2017年6月に起きた悲劇的な事件とその裁判の経過です。

神奈川県大井町の東名高速で、一家4人が乗るワゴン車を「あおり運転」で

停車させ、大型トラックによる追突事故で夫婦を死なせたなどとして、

危険運転致死傷罪などに問われた石橋和歩被告(26)=福岡県中間市=の

裁判員裁判の第6回公判が2018年12月10日、

横浜地裁(深沢茂之裁判長)でありました。

検察側は論告で、

「娘2人は両親を目の前で奪われ、一生消えない心の傷を負った。

娘2人は両親の声を聞くことも、抱きしめてもらうこともできない」

などと述べ、懲役23年を求刑しました。

 

もちろん、この被告人のおこなった行為は許されることのない、

重大な犯罪であり、テレビ番組を見ていても、当然のごとく、

重罰を与えるべきであると多くの人が述べていますし、

僕自身も重罰を望んでいるのです。

しかし、一方で、この被告人も被害者ではないかという、

そういう気持ちが湧いてきているのです。

それは、この被告人が十分な教育機会を与えられ、

教育を受けてきたのかということに疑問を感じたからなのです。

そして、この被告人に関わった親、教師など周囲の大人たちにも

重大な責任があるのではないかと感じるのです。

もちろん、この被告人は成人であり、成人の起こした行為に対しては、

本人に責任があるは当たり前のことであるということは言うまでもなく、

教育を受けるのも個人の自由であると言ってしまえば、

それまでなのですが、人間社会の中で生きていく以上、

その社会での、人としての基本的な価値観や行動規範といったものを

しっかりと身に付けて社会に出なければ、こういった事件は

再び繰り返されるのだろうと思うのです。

今、日本でも個人の自由、とりわけその価値観が多様化してきています。

しかし、その中で一定の何か、もちろんそれが憲法であるのですが、

それを守るということも含め、社会に生きる人であるために、

多くのことを学び、考え、行動する、という基本的な教育が

欠落していると感じるのです。

そして、そうして学んだ法を守ることはもちろん大切なことなのですが、

法を犯していなければ、何をやっても許されるわけでもないと思うのです。

今の日本もそうですが、他国においても、何か少しおかしいのではと

感じることが多くなってきているように思うのです。

これから、日本により多くの外国人がやってきて、

彼らが社会の一員として働くようになると、

ますます多様な価値観が生まれ、

それらの価値観をどう受け入れていくのかと考えた時、

私たちはもっと多くを学ぶ必要があり、

と同時に他国にやってくる人も、多くを学んだ上で、

その社会の一員として考え、行動しなければならないのです。

同じ言語を話す者同士ですら、分かり合えないこともあり、

同じ価値観で行動しているわけでもないのですからね。

国会では政府与党が中心となり、安易に法律を作っていますが、

その結果がどうなっても、その責任を取るつもりはないのでしょう。

共通の価値観を広げなければ共生は難しく、だからこそ、

その共通の価値観を広げるための教育や学習の大切さを知り、

そして実践していかなければならないのです。