20年経って気がついた事 | 千葉市ではたらく社長のブログ

 

芝生の匂いを嗅ぐと高校時代の部活を思い出す

 



20年経って気がついた事があります。

と、いうよりも

20年間も自分よがりな考え方で、

勘違いをしておりました。

 

それは…

陸上を辞めた理由についてです。

私は当時から最近まで

「辞めされられた」

「出来る環境がなく、辞めざるしかなかった。」

このように思っていました。

 

私は中学1年から高校3年まで

部活動として

陸上の長距離(駅伝)をやってました。

中学の顧問に誘われ始め、

幸いな事に中学校では

全国大会で4番になるなど、

かけがえのない経験をさせていただきました。

 

 

しかし高校では、

一度も選手になれませんでした。

陸上部の長距離の部門が独立した部活で、

そのまま冬の駅伝競技に参加するわけですが、

人数制限の無い個人の大会や、

タイム測定のために行われる記録会、

主力メンバーが出ないメインではない

駅伝大会などには参加していましたが、

いわゆるAマッチには選手になれませんでした。

 

この3年間は非常に辛く、

人生で初めての大きな挫折を経験する訳ですが、

やめる理由になったのは、

「選手になれない」

この事が理由でした。

 

私の通っていた高校は

全国的にも名の通った名門高校だったので、

3年の夏を前に、

冬の全国高校駅伝大会の

メンバー入り出来ない3年生は

退部して受験をしなくてはいけなかったのです。

 

自分の意思で残る事は出来ず、

強制的に引退を余儀なくされます。

 

この決まりは、数々の有名選手を輩出した

有名な監督(顧問)の考えだったようです。

 

校内で選手になれないとはいえ、

県内の高校生では上位なれる記録を持っていて

他校に行けば選手になれたり、

学校によってはエースになれる実力でしたが、

私を含め自校でメンバー入り出来ない3年生は

自動的に退部し、受験に備えるのです。

 

 

冒頭で、

「選手になれない」為に、

「辞めされられた」

「出来る環境がなく、辞めざるしかなかった。」

最近までこんな風に思っていました。

 

そこで最近聞いた、ある方の話に衝撃を受け、

「私は人のせいにして、

自分の夢を簡単に諦めたんだ。」

こんな風に20年経って気がつきました。

 




 

この動画の中で、

本田選手が、

中学校から高校に上がるタイミングで

挫折し家族からもあきらめるよう

宣告をされたようです。

しかしながら、

そんな事実を認められなかった彼は

自分自身の将来を真剣に信じて、

どのように行動するのか細かい、

戦術・戦略をマネジメントしていったそうです。

 

私はこれを聞いた時、

自身が追い求めていた夢を諦めた頃を思い出し

自己嫌悪と情けない気持ちになりました。

当時、彼のように自分のやりたいことを

突き進まなかった事を

後悔しているわけではありませんが、

あの時の自分に本田選手のような

思考があったらどうなっていたのか。

どうして人のせいにしかできなかったのか。

こんな風に思いました。

 

日頃、何かが起きた時や

物事に対して多面的に考え

後悔の無いようにしたいと思っていますが

全く見当もしない考え方も

あるもんだと気がつかされた出来事でした。