哀れみに動かされ,走り寄って,その首を抱き,彼に口づけした。
15:21 息子は父親に言った,『お父さん,わたしは天に対しても,あなたの前でも罪を犯しました。わたしはもはやあなたの息子と呼ばれるには値しません』。
15:22 「だが,父親は召使いたちに言った,『最上の衣を持って来て,彼に着せなさい。手に指輪をはめ,足に履物をはかせなさい。
15:23 肥えた子牛を連れて来て,それをほふりなさい。そして,食べて,お祝いをしよう。
15:24 このわたしの息子が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのに,見つかったのだ』。彼らは祝い始めた。
15:25 「さて,年上の息子は畑にいた。家のそばに来ると,音楽や踊りの音が聞こえた。
15:26 召使いたちの一人を呼び寄せ,どうしたのかと尋ねた。
15:27 召使いは彼に言った,『あなたの弟さんが来られたのです。それで,あなたのお父様は,弟さんを無事に健康な姿で迎えたというので,肥えた子牛をほふられたのです』。
15:28 ところが,彼は腹を立て,中に入ろうとしなかった。そのため,彼の父親が出て来て,彼に懇願した。
15:29 だが,彼は父親に答えた,『ご覧なさい,わたしはこれほど長い年月あなたに仕えてきて,一度もあなたのおきてに背いたことはありません。それでも,わたしには,わたしの友人たちと一緒に祝うために,ヤギ一匹さえ下さったことがありません。
15:30 それなのに,あなたの財産を売春婦たちと一緒に食いつぶした,このあなたの息子がやって来ると,あなたは彼のために肥えた子牛をほふられました』。
15:31 「父親は彼に言った,『息子よ,お前はいつもわたしと一緒にいるし,わたしのものは全部お前のものだ。
15:32 だが,このことは祝って喜ぶのにふさわしい。このお前の弟が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのに,見つかったのだ』」。
マタイの福音書 5章20節
わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。
ピリピへの手紙3章3~6節
4 ただし、私には、肉においても頼れるところがあります。ほかのだれかが肉に頼れると思うなら、私はそれ以上です。
5 私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、
6 その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。
ピリピへの手紙3章7~9節
7 しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。
8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がキリストを得て、
9 キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。
ピリピ人への手紙3章12~15節
12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
13 兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、
14 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
15 ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。
自分がイエスキリストを選んだのではなく、イエスキリストが自分を選んだ。だから僕は祈ることも聖書を読むことも賛美をすることもましてや十戒を守ることも、自分で選ぶことではない。
全ての全ては聖霊の力のみで出来ることであって、それはそれによって自分が誇ることのないためだ。
そしてその聖霊の力のみで僕は新しく変えられていく。
僕はイエスを信じた。それは僕がイエスを選んだのではない。僕は最初から選ばれていたのだ。
そして僕は義人であり、義人は信仰によって生きる、信仰とは信じることであり、パリサイ人に勝る義とは信じることのみである。
なんともシンプルなことでなんとも難しいころだろう。
これほどまでにシンプルでこれほどまでに難しいことが真理だったとは思いもよらないだろう。
だけども、真理を追い求めし選ばれた民は必ず、イエスキリストを信じる。そういうふうに世界が出来ているから。
僕は何もしなくて良い。なんとも自由ではないか。これほどの自由があるだろうか。天の父ちゃんに賛美せずにはいられない。
その愛に心が満たされて更に貪欲に天の父の愛に飢え渇く。