防ぎようのないことが必ず起きます。
また地震が起きました。
そして尊い命が失われました。
しかし、その失われた命を守ることが出来なかったかと言えば、
そうではありません。これは防ぐことの出来た事故なのです。
建造物の構造を理解し、そして起こりうる事象が想像出来れば、
あのような構造の建造物は私たちの身の回りから無くなるはずなのです。
この先、必ず地震は起こります。
その時、同じことが起きなければ、
尊い犠牲が生かされるのです。
先日の新幹線内で起きた事件もそうですが、
防ぐことが出来たのかも知れないのです。
事件や事故は人を不幸にしてしまいます。
もちろん全ての人が事件や事故を望んではおらず、
むしろ無くなることを望んでいます。
しかし、残念ながら、それらが無くなることはありません。
この事故で亡くなられた方は正義感のある立派な行いをされ、
一方の加害者は犯罪願望を持ち、卑劣な行為をしたのです。
もちろん被害に遭われた方は本当に何の落ち度もなく、
卑劣な行為から他人の命を守ったのです。
言葉に出来ない悲しみや悔しさは、残された家族の方々を
ずっと苦しめることになるでしょう。
そして、同時に加害者の家族にも同じ苦しみが続くでしょう。
どこで、何が、この結果を生む原因を作ってしまったのでしょう。
きっと一つのことが原因ではなく、複数のことが絡み合ってのこと
だと思うのですが、加害者には、人と共感すること、人に共感すること、
これらが欠落していたのではないでしょうか。
もちろん、家庭環境、学校等の社会環境、そういったことが、
関わっているのですが、周りの大人は、成長段階にある子供に
人との関わりと共感することの大切さを教えなければなりません。
僕は自分の仕事を通して、少しでもこのことが伝わればいいと、
そんな風に感じて生徒と接しています。
以前もここに書きましたが、勉強する理由は人とつながるためです。
どんな形であれ、必ず人と人はつながっています。
そしてお互い理解し合い、共に生きていくのだと思います。
つながりを断つことなく、皆が幸せに生きられる社会を
皆で作っていくことが大切ではないでしょうか。
人間がつながることで防ぐことの出来る事故や事件は多いと思うのです。
自然の脅威に対して人は謙虚になるしかなく、
一方で人が起こすことに対しては、
もっと積極的に取り組まなければならないのです。
犠牲になられた方に慎んでお悔やみを申し上げます。