君の名は。観に行ってきました。
うん。ひたすらネタバレレビューするので
観てない人はここから読まないほうがいいです。


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はっきりいって盛り込み過ぎです。

・二つの問題を抱えていて、一つに収束することが出来ていない。

二人の記憶喪失問題と彗星衝突問題が二つ大きくあり、互いに並行してあるから、どっちに気持ちを傾ければいいか分からなくて集中できない。例えば途中の三葉と瀧が岩で再会し別れた時に、三葉は一生懸命町民を避難させようとするが、隕石衝突まで時間が迫っているのに、脱線するかのように「彼の名前を思い出せない!」となる。せめて衝突問題を終える、三葉と父親の最後の対峙シーンまでは「瀧君との約束を叶えるんだ!」と彼のことを忘れずに手のひらの「好きだ」という言葉を胸に、衝突問題を解決してほしかった(もっと言えば彗星衝突問題をメイン軸に置いてほしかったというのもあるが、次の箇条書きで話すこととする)

たとえ二つの問題があったとしても、一つに収束すれば解決する。言い換えると二つの問題を一つのシーンで一気に解決してほしかった。この映画の場合、彗星衝突問題が終わり、一気に5年後のシーンに飛ぶが、「彗星衝突問題は解決した」とあっさりと告げられ、「あ、解決したんだ。良かった」とホッとする間もなく、「ただ俺たちの記憶は失い…」と残った記憶喪失問題を取り上げられ「まだ残ってた」という気分になる。
一つに収束させるやり方は、この場合色々考えられるが、3年の時差があることで二人が再会することはなかなか難しくなってくる。ただなぜ私がこのやり方を推奨するかというと、この成功例であるスタジオジブリの「もののけ姫」を語るのが非常に早い。もののけ姫の問題点は山と人間の終わりなき戦いであり、それに派生して武士との闘い、包帯の病人やアシタカの呪い、シシ神の首問題。解決のしようもない問題を、最後の森の再生のワンシーンで、全てを解決させてしまう。私はあれほど美しい終わり方はないと思うし、山と人間の対決に終わりはないということは宮崎駿がたどり着いた答えなんだと思う。このような名作のレベルを新海誠に求めるのはある意味酷なのかもしれないけど、私はそれぐらいのレベルを目指してほしかった。


・彗星衝突という災害問題が原爆を連想させること

予告の時点で彗星衝突という大災害展開を想像していなかったので、瀧が三葉に会いに行く飛騨高山シーンで奥寺さんや司が「糸守!」と悲しげに反応したときにはすごい恐怖を感じた(声優さんは上手かったです)
彗星衝突というシーンを観ていた時点で「原爆」を連想した。OPで美しく彗星が雲を抜けて落ちていく時、まるでスカイダイビングをしているような爽快感があったが、途中で2回目の同じシーンが映し出されたとき「こんなに美しいものが数万人の命を奪うのか」しかも途中からその欠けた彗星の片割れが本当に小さい粒のようにも見え「こんなにも小さいものがものすごい爆風を及ぼすのか」という感じで「原爆もこうだったのか」と思えてならなかった。

それだけ重い題材と思えてならなかったのだ。考えれば考えるほど恐ろしく、最初の瀧と三葉の入れ替わりごっこがちゃらんぽらんに見えてしまう。前の箇条書きにあるように、この物語では恋愛要素も含まれているが故、二人の記憶喪失問題に重点をおかなければならないはず。なのに、彗星衝突問題という非常に重い題材をぶっこんで来たため、二つの問題が浮かび上がってしまった。

私個人で言わせると、彗星衝突問題は決して何かと連立させるような生易しい話ではない。もっと真剣に考えなければならないと思っている。それは明らかに原爆を連想してしまうから。
故に、この二つの問題を一つに絞るべきであり、記憶喪失問題を彗星衝突問題の付属として置くなどの方法を取るべきである。
だが、このような世界破滅パターンは成功例として、映画どらえもんシリーズが挙げられる。全てのドラえもん映画がそうであるわけではないが、大抵登場人物が世界の危機を救うという展開である。この場合どんなに悲惨な未来予想だったとしても「この世界が終わってしまう」とすごく抽象的に描かれている。これにより良い意味で、視聴者は無意識のうちにこの悲惨さを深くは考えなくなり、彼らの友情や救出に集中することが出来る。
ただこのパターンが「君の名は。」で通用するかはまた別な話だ。

・「新海誠が万人受けするアニメを作った」という皮肉

所々で過去作品と迷走しているようにも見受けられた。
例えば、最後の二人のすれ違いシーンは明らかに「秒速5センチメートル」。前の箇条書きにもある通り、私は二つの問題に混乱をして、内心彼らが会えても会えなくても正直どうでも良かったのだ。しかしそのすれ違いシーンは「秒速5センチメートル」であまりにも美しく描かれていたため、使いまわしされた感があり、嫌悪感さえも抱いた。
宮守家のご神体がある丘はいかにも「星を追う子ども」。あれは個人的に美しいと思うので、許す。
ユキちゃん先生も「言の葉の庭」の雪野先生だった(これはすでにそういう設定だから、むしろ好き。良かった)


彼の過去作品の結末はアンハッピー。故に今回も(「ハッピーエンドでありますように」という)期待を裏切り、悲しく終わるのかと思っていたのだが、ハッピーエンドだった。うーん。そもそもの彗星衝突問題が出た時点で途方もない絶望を味わい、「さすが、救いようもないものを入れてきたな」と新海誠らしさを感じた。そこからの無理やり持ってきたハッピーエンドは「万人受け」を意識して、彼ららしさを押しつぶしたようにも思えた。
「そこまで救いようもないものを入れるのであれば、もうそれでいいじゃん。彼らしさを失わないでほしい」と思えてならなかった。


・全体的にテンポが速い。

いろんな美しいシーンがどんどん出てきて、じっくりゆっくりと見たいのに、全体的にテンポが速いが故に、スルーせざるを得ない。しかも美しいシーンが多すぎてその一つ一つの価値が下がっている気もしたし、肝心の美しいシーンが埋もれてしまっているようにも思えた。例えば三葉(中身は瀧)、四葉、おばあちゃんのご神体奉納の帰り道で美しい湖を一望できるシーンで「わぁ綺麗」と思わず三葉が感嘆するのだが、映像は美しいはずなのに、全部のシーンが美しいが故に、説得力が無くなってしまっている。

テンポが遅くし、全体的にシーンを少なくするのが最適と思われる。
ある意味、新海誠の美しい絵の欠点ともいえるだろう。
「秒速5センチメートル」や「星を追う子ども」などの独特のロートーンはある意味彼の作品に合っていたのかもしれない。


・いろいろはしょり過ぎている。

107分という制限の中で色んな要素を盛り込み過ぎていて、映画何作分も作れる内容を一作にまとめちゃっていた気がした。例えば、最初の二人の入れ替わりシーン。コメディのように楽しく見られるのに、途中から「前前前世」が流れ始め、話が一気に展開していく。この時点で「これEDかな?」とも思えた。このシーンまでで一本の映画が出来てしまう。
先ほどの記憶喪失問題、彗星衝突問題もそれだけで映画何本も出来てしまう。107分にすべて盛り込み、前の箇条書きの美しい絵と同様に、一つ一つの事象が浅いものに見えてしまう。

過去作品の「秒速5センチメートル」や「星を追う子ども」「ほしのこえ」などテーマを一つに絞り、それをひたすら描いてほしかった。


・絵の線が細いが故に、繊細な内容であってほしかった。

この映画を観て気が付いたことは、新海誠の絵は美しいが、細かくて線が見えないようにも思える。この線が細ければ細いほど、映画の世界観を繊細なものとする(視覚的な印象として少なからず影響する)。だが、この内容は瀧といい三葉といい純粋で無鉄砲な部分がある。ある意味繊細でない。行動が細かくない。故に、視覚的な世界観とのギャップを感じる。

繰り返すが、そういう意味で過去作品は、繊細であった。寂しさやむなしさという繊細な気持ちにちゃんと絵が寄り添えていた気がする。


・三年という時差について

最初「必要あるのか」と思っていたのだが、「時間のねじれ」という意味で限りなく重要な要素となっていくため、切り離せない存在となっている。
また、三葉が瀧に会いに行くシーンでやっと会えたという電車の中で単語カードをにためっこしている中学生の瀧に小声で「瀧くん」とささやくのは、個人的に好きである。女の子との思春期特有の可愛らしさが出ている。なんだか正直それだけでいろいろ許せてしまった部分がある。



・散々ディスってきたが、小さな演出は好き。

演出としての評価は基本高い。一つ一つの動作がリアルである。三葉が瀧に会いに行くシーンで、歩き疲れて、終始足元をクローズアップする。これは「歩き疲れる」という特有の疲れを表しているし、私も経験があり、これは良かった。

序盤で瀧と三葉が入れ替わっているとき、瀧が三葉をいじめる三人組をやり返すように、机を脚蹴りしたのは、個人的に爽快感があった。ああいうのは好きだ。

二人の趣味も好き。カフェ巡りやスケッチ、組糸や刺繍。全てやりたくなってしまうような描き方をしている。

あとワンダーフォーゲル部所属の私にとって、瀧の装備が気になったけど、ちゃんとトレッキングシューズだったのは評価が高い。三葉が彗星衝突目前で瀧がいる岩まで往復するのはちょっとあり得ないと思ったが、見なかったことにしよう。

OPとEDの曲がメディアで散々公開されてた「前前前世」と「スパークル」じゃなかったのが、むしろ新鮮で良かった。

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と、まぁ言いたいことはまだまだたくさんあるが
今夜中の4時である。流石に寝よう。
また言いたいことが出てきたら書くことにする。

文芸部特有?の変な考察癖が出てしまった感じがある。