テンプレと個性の間で:Unchartedのヒロイン、マリサ・チェイスのキャラ造り
Uncharted: Golden Abyssの開発の途中で、Sony Bendの開発者は、ゲームに登場するヒロイン:マリサ・マリサ嬢について何かを間違ってしまったことに気が付いた。
「フォーカステストに参加してくれたプレイヤーは、ほとんど全員が全員、ゲームの新しいヒロイン・マリサを嫌っていました」とJohn Garvin氏(Sony‘ Bend)は、VitaのロンチタイトルについてGamasutraで振り返っている。
「問題はシナリオでした。シナリオのスクリプトでは、マリサのキャラクターはちょっとスマートで、また少しばかり皮肉屋だったのです」とGarvin氏は書いている。Garvin氏自分の作り出したこのヒロインを「プレイヤーは好きになるだろう」と思っていたのだが、「そうはならない」ことがわかって愕然とした。
開発者は最初はフォーカステストに抵抗していたが、すぐにそれを乗り越えて、この問題をなんとかする必要があることを悟った。
一方でBendの開発者は、いくつかの不幸なステレオタイプをそのままにしていた。プレイヤーはマリサを弱虫だと呼んだとしても、それは「フェアな評価だ」とGarvin氏は認めている。
「ゲームプレイの観点から、マリサはいつも、ネイトが行動を起こさねばならないようなシチュエーションに置かれています。そう呼びたければ手抜きだと呼んでもかまいませんが、結局はいくつかの「ピーチ姫」シナリオを取り入れなければなりませんでした。かわいそうなマリサはいつも首を絞められ、銃で撃たれ、殴り倒され、引きづり回され、連れ去られているように見えるでしょう。マリサがあまり酷い目に会いすぎないよう、シナリオはできるだけ直しているのですが。
ある重要なシーンでは、ネイトが彼女を助けに来ているというのに、マリサは暴漢のなすがままに取り押さえられていた。だが修正後には、ネイトの援護で、マリサは暴漢を蹴りつけて脱出するようになった。またマリサはあまり泣き言を言わないよう修正された。もともとの描写では、ネイトがぐらぐらする構造で危険な目にあったり(ネイトがやりがちなことなのだが)、何か良くないことや思いもかけないことが起こるたび、いつも大声で叫んでいたのだ。
開発者はマリサの描写を良くしようと努めていたが、彼らはまた別の問題に直面してしまった。Garvin氏には「納得できない」ことに、プレイヤーはマリサを「ビッチ」だと決めつけたのだ。Garvin氏は書いている。
「この古い格言は何でしょう?男が力強く、リーダーシップを発揮し、アグレッシブにふるまえば真のリーダで、女がそうしたならただの厚かましいビッチなんだと。これは納得できないステレオタイプですが、なんとかするしかありませんでした。どうやってかですって?マリサをもっとおとなしく、口やかましくしないようにすることによってです。」
「三回目のフォーカステストを行う頃には修正したスクリプトが入っていて、フォーカステスターはマリサに文句を言うことはなくなりました。」
NS: Gamasutra
http://www.gamasutra.com/view/news/181084/Focus_testers_originally_disliked_Uncharted_Vitas_female_lead.php#.UJ2uTYepvgE
みらい的コメント:
欧米のデザイナは女性キャラの造型にわりと頭を悩ませているようで、少々前にはララ・クロフトの描写の良し悪しがちょっとした論争になっていた。日本ではこのテーマはほとんど話題にならないが、欧米ではこのテーマはセンシティブなものらしい。
キャラなんて売れてナンボじゃん的なノンポリ日本人と比べると、メリケンって結構マジメなんだと改めて感じる。また、リアリティへの執着というか感覚というかそういったものは、日本人とは結構違うのだなとも思う。
そうかといって、リアリティへのこだわりが常に良い作品を生むとは思わない。
欧米的なリアリティへの執着とは逆ベクトルに、リアリティこだわりのなさというか、抽象化の能力というか、記号を記号として消費することというか、そういったチカラというものもあるのではないかと。
そういった方向性では、日本人は、それはそれで逆に結構凄いような気がする。
日本のマンガやアニメが世界でも比類ない無いコンテンツなのは、もしかしたらこういった日本人の特性に根ざしているものなのかもしれない。
自分の中で整理がついているテーマではないのだが、そんなことをと思ったり思わなかったり。