今日は現場の話を聞けたので少し話ます。(仙台市)

私の友人の息子さんは、仙台市でボランティア活動をして来ました。
東北大学の学生さんです。昨日、(27日に神戸へ)

彼らは2つの友人のマンションに10人程が一緒に暮らし、チームを作り研究所のバスを使い物資輸送をしたそうです。(緊急車両として登録されていたようです)
主に石巻市へ往復2時間以上の避難所への物資輸送です。
仙台市には物資が溢れて、水も豊富に届いていたようです。
しかし、何よりもガソリン不足が問題だったと。

高速道路も緊急車両しか通行出来なかったが、最近は一般車両も可能となり、ガソリンを求めて渋滞して、物資輸送も困難になってきている。
物資も行き渡るようになり、市民ボランティアの物資輸送は不要となり帰路となった。

仙台市内は被害も少なく、水(ペットボトル)も豊富に店にある。
被害が大きいのは沿岸地帯に偏り(津波の被害による)市街地では普通に暮らせる状態で、ガスも近日に復旧する予定だと。
大学も4月から再開される予定だとの事。
TVでは被害の大きい場所ばかりが報道されているので、現場を知らない西日本の人達と僕らの意識は全然違うようだと話す。

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阪神淡路の震災と今回の東日本の震災とは、別の感覚で考える必要があるように感じる。
阪神淡路の場合は市街地の被災ですが、今回の震災は沿岸や農地が多い。
復興の進む方向もやり方も違ってくるのでしょう。

やはり、被災者の方が故郷を離れることは、色々な問題があるでしょう。
それは、現場や被災者でなければ分からない事です。
私の経験した避難所生活は、ほんの一部の経験です。
あれこれ、色々考えたり、こうするべきでは?こうしたらいいのに!とか、
ブログに書いて来ました。

しかし、それは想像でしかない。
自分の考えや意見を声に出すことで、呼びかけになればと思いました。
現場の状況が把握出来ていた訳ではない。
現場の人と報道でしか情報が無い者との意識の格差があるように感じた。

確実に復興へ向けて動いている日本。
みんなが強い意志を持って、それぞれの場所でいつものように生活すること。

沿岸の被災者支援はこれからの課題でしょう。
しかし、少しずつ1歩ずつ確実に前進して行くことを信じたい。
それに対する可能な支援をすること。
今1度、自分が出来る支援とは何かを考えて行こうと思う。

ただ、小さい避難所ほど物資不足であることは、いつの災害でも感じるところです。 

少ない人数、小さい場所、弱者。(見えないところで取り残されがち)
団体、市街地、集団と成りえる人。(アピール出来るので手が届く)

そんな風に感じるのは私だけでしょうか・・・・・

ボランティア団体の力を借りて、市民1人1人が出来ることをする。
そんな繋がりを持って、被災者の皆さんは立ち上がろうとしています。
私達1人1人も意識だけは忘れず持ち続け、細く長く支援していくことが大事だと感じました。