男の子はパパを「おとこ」のモデルとして育つ。

将来パパにそっくりな「おとこ」になるか、正反対の「おとこ」になるか

どちらにしても影響を受ける。

もちろん、ママの遺伝子も受け継いでいるからね、ママにも似てるよね、きっと。

 

そして、男の子はまた、ママを通して「恋人」を選ぶ目を養う。

ママは恋人だからね。

だから、将来ママになんとなく似ているなーというお嫁さんを貰ったりする。

・・・・なんてことも多い。

 

 

今日は、小さい頃の育った環境でどんなふうになるのか、ってことを

少し書きたいと思うのです。。。。

 

 

 

わたしの母は2歳の頃に父親を亡くしてる。

(ようするにわたしのおじいちゃんね)

だから、父親というものを知らずに育ってる。

 

男の子がそうであるように、やはり女の子にとっても

パパは「恋人」

パパを通して将来のパートナーを選ぶ基準が育つ・・・とも言えるかな。

 

でも、母にはその基準がなかった。

 

奥さんのいる男性を好きになり

その男性はやがてその妻と離婚をしてしまった。

よく聞く「略奪愛」してしまう女性のイメージは

ちょっと派手めだという固定観念があるのだけど・・・。

 

母はどちらかというと地味めなタイプであるにもかかわらず

それをやらかしてしまった。

まあ、遊び半分でなかったのだろうが、

ひとつの夫婦を壊してしまった。

 

もちろん相手なしにできることではないので

その男性も、良いか悪いかで言うなら・・・・とても良くない。

 

そしてそのいただけないであろうふたりはやがて結婚し子どもを授かる。

 

 

そこで産まれたのがわたし。

 

父はわたしが産まれてからすぐに事業を興し

しばらくは毎月親せきを集めては温泉旅行に招待するなど

けっこう楽しくやっていたらしい。

 

 

父も母もおバカさんで人が良すぎて

一番信頼していたという社員さんに裏切られ

結局会社は倒産に追い込まれた。

 

借金を抱え、外に助けてくれる女性まで見つけてしまった父は

わたしが6歳の頃、家に帰らなくなってしまった。

やがて、10年後にしっかりと「離婚」の手続きをとることになるが。

 

 

 

なにがいいたいかというと

 

わたしの生い立ちなんてものを言いたいのではなくて・・・・。

 

 

 

父親を知らないで育った母は、「恋人」のモデルを持たなかったため

パートナー選びに失敗したということになる。

 

さらに悲しく恐ろしいことに

 

父親=「恋人」ということから見て、特に女の子には

その「生まれてはじめての大事な恋人」を貶めたくない心理が働くので

 

現実の「父親像」よりも劣る(語弊があるかもしれないけれど)

そんなパートナーを選びがちなのだという。

 

 

実際に、わたしの父の「浮気相手」である女性の父親は

酒乱で暴力を振るうことも多かったという。

いつも働かず家でお酒を飲んでいたらしい。

わたしの父は酒乱でもなかったし暴力は一切ない穏やかな人だったが

でも、精神的に弱いところがあった。

 

 

その女性と父が出会ったタイミングがミソである。

 

会社が倒産の憂き目を見たころ、借金取りに追われ

ボロボロであった父を優しく受け入れ面倒を見たらしいのだから仕方がない。

 

きっと彼女にとって「男性」とは、家で一日中酒を飲んでは

暴れるこころの弱い、助けの必要な人。

そんなイメージだったのだろう。

 

 

だから、父に惹かれたのだ。

 

 

 

そして、わたしの父の話であるが

父の父親、わたしにとっての祖父は、頑固でわがままな人だったらしく

女性には激しくだらしなかったと聞いている。

 

 

ほらね。

 

 

「おとこ」のモデル、やっぱりね。

 

 

そして、父の母親(わたしの祖母)はそんな夫が自宅に連れてくる女性の

朝ごはんまで作っていたらしい・・・・。

 

 

わけがわからない。

 

まあ、わからないことをわざわざ考えても意味もないことなので

わからないままにしておくとして。

 

 

父はそんな「恋人像」を見て育っているので

ある程度自分がおかしなことをしていても

女性は許してくれるし優しくしてくれて当然だったのだろう。

 

妻子を放置し女性のもとに入り浸るのは悪いとは思っていたのだろうが

当時どのくらいの罪悪感があったのかは

父が死んだ今となってはもう聞きようがない。

 

 

まあ、とにかく「出会いがミソ」だったのは、

 

女性にとって

「父親」 =「助けてあげる存在」= 「恋人」が父だったのに対し

父にとって

「母親」=「度を超したわがままを許してくれる存在」=「恋人」がその女性であったのだ。

 

こうして書くとなんだか気持ち悪くなってくるが・・・

 

でも、お互い持っているものが合致したのだ。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・

 

 

虐待があったなかったという問題はまた別の話だが

それを少し横に置いたとしても

 

こんなふうに、幼少期の生育環境はこどもの将来のパートナー選びに

かなり影響を与えるものである。

 

したがって、結婚や離婚、子育てにおいても

後々影を落としかねない、看過できない問題である・・・・。

 

 

 

 

 

 

ちなみにわたしについてだが

 

 

母親とわたしと弟と3人の母子家庭だったため

母親は働きづめで体を壊し病気ばかりしていた。

また、精神的にも参っていて、自殺未遂を繰り返していた。

 

 

だからわたしはいつも母に対して

再婚してほしいと言っていたのを覚えている。

「元気で明るく自分の人生だけを考えてほしい」

そう思っていたからだ。

 

 

でも、その裏側にあったのは

 

「母の苦労はすべて自分のせいだ」という思いだった。

 

そして、「わたしがいるせいで、母は幸せになれない」

そう思っていた。

 

 

だからわたしはそんな女にもそんな母にもなりたくなかった。

反面教師にして、正反対の派手な女になってしまった。

(ちょっと母のせいにして正当化したかも)

 

そして、そんな母親になりたくないと、

自分自身も楽しむことも大事なこととしながら育児をした。

(ちょっと母のせいにして正当化したかも)

 

 

こどもは「わたしがいるせいで」と考えるし感じてしまう。

 

どんなことでも

自分のせいにしてしまうことがわかっていたから。

 

 

 

なんでわたしが派手なのか

 

その言い訳をしているような締め方になってきているので

 

誤解を避けるためもう一度・・・・

 

 

父親のモデルは上記のとおり

「かっこよくてモテモテでいつも面白い人」

そして

「わたしを捨てていく人」

「わたしをわかってはくれない人」

 

であったのだ。

 

だって、そばにいなかったのだから・・・・。

 

 

 

 

わたしは結局2回の離婚をした。

 

1人目は暴力を振るう人

2人目は軽度ADHD

 

 

2人とも

 

「かっこよくてモテモテでいつも面白い人」

「わたしをわかってはくれない人」

                      

                        暴力もADHDも

わかってくれている安心感を持つのにちょっと難しかったな・・・。

 

 

結果その「わかってくれない人」だからこそ

精神的にも、「わたしを捨てていく人」となるのでしょう。

 

 

再度書くと

 

特に女の子は、

「生まれてはじめての大事な恋人」である父親を

貶めたくない心理が働くので

 

現実の「父親像」と同じか、またはそれより劣るような

そんなパートナーを選びがちなのだ・・・。

 

 

 

それゆえ、当時は、「わかってほしい」感覚が強かったから余計だったかな。

 

今は、相手に「求める」気持ちは無いに等しく・・・成長しました。

 

 

 

 

そんなことから表題の

『虐待する親なんていらない。愛してくれる親ならどこにいても永遠の存在。』

と、なるわけです。

 

こどもにとって、「両親」揃っているに越したことはない。

だからといって精神的肉体的虐待を加える親なんてもってのほか。

 

でも、仮に血がつながらなくても

離れていても

 

自分だけを愛してくれる親なら

こどもは絶対にしあわせになれると思う。

 

そんなこどもは

「しあわせを見つけることが上手な人」に成長できるはず。

 

 

 

愛してくれる人がいてくれればいい。

 

それがこどもの権利。

 

 

 

※今回の文は、わたし個人の例を挙げています。ほんの一例として解釈ください。。。

 

 ちなみにこれは、今回書いた父についての歌詞を歌ったオリジナルです。

 

「天気雨」 14. 手をつなぐ youtube動画