英会話での授業のこと。
自分たちが住んでいる土地について紹介をすると言う授業だった。
ALTの先生は、子供たちがする住む街のことをよく調べていて、
自分たちが住んでいる土地について紹介をすると言う授業だった。
ALTの先生は、子供たちがする住む街のことをよく調べていて、
いろんな名所旧跡を知っていた。
ところが子供たちは、自分たちの住む街の名所旧跡自然を知らない。
ところが子供たちは、自分たちの住む街の名所旧跡自然を知らない。
いや、知らないだけならまだ救いはある。
問題だと思ったのは、自分たちが知らないことを何でもないと思っていること。
そして、自分たちの街にはいいところがないと言わんばかりの態度をとっている事だ。
そんな子供たちの様子を見て思い出したのは、私の故郷である秋田の大人たちのことである。
「いいとこなんか何にもねな。」
そんな子供たちの様子を見て思い出したのは、私の故郷である秋田の大人たちのことである。
「いいとこなんか何にもねな。」
そう言って、自分たちの住んでいる場所を低く見ていたように私には感じた。
もしかしたら、それは一種の奥ゆかしさの表出だったのかもしれないが、
謙虚と呼ぶにはあまりにも卑屈なそのものいいがとても心に残っている。
今秋田は高齢化率が日本一なんだそうだ。
そりゃそうだろう。
小さな頃から私たちは秋田は何もないと教えられて育ったのだから。
今秋田は高齢化率が日本一なんだそうだ。
そりゃそうだろう。
小さな頃から私たちは秋田は何もないと教えられて育ったのだから。
より人の多い所へ、よりもののある所が良いと、教えられた子ども達は、
都会への憧れを育てていったのだ。地元を顧みないのは、
仕方のないことだろうと思う。
しかし、自分の地元の良さを知らない人が、よそ様の土地の良さを見つけることができるだろうか。
物の豊かさ、人の多さ、そういったものに目を奪われて、
しかし、自分の地元の良さを知らない人が、よそ様の土地の良さを見つけることができるだろうか。
物の豊かさ、人の多さ、そういったものに目を奪われて、
その土地の人たちが大切にしているような、
もっと大事なものに気づくことができるだろうか。
もし気づけたとしてもそれを良いと言えるだろうか。
もし気づけたとしてもそれを良いと言えるだろうか。
自分の住んでいたところの良さを、良いと言えない人が、
他の土地の良さを認めてあげられる、そんな気持ちが育っているだろうか。
よく見聞きすること。
そしてその良さを認めること。
そういう練習を自分の住んでいる街から始めなければ、自分の身近な人から始めなければ、
きっとそこから先広がっていく事はできないのではないか。
そうやって、広がっていけない人のことを、「田舎者」と呼ぶのではないだろうか。
そうやって、広がっていけない人のことを、「田舎者」と呼ぶのではないだろうか。
さて、私はどちらだろう?
そんなことをぼんやりと考えた。
