人は誰でも「誰かを批判する」ことはあると思う・・・。

 

自分も何か言われたり、イライラしたりすると、何かしら批判してしまう・・・。

 

 

 

でも、何故批判してしまうのだろう?

 

 

 

自分の場合、そうやって批判して自分を肯定することでひとつの防衛策を取っていると思う・・・。

 

 

でも、そのことで多くの事を見落としてしまったという後悔もある・・・。

 

 

母親に言われることのひとつに

「君は頑固なんだよ。だから自分の事を曲げられるとすぐに反抗するんだよ」と・・・

 

 

まぁ、わかっちゃ~いるが、親から言われるとやはりムッとしてしまう(-"-;A

 

 

ただ、心無い誹謗や中傷で相手を深く傷つけてしまうのも事実ある・・・。

 

 

じゃあ、なんで批判しちゃうんだろう・・・?

 

 

その答えにはひとつのヒントがあった。

 

メイプル超合金のカズレーザーの存在である。

 

 

カズレーザーは人を批判しない。

何かしらコメントをしても、どこかしらイラつくようなことはない・・・。

こういうところが、親は好きになったみたいで、カズレーザーが出ている番組はかなり見ている。

 

 

そして、ある番組でカズレーザーへの質問で

「あまり他人の事を悪く言わないみたいですが、なぜ、人の事を悪く言ったりしないですか?」

みたいなことを言って、即答で答えたのが

「自分はバイセクシャルで金髪で全身赤の変態だから、これ以上の変態はいないでしょ?

だから、言わないんだよ」な感じで言っていた・・・。

 

 

逆を言えば・・・

「自分が世間の標準(普通)の人に近ければ近いほど、人を批判しやすくなるのではないのか?」

とふと思った。

 

 

そうなると、母親に言われたもう一つの事・・・

「人は、自分の枠内に他人を押し込もうとしている性質がある。でも、他人はその枠以上にいるんだから、自分の枠というものを取っ払らわないといけないよね?」

ということとの合点が付いた。

 

 

つまり・・・

「自分という人がどのような者であるのかが自分自身はっきり分かり、且つそれが世間一般の底辺である事に標準をおいたら、少なからず人を批判することは減るのではないのか?」

と思ったのである。

 

 

でも、事実そうなることは難しいことで、突発的に「なんでこう言うの?」というのが出てくる事もある・・・。

 

 

とりあえず、今の自分は他人の言ってることをひとつでも多く肯定できるように、自分が底辺であるという事を考えて他人の話を聞く努力をしている・・・。

さてと、今回は桃太郎の鬼退治について書いてみようと思いますが、その前にまずは桃太郎の「鬼」という存在についてから触れてみようと思います。

 

ふと、「鬼」について考えてみたら、桃太郎がもうちょっと見方が変わるのではないかなと思ったからです。

なので、勝手ではありますが、少し寄り道した感じで紐解いていって本題に入りたいと思います。

 

■桃太郎の「鬼」ははじめから「鬼」ではなかったのではないのか?

 

まずは、「鬼」というイメージを書いてみる

 

・悪者

・大男

・角

・怪力

 

分かりやすい様に一つ画像を載せます

 

まぁ、こんな感じでしょうかね?

 

 

ただ、何となくではあるのだが、こういう謎が出てきた。

 

・なぜ、「鬼ヶ島」という島で住んでいたのか?

・なぜ、たくさんの宝を持っているのにも関わらず半裸であったのか?

 

他の話とかでは山に住んでいることが多い鬼が桃太郎では「鬼ヶ島」という島が出ている。

 

 

そこで、考えてみたのです。

 

 

もしかしたら、何かあって島流しにあったのではないのだろうか?

もしくは、島に身を隠すような事態になったのではないのか?

 

 

そう考えたら、村人たちから宝物を強奪する動機が出てくるのような気がしてきました。

 

 

宝物を強奪する理由・・・それは・・・

 

 

村人たちへの復讐

 

なのではないのかと・・・

 

 

その動機があったのだとしたら、「鬼」ははじめから「鬼」として生まれたのではなく、何かのきっかけで「鬼」となってしまった(もしくは「鬼」と呼ばれるようになってしまった)のではないのかという事が出てきました。

 

 

ここからは自分のイメージですが・・・

 

桃太郎と同じように、はじめは捨て子としておじいさんとおばあさんに育てられたが、村人たちからは忌み嫌われていた。はじめはおじいさんとおばあさんはその子を守って育てていたが、さすがに村人たちへの負い目に堪えきれず、ひた隠しするようにその子だけを船に乗せ島に流してしまった。子供は幾日も泣き叫んだが、誰もいないその島には誰にも助けに来てくれず。やがて子供は自分をこんな目に遭わせた事に怒りを覚え、村人たちに復讐することを誓うのであった。

 

 

そういうストーリーを考えてみたら、「桃太郎」も何か一つ間違っていたら、もしかすると同じように「鬼」になっていたのかもしれません。

 

 

また、ここでの次の謎である宝を持っているのに半裸であったのか?という事ですが、実際は普通に何かしら着ていたのかもしれませんが、あえて半裸にしたのは「服を作る技術がなかったから」なのではないでしょうか?

 

ちょっと語弊があるかもしれませんが、子供の頃から一人で島に暮らしたと想定したら、生きるための狩猟や釣りなどのサバイバル技術は覚えるかと思います。(それでも結構必至ではあると思います)ただし、服を作るなどの技術は技術を知っている人から教えてもらわない限りできないのではないかと思います。

 

虎のパンツは強さの象徴というのはありますが、実は皮を剥いで、そのまま腰に巻き付けただけかもしれません。

 

村人たちから宝以外に食料や服も強奪したと思います。ですが、さすがの大男であるため、着れる服がなかったのかもしれません。

 

大きな金棒ですが、これも狩猟のために徐々に改良を重ねた結果なのかと思います。ただ、「刀」という斬る武器の作り方はわかっておらず、「棒」という殴る武器を作る事しかできなかった名残りかもしれません。

 

また、宝をたくさん持っていたのは成し遂げた功績というのと、やはり使い方が分からなかったのではないかと思います。

 

 

そう考えると、「鬼」という者は実は可哀想な者だったかもしれませんね・・・。

 

 

 

■桃太郎の鬼退治について

 

 

やがて、桃太郎は「鬼」の住む島、「鬼ヶ島」を見つけ鬼退治をするのですが、物語では「鬼を懲らしめた」と書かれています。

でも、調べると単に懲らしめたのではなく、残虐に「鬼」をガチでやったみたいです。

 

それは、「桃太郎の童謡の隠された歌詞」にあるようです。

 

いや~、マジでやるところまでやっちゃたみたいですね~。

奇襲をかけて一気に↓ですよ

 

そんなことがおきたら、そりゃ~「鬼」だってこうなりますよ

 

でも、何となく自分では引っかかるんですよね・・・。

 

 

・なぜ、桃太郎はこのような方法で鬼退治を終わらせたのか?

 

普通であれば、懲らしめた挙げ句、奉行所で刑罰を受けるというのが流れじゃないかと思うのです。

ですが、桃太郎は「鬼」から奪った宝物を返してもらい、そのまま持ち帰ったわけです。

 

ただ、それで終わったのであれば、「鬼」は再び同じことをするのかもしれないと思うのです。

 

そして、もう一度↓の絵を見て考えてみました。

 

桃太郎に鬼が語りかけてますよね・・・。

 

ここで、「鬼」は誓いと強奪した経緯を語ったのではないのかと思うのです。

 

「鬼」たちは島流しにあったものであるという事・・・。

そこに追いやった村人たちを恨んでやったという事・・・。

 

桃太郎はその話を聞いて、何かしらの共感を感じたのかもしれません。

 

このまま奉行所へ連れて行けば、死刑になるのは明白だ。ただ、もしこの者たちが言っていることが真実であるならば、いくら悪いことをしたとはいえ、それは、あまりにも可哀想だ。何か奉行所へ連れて行かずに済む方法はないものかと・・・桃太郎は鬼の話を聞きながら試行錯誤していたのかもしれません。

 

そして、考えたのが「鬼が奪った宝を持ち帰る」という事なのではないのかと思うのです。

 

鬼から奪った宝を持ち帰り、出会った人たちには「鬼どもは全て私どもが倒した」と言えば、納得がいくのではないのかと思うのです。

ただ、強奪された村の人々には真実を話し、鬼には二度と悪さをしない事を誓わせ、鬼たちと村人たちとの仲介をして真実を闇に隠す・・・。

 

そういう事をして、本当は桃太郎は「日本一の桃太郎」という英雄として出来上がったのではないだろうかと思うのです。

 

 

そう考えたら・・・

「同じ境遇でも育てる環境によって桃太郎みたいな良い人になるし、鬼のような悪者が出来あがってしまうかもしれない」

と思ったのです。

 

その功労者はやはりおじいさんとおばあさんにあるのではないのでしょうか?

 

 

まぁ、あくまでも自分勝手な妄想の中で生み出された桃太郎から得た教訓ですけどね(@Д@;

 

 

ただ、絵本や昔話を読み聞かせするときに出てくる子供からの「なんで?」という事をはぐらかさずに伝える。そのために、読む自分が調べたり想像したりするのが最も大切な何かを得るヒントになるのではないかなと思います。

 

 

今回は「桃太郎」を自分なりに想像を膨らまして新しい見方で書いてみました。

また次回、何かしらの物語を紐解いて書いてみようと思います。

 

では今回はこのへんで~(^▽^;)

いや~、今日は寒いですね~( ̄□ ̄;)

自分はいつもの如くの偏頭痛に悩まされました一日でしたわ~(-"-;A

 

こんなことはさておきまして・・・(@Д@;

 

 

 

前回の最後の方は結構強引に終わりにした形をとってしまってすみません・・・(-"-;A

 

 

謎が謎を呼び、ぶっ飛んでしまっているような感じが取れたので、今回はそのあたりを修正しつつ書いていきたいと思います。

 

 

前回は「桃太郎が旅に出た本当の理由は?」に対し、色んな想像を付けて「武家の養子になった」という選択をしました。

 

そうなると・・・

 

 

「じゃあ、実際に桃太郎が鬼退治に行った頃はいつ?」

 

 

っていう謎が出てきます。

 

 

そこから、紐解いていきましょう。

 

 

 

■実際に鬼退治に行った頃の桃太郎の推定年齢

 

 

調べてみると、色んな画家が描いた桃太郎の絵にたどり着いたのですが・・・

 

 

 

こう見ると、鬼退治から戻って来る桃太郎はかなりの青年になっていますね(@Д@;

 

 

次に、桃太郎の舞台のモデルとなる場所を調べてみました。

 

桃太郎の育った場所:岡山県

鬼ヶ島のモデルとなった場所:香川県

 

室町時代の背景を考えると・・・

 

旅の途中でお供を3匹連れて船で瀬戸内海を渡り、四国を巡り巡って香川県へたどり着き鬼を退治してお宝を持って岡山へ帰って来る・・・。

 

まぁ、最短で5年くらいの旅だったといたしましょうか?

 

 

そう考えて、この旅をやり遂げる体力などを考慮すると・・・

 

 

 

大体、高校生~成人くらい?

 

 

 

が、妥当ではないでしょうか?

 

 

なので、前回の事を踏まえて考えると・・・

 

 

7歳くらいで武家の養子として武芸を学び、15歳くらいで鬼退治に出かけたと思うと・・・

 

 

何となくですが、桃太郎の衣装もわかるような気がします。

 

そして、旅の途中におじいさんとおばあさんに会いに行ったことで、「僕が鬼退治に行ってきます」というつじつま合わせができるのかな?とも思います。

 

 

【太郎が武家の養子としてしばらくの年月が経ったある日、おじいさんとおばあさんの前に一人の青年が現れました。

おじいさんはその青年を見ると咄嗟に「太郎か?」と問いただすと、その青年は喜びを噛みしめて静かにうなずきました。

逞しくなった太郎に二人は「大きくなったなぁ~・・・」と涙を浮かべ、太郎と離れた間の時間を埋めるよう暫しの会話を楽しみました。

しばらくして太郎は少し黙り静かに話しました。

「実は今、僕は殿様の命令で鬼退治をすることになっている本当はその旅の途中なんだ。鬼は物凄く残虐非道で強いと聞く。もう戻ってこれないかもしれない・・・。だから、せめてものと思い、今日は会いに来たんだ・・・」と。

二人は再び悲しみに溢れながらも「今日はもう遅いからここに泊まりなさい」と太郎を寝かしつけました。

翌日、太郎が再び旅に出ると、おばあさんが「わしらにはこれしかできないが、太郎が無事に帰ってくるよう願いを込めて作ったきび団子じゃ。怖くなったり寂しくなった時はこれを食べておくれ。わしらはいつも願っておるからな」と言い、太郎にきび団子を渡しました。

太郎は必至に涙を堪え、再び帰って来ると誓い、おじいさんとおばあさんに別れを告げました】

こんな感じですかね?

 

 

 

■三匹のお供について

 

桃太郎が鬼退治の旅に出ると、徐々にお供が付いてきます。

はじめは犬、次に猿、そして最後にキジです。

 

しかし、なぜこの三匹なのでしょうか?

 

別にもっと強い動物がいるではないか?とも思えるのですが、この三匹だからこそ良い塩梅なのではないかとも思えてきました。

 

 

一説には、干支の方角を表しており、丑寅(北東:鬼門)の方角に対しての半面にある干支が申酉戌(南西から西:裏鬼門)だからというのがあります。

 

 

じゃあ、同じ犬でも狼でもいいし、とりについてはキジじゃなく鷲や鷹でもいいじゃん?って思うわけです。

 

 

でも、それではだめじゃなんです!

 

 

一つはそれぞれの象徴と呼ばれるものがあります。

 

犬:忠義・仁義

猿:知恵・魔除け

キジ:勇気

 

キジの勇気という象徴はちょっと「?」と思うのですが、キジは子供が危険になると、命を賭してでも子供を守るという話を聞いたことがあります。

つまり、いざという時のキジの強さというのは計り知れないものがあったのかもしれません。

 

また、ここで自分の勝手な解釈にもなるのですが、別の視点で3匹の特徴から考えてみると・・・

 

犬:守護

猿:娯楽・自由

キジ:先見の明・派手

 

というのも見られます。

 

これを実際に人間として考えてみると・・・

 

・忠誠を誓い、なんでもいう事を聞いてくれる者

・知恵があり、ユーモラスな自由人

・流行には敏感で、先見性があり、いざという時には役に立つ者

 

ということになるのではないでしょうか?

こんな人たちが親友としていたとしたら、なんと心強いのでしょうか?

 

 

そしてもう一つの意味は、それぞれのバランスというところにあるかと思います。

 

よく言う「犬猿の仲」という言葉があるように、犬と猿のいうのは非常に相性が悪い(というイメージが強い)です。

でも、桃太郎には一緒にお供としてついて行く・・・仲良さそうに・・・なぜでしょう?

 

 

想像してみました。

 

 

実は、ライバルとして陰ながら争っていたのではないのか?

 

 

いくら仲間だとはいえ、どこかしらでは「自分が一番だ‼」という欲はあるのではないでしょうか?

性格的にだってお互いが相反するものです。

そのためには、時には喧嘩をすることだってあると思います。

 

犬と猿がそのことで度々喧嘩をしたとしたら、仲裁に入るのが桃太郎かキジとなります。

桃太郎に一喝されたら、2匹は黙るでしょう。

キジに言われたら「お前は空飛べるからいいじゃないか‼っていうか声がうるさい‼」って同じ意見を言われるでしょう。

 

でも、犬と猿だから、お互いが喧嘩したとしてもどっちかが死ぬことはないであろうし、キジという獰猛とは言えない鳥だからこそ2匹は襲うというところまではいかないのかと思います。

また、2匹が喧嘩することでお互いを理解し、さらにお互いが向上することにもなるので、決して悪いことではないと思うのです。

 

これが例えば狼だったら、鷲や鷹などの獰猛な猛禽類だったら、このバランスは確実に崩れてしまうと思います。

そうなってしまっては旅も楽しくありません。

 

 

つまり、それぞれ特徴ある者でバランスが取れている仲間がいたからこそ、桃太郎の旅は成功したのかもしれないと思うのです。

 

 

この桃太郎のお供については、今の自分たちにも必要なことなのではないでしょうか?

会社で、飲み会で、プライベートでこんな仲間がいるとしたら、どんなに楽しいことでしょう?

時には意見の食い違いで口論することもあるかもしれません。

でもそれは、逆にお互いを知る事にもなるし、今まで見えなかった何かが分かるようになるチャンスであると言えるとも思います。

 

 

 

さて、今回は前回の修正から3匹のお供について書いてみました。

いよいよ次は鬼退治となるのですが、「鬼」っていったい何でしょうか?

鬼を退治した桃太郎の思いはなんでしょうか?

 

次回書いていきたいと思います。(^_^;)