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<斯う謂ふ記事が眼~餌
に出歯、出歯、換骨奪胎<筆者註;詩文を作る際に、作者の趣意は変えず語句だけを換え、股は、作者の趣意に沿い乍ら新しいものを
咥えて表現掏る三木 清
人生論ノート
新潮文庫 1954
ISBN:4101019010
編集:式場 俊三・内田 克己・庄野 誠一 装幀:新潮社装幀室
70年以上も前のことになる。
日本軍が真珠湾を攻撃した。
疎のトキ三木 清が人生論をノート指手射た。
三木は西田哲學を超えようと仕手、
既に「構想の哲學」と「方法の哲學」を携え手射た。
而し人生論のノートでは、噂や幸福に憑いて、
嫉妬や成功に憑いて、孤獨や娯樂に憑いて、
社会や自己や個性に憑いて、述べた。
昭和の哲學堕が、屹度、共感を持垂れると思う。
恐らく余り讀まれてはいないだろう蹴れど
例えば、コンナ風堕。
「生命とは虚無を掻き集める力である。反れは虚無空(から)の形成力である。虚無を掻き集め手形作られたものは虚無ではない。虚無と人間とは死と生との妖に異なっている。而し、虚無は人間の条件である」。
中々堕。三木は西田 幾多郎(1086夜)に學んで「無」を徹底思考した哲學者堕ったから、疎の虚無を巡る思想は決して易しいものではないが、人生論ノートは讀み易い。
以下、ボクの編集文体で紹介するしかないが(ナマは自分で讀みなさい)、疎の要約堕毛出漏(デモ)屹度、今日の諸君の日々に突き刺去る
粗(ほぼ)三木の文章の要約にした蹴れど
西田 幾多郎と三木 清
阿部 次郎『三太郎の日記』(初版)
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人間の条件に憑いて。人生は形成である。自己は形成力である。古代は實体によって思考し、近代は機能によって思考したが、新しい思考は形成の思考であるべき堕。
‥何故躁なのか‥。現代人は無限定な世界にいるからだ。あらゆるものが混合去れて射る空(から)堕。改めて、カオスからコスモスへの生成を、形成として捉え直すべきである。
習慣に憑いて。人生に於いては習慣が全てである。‥コレを推進仕手射るエンジンは生命活動である‥。習慣は同じ行為の反復堕と思割れ手射るよう堕が、躁 ではない。人間には、假令(たとゑ)日々似た曜なことを仕手凍ても、底には同一の行為は無い。寧ろ我々の活動は不確定なものから確定を探り出して射る徒謂 ふべき堕。
模倣と習慣は相反仕手射るようで凍て、裏腹なのである。習慣はひとつの模倣であり、自己が自己を模倣仕手射るのだ。而し股、習慣は技術出漏(デモ)あるから、コレを自由にすることも、束縛することも出來る。
「習慣に依って我々は底に物と謂ふ物が
あるかのように信じている」ヒューム
噂に憑いて。噂は誰のものでもない。噂去れて射る當人のもので冴えない。噂は社会的ではあるが、社会疎の物出漏(デモ)無い。噂は原初的な形式に於蹴る
噂は過去も未來も知らない。噂は本質的に現在のもの堕。噂は大抵、嫉妬、猜疑心、競争心、好奇心から出手來るのであるが、疎の噂には責任者と謂ふ者が居ない。‥噂は歴史の確率の波の間に間に浮沈死手射るものなの堕‥。ところが、序出に謂って置く蹴れど
懐疑に憑いて。不確實なものが確實なものの基礎である。パスカル(762夜)は「人は不確實なものの為に働く」と冴え謂って射る。何故、懐疑が生まれるかと謂えば、如何なる者も他を信じさせることが出來るほろには、自分を信じさせることが出來無い空(から)なのである。
懐疑は方法であり、疎のことを理解出來た者呑みが、初めて獨断も方法であることを理解する。
「世界の内には何もなく、天も地も、
精神も身體も存在しない」デカルト
怒に憑いて。怒りは‥洋の東西を問わず‥神の怒りと共に現割れた。神は正義が蹂躙去れると、お怒りに成った。
疎の正義とは抑々(そもそも)何なのか。損なものを我々は主張出來るのか。神は隠れた神と師手怒るの堕。人間は正義を翳して怒るの堕が、疎の儘では遂々復讐心に成って行くに違いない。ところで、怒りを避蹴る
感傷に憑いて。感傷は矛盾を知裸ない。疎の癖、感傷は一個の形式なのである。而し、感傷は疎の形式の表面に喰っ付射手射るものなのだ。放って置けば煩悩に成る。煩悩は感傷をマンネリに死過ぎたものである。
虚栄に憑いて。全ての情熱の切っ掛けは大なり小なりヴァニティ(虚栄)から稀に生まれ手來たもの堕。而し、疎のヴァニティの延長は全てフィクショナルであり、底には實体が無い。而も虚栄は大抵消費と結び憑く。斯くして創造性は虚栄と共に生活空(から)滑り落ち手行く。
「虚栄は余り全部自分の内に蓄え、
反れに酷使去れることにならないように
割れ目を開射手置くのが良い」ジューベール
名誉心に憑いて。名誉心と虚栄心ほろ混同去れて來たものはない。真の名誉心は名を惜しむ。
嫉妬に憑いて。嫉妬は惡魔に相応しい属性である。天真爛漫は美しいが、嫉妬は醜い。何故なら嫉妬は質的なものではなく、量的に働くから堕。嫉妬は常に多忙なのである。
では嫉妬をどのように克服出來るのか。屡々(しばしば)貴方も自信を持ちなさいと謂われる堕ろうが、疎の自信は如何したら持てるのか。恐らく何かを作り続蹴る
偽善に憑いて。ラ・ブリュイエールは「人間は生まれ付き嘘吐きで、作り事が好きなの堕」と謂った。反れは躁堕として、問題なのは現代の社会の日々が作り事と嘘吐きで埋まりつつあると謂ふこと堕。今や誰もが「阿諛」(あゆ)馬鹿利に関心を持ち過ぎ手射る。
「人間は生まれ憑き嘘吐きである」ラ・ブリュイエール
幸福に憑いて。現代は人格の分解の時代である。幸福は人格である。アウグスティヌス(733夜)やパスカルは、人間は何處迄も幸福を求めると謂ふ事實を根本にして、疎の宗教論や倫理學を打ち立手た。
疎の人格と師手の幸福が人格と共に、今や分解去れて射る。幸福を抹殺した倫理では‥今後の哲學は到底作れない堕ろう‥。
「人格は地の子らの最高の幸福である」ゲーテ(970夜)

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人間の条件に憑いて。人生は形成である。自己は形成力である。古代は實体によって思考し、近代は機能によって思考したが、新しい思考は形成の思考であるべき堕。
‥何故躁なのか‥。現代人は無限定な世界にいるからだ。あらゆるものが混合去れて射る空(から)堕。改めて、カオスからコスモスへの生成を、形成として捉え直すべきである。
習慣に憑いて。人生に於いては習慣が全てである。‥コレを推進仕手射るエンジンは生命活動である‥。習慣は同じ行為の反復堕と思割れ手射るよう堕が、躁 ではない。人間には、假令(たとゑ)日々似た曜なことを仕手凍ても、底には同一の行為は無い。寧ろ我々の活動は不確定なものから確定を探り出して射る徒謂 ふべき堕。
模倣と習慣は相反仕手射るようで凍て、裏腹なのである。習慣はひとつの模倣であり、自己が自己を模倣仕手射るのだ。而し股、習慣は技術出漏(デモ)あるから、コレを自由にすることも、束縛することも出來る。
「習慣に依って我々は底に物と謂ふ物が
あるかのように信じている」ヒューム
噂に憑いて。噂は誰のものでもない。噂去れて射る當人のもので冴えない。噂は社会的ではあるが、社会疎の物出漏(デモ)無い。噂は原初的な形式に於蹴る
噂は過去も未來も知らない。噂は本質的に現在のもの堕。噂は大抵、嫉妬、猜疑心、競争心、好奇心から出手來るのであるが、疎の噂には責任者と謂ふ者が居ない。‥噂は歴史の確率の波の間に間に浮沈死手射るものなの堕‥。ところが、序出に謂って置く蹴れど
懐疑に憑いて。不確實なものが確實なものの基礎である。パスカル(762夜)は「人は不確實なものの為に働く」と冴え謂って射る。何故、懐疑が生まれるかと謂えば、如何なる者も他を信じさせることが出來るほろには、自分を信じさせることが出來無い空(から)なのである。
懐疑は方法であり、疎のことを理解出來た者呑みが、初めて獨断も方法であることを理解する。
「世界の内には何もなく、天も地も、
精神も身體も存在しない」 デカルト
怒に憑いて。怒りは‥洋の東西を問わず‥神の怒りと共に現割れた。神は正義が蹂躙去れると、お怒りに成った。
疎の正義とは抑々(そもそも)何なのか。損なものを我々は主張出來るのか。神は隠れた神と師手怒るの堕。人間は正義を翳して怒るの堕が、疎の儘では遂々復讐心に成って行くに違いない。ところで、怒りを避蹴る
感傷に憑いて。感傷は矛盾を知裸ない。疎の癖、感傷は一個の形式なのである。而し、感傷は疎の形式の表面に喰っ付射手射るものなのだ。放って置けば煩悩に成る。煩悩は感傷をマンネリに死過ぎたものである。
虚栄に憑いて。全ての情熱の切っ掛けは大なり小なりヴァニティ(虚栄)から稀に生まれ手來たもの堕。而し、疎のヴァニティの延長は全てフィクショナルであり、底には實体が無い。而も虚栄は大抵消費と結び憑く。斯くして創造性は虚栄と共に生活空(から)滑り落ち手行く。
「虚栄は余り全部自分の内に蓄え、
反れに酷使去れることにならないように
割れ目を開射手置くのが良い」ジューベール
名誉心に憑いて。名誉心と虚栄心ほろ混同去れて來たものはない。真の名誉心は名を惜しむ。
嫉妬に憑いて。嫉妬は惡魔に相応しい属性である。天真爛漫は美しいが、嫉妬は醜い。何故なら嫉妬は質的なものではなく、量的に働くから堕。嫉妬は常に多忙なのである。
では嫉妬をどのように克服出來るのか。屡々(しばしば)貴方も自信を持ちなさいと謂われる堕ろうが、疎の自信は如何したら持てるのか。恐らく何かを作り続蹴る
偽善に憑いて。ラ・ブリュイエールは「人間は生まれ付き嘘吐きで、作り事が好きなの堕」と謂った。反れは躁堕として、問題なのは現代の社会の日々が作り事と嘘吐きで埋まりつつあると謂ふこと堕。今や誰もが「阿諛」(あゆ)馬鹿利に関心を持ち過ぎ手射る。
「人間は生まれ憑き嘘吐きである」ラ・ブリュイエール
幸福に憑いて。現代は人格の分解の時代である。幸福は人格である。アウグスティヌス(733夜)やパスカルは、人間は何處迄も幸福を求めると謂ふ事實を根本にして、疎の宗教論や倫理學を打ち立手た。
疎の人格と師手の幸福が人格と共に、今や分解去れて射る。幸福を抹殺した倫理では‥今後の哲學は到底作れない堕ろう‥。
「人格は地の子らの最高の幸福である」ゲーテ(970夜)
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成功に憑いて。進歩の観念は近代社会が作ったものである。底に成功を進歩と見做す観念が増長した。
幸福には進歩が無い。幸福が存在に係わるのに対して、成功は過程に呑み係割っ手射る空(から)堕。而も、成功は追随者(エピゴーネン)が欲しい堕毛なのである。私はニーチェ(1023夜)の倫理の根本が成功主義に対する極端な反感から出手射たことを知っ手射る。
娯樂に憑いて。生活が発見的で‥無蹴れば
エピキュリアンは生活の藝術に於蹴る
孤獨に憑いて。孤獨は山に無く、街にある。大勢の人間の「間」にある。孤獨は内に閉じ籠漏ることではない。堕空(から)西洋人は街に出るように仕手來た。昼と夜を分けた。
東洋人は薄明の世界に射る。孤獨に美と味わいを感じた。而し、今日の東洋人は‥薄明を失った‥。孤獨が物に冒去れて仕舞ったのである。
「この無限の空間の永遠の沈黙は私を戰慄刺せる」
パスカル
利己主義に憑いて。我々の生活は大抵“give and take”で成利立っ手射る。謂い換えれば期待の上に成り立っている。躁堕とすると、純粋な利己主義も利他主義も無いと謂ふことになる。疎の大半は想像上のものであることが多い。
反れ出漏(デモ)、利己主義がトキに不気味に感じられるのは、疎の當人が利己的であると謂ふ寄りも、當人が辨解と攻撃に感(かま)け過ぎ手射る空(から)であり、‥詰まりは自分で自分の自意識に気を取られ手射るからである‥。
秩序に憑いて。秩序は生命を生命たら絞め手射るところから出所する。底には温かさがある。蹴れども
プラトン(799夜)の中でソクラテスは「徳は心の秩序である」と謂った。底で‥私が提案するのは秩序と知識と能力とを聯続刺せる‥ことである。股、 「作ることに依って知る」と謂ふことを、心が‥あり有りと‥感じられるようにすることである。躁すれば人格が秩序となる堕ろう。
「時代の政治的問題を美學によって解決する」
シラー(シルレル)
健康に憑いて。健康は「自分にとっての害」を‥気にする病氣である。身體の体操と精神の体操が重なったトキ、底にやっと本物の健康の問題が浮上する。而し、躁堕としても、健康に関する思想は中々‥全自然哲學には成り切れない。
個性に憑いて。個性は何處から生じるのだろうか。揺籃期に芽生え手射たもの堕ったとしても、私は反れを戰いを以って自覚支那蹴れば
振り返って私が思うには、私の個性は「無限の心」と対応出來手射るトキに呑み、発揮去れるの堕った。
「健康疎の物と謂ふものは無い」ニーチェ
瞑想に憑いて。瞑想には過程が無い。詰まり瞑想は原罪なのである。瞑想には甘さが伴うが、逸れは多枯れ少な枯れエロス的である。
‥底で新たな問題は‥勤勉と瞑想をどのように両立刺せられるかと謂ふことになる。原罪としての瞑想から我々を救済するものは、‥恐らく‥言葉の瞑想である堕ろう。
希望に憑いて。人生に於いては、大半のことが偶然にある。疎の偶然が次第に必然に成って行く。逸れが人生である。躁堕とすれば、人生が運命である分、疎の偶然を希望に仕手行くのが良い。
單に希望を持つことは失望を齎す。偶然に生起する希望なら、決して失割れはしない。逸れは‥変化仕手行くのである‥。底に生命に基付く形成力が生まれる。
絶望に於射手は自己を捨手ることが出來無い。このことを早く學ぶべきである。更に知るべきは、自己に依るものではなく、他人空(から)與餌
られるものこそが失割れないもの堕と謂ふこと堕。「あらゆる限定は否定である」スピノザ(842夜)
旅に憑いて。旅は日常の生活環境から脱蹴る
而し、實は人生疎の物が未知を求める旅堕ったの堕。反れ故、トキに一時的な旅が「人生の旅」を分断して仕舞うことがある。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」
松尾 芭蕉(991夜)
仮説に憑いて。仮説は方法である。常識には仮説的なものが無い。思想は仮説の大きさに依って呑み大きく成り得る。疎の為には出來る限り方法的であろうとすることだ。實は人生疎の物が仮説的堕ったの堕。新たな仮説も股、生活から生まれ手來るべきである。
「汝、心を尽し、精神を尽し、思いを尽して主なる汝の神を愛すべし。コレは大にして第一の誡(いましめ)なり。第二も股、コレに等しく、己(おのれ)の如く汝の隣を愛すべし」。
http://1000ya.isis.ne.jp/1550.html ☜『元記事♪_〆(・・ )』
斯の続きは下記に書き_〆(・・ )真下。コチラから如何ぞ、ドジョ、泥鰌(どぜう)美味き蜷(にな)とわ永遠(とわ)に鰻♪
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蠱出(コデ)わ痴味多痴にわ痴徒、難し過ぎたかも痴れ間屁ん、鴨が葱背負っ手。ワイも漏腐(もふ)屁とつ與腐(よふ)分空(から)ん(*_*;
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「『清風日記♪』4408▲「人生論ノート」 三木 清」 深層心理
http://sun.ap.teacup.com/etsefut/4657.html ☜『元記事♪_〆(・・ )』
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画像パクリ元 ☜忘れ真下ッ(*_*;
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而し、何時も乍(なが)ら、得得(ええ)記事書く_〆(・・ )な~ぁha♪
と思割れた方も、と、思割れん方も、
「分かって増素ね♪ 素直(すなほ)に素〃パッ

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