Juliaのブログ

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何気ない日常生活や、趣味、持病の事、持病についての悩みなどお伝えします。

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こんにちは

年が明けて慌ただしく日々が過ぎていますが私一人がスローな感じです。

このままだと肥るばかりなので何か動かなければと思いながらダラダラしています😣

今日は入院するまでの私の生活について書きたいと思います。

私は現在、夫と二人で暮らしています。

三人の子供たちは独立しました。

末娘は、大学2年の時、同じ大学の同級生とデキ婚して、現在は5歳と2歳の男の子がいて、我が家から車で🚗約4時間くらいの街に住んでいます。

月に2回くらいは泊まりで遊びに来ます。

今思えば私の孤独感は、この頃から始まっていたのかもしれません。

娘とその旦那はまだ大学生でしたが、出産と同時に籍を入れ、両家で話し合い、授業料のみ親が出し、育児費と生活費、アパート代は、二人のバイトで暮らしてもらう!

生まれた赤ちゃんは、私が娘の代わりに毎日、日中、面倒を見ていました。
授業とバイトで朝から晩まで娘夫婦はいないからです。

しかも、向こうのお母さんはフルタイムで働いていたときたもんだガーン

だから今でも5歳の孫は本当に本当に愛おしくて可愛い❤️💕です。
もちろん2歳のチビもめっちゃ可愛い😍ですよ❤️

で、4年前の春に卒業、就職で離れた訳ですよ!

その時の私のなんとも言えない寂しさは、ハンパないモノでした〜えーん
特に孫と離れるのがねー

それと同時に、一番上の長男と真ん中の長女は地元で就職!

まだ、二人は自宅で一緒に住んでいました。

なので、チビと末娘夫婦が頻繁に来なくても、まだ寂しさはそこまで酷くは感じなかったのかもしれません。

2年後、長男は一人暮らしを始めました。
私はマジで止めたんですがねー(-_-)
自宅から車で🚗15分くらいだが、私には遠く感じたのだ...

長男も、やはり私の初めての子供だったので5歳の初孫同様に、思い入れがある子でした。

その時もズドーンと寂しかった記憶がありますぼけー

そして翌年の4月、真ん中の娘が、コレまた私が止めるのも聞かず、一旦退職してカナダに🇨🇦語学留学に1年間、いわゆるワーホリに旅立ちました。

でも、ワーホリは1年経てば帰って来るという、安心感はありましたねぇ〜

それで、私は時間もあるしと思いバイトを始めました。

シフトなので、2週間前に休み希望を出せばその通りに働けるので、孫たちが来る時は休みを入れて働き始めました。

仕事は、楽しかったし、一緒に働いていた主婦の方々は親切で、適当に距離を置いてのお付き合い!
若い子たちもみんないい子ばかりで楽しくお喋りしながらなかなか快適な職場でした。

てか、この楽しかった仕事もすでに辞めているとゆうこの現実笑い泣き

仕事を辞めたのも、今回の入院と関係あるので、後ほどゆっくりと書きますね☝🏻

ただし、仕事の内容はハードでした。

まあ、楽しくてラクな仕事はあんまりないとは思うんだけどねぇ〜

そんなこんなで、一年が過ぎてワーホリを終えて長女が帰って来ました。

長女は専門職なので、就職は数日で決まり、またいつも通りの生活が始まりました。
娘は、夜勤があったので家ではあまり遭遇しなかった気が...笑い泣き 世話はかからなかった

しかし、安心していたのも束の間、長男がいきなり結婚したいと言い出し、あれよあれよと言う間に、両家で顔合わせして入籍❗️
結婚式は夏に決まりました。

お相手の方は、とてもしっかりとしていて優しいお嬢さんでした。
ご両親も〜
特にお母さんがとても面白いタイプ🤣
お父さんは職人気質で物静か

さてさて

この頃から仕事疲れと精神的なダメージが少しずつ私の身体にのしかかっていたのかも....🤔

しかも、私はぜんぜん子離れが出来ない人間だったんです。

そんなダメージが抜けきれてないのに、2か月後には、ただ一人、私の元に残っていた長女までもが、ずっと付き合っていた彼と同棲するって引越ししてしまいました。
⬆️コレまた止めてもムダ!
ワーホリで1年間、遠距離だったんだからねぇ〜
この子も、またまた今年か来年には結婚💒するとゆう...
しかも、相手はアメリカ人🇺🇸

ご両親とはスカイプで挨拶しましたよ〜
彼に通訳してもらいながら(°_°)
まあ、この二人結婚後も日本に住むとは言ってるが、チト心配〜

まだ、長男、長女は、同じ市内でしょっちゅう来れる距離だから、そんなに寂しがらなくても良さそうなモンですが、鬱っぽさガチの私には耐え難い心境です!

でも、仕事はあるので出勤はしてました。

んで、運命の10月30日

その日は外来を受診した後、仕事に向かう予定でした。

大学病院で4科を受診して会計を終わらせた直後から、いきなり私は全ての記憶が吹っ飛んでいました。
その時の事は、今でも覚えていません。

気がつけば、診察室で数人の医師、看護師に囲まれていろいろ聞かれていたのです。
車椅子に座って...
何故か脚に全く感覚がありませんでした。

後から看護師さんから聞いたのですが、しばらく朦朧としていて自分の名前さえ言えなかったらしい。
それで、すぐに入院になっていろいろあって現在に至る、、、みたいな、、

んで、さっきのハードな仕事の事ですが詳しく書きますと...

職場は飲食店なのでずっと立ち仕事でした。

シフトは希望を出さない限り、私は遅番だったのです。
15時に in してアップは終わるまで⤴️
時間にすれば、午前1時くらい

早く終われば終電に間に合うかもしれないので車では🚗行ってませんでした。

終電を逃せばタクシー🚕になるので、それは勿体ない❗️

だから、よく自転車🚴‍♂️で約40分かけて出勤していました。

身体的には意外と大丈夫でした。
自分でも、よく体調崩さないなと思うくらい
あの頃は仕事があるから気が張っていたのかも

午後2時に自宅を自転車🚴‍♂️で出て、3時からシフト入り、夜中1時くらいに店を出て40分チャリを漕ぎ自宅に着いたら午前2時近く
んで、シャワーに入り🚿寝る

翌日は6時半に起きて旦那のお弁当🍱作ってから少し寝る

夕食の用意をしてから、また出勤

こんな生活で、週5日仕事に行ってました。

時々は自転車、時々は電車で通勤してるって感じ

今になって思えば、寂しさを忘れるために仕事に気を向け過ぎて、特に精神的に参りかけているところに、身体的な疲れがドッと出たのかもしれません。

仕事は楽しかったけど、シフトもギュウギュウ詰めにしなければ、こんな事にならなかったのかも....

今さらですよねぼけー

今も、まだ過去の記憶がスッポリ抜けている期間があります。
昔の携帯や、写真、ビデオなどを観ながら少しずつ思い出していこうとしています。

なんだか暗いお話になってしまい大変申し訳ございませんでしたーーーッ笑い泣き

また更新しまーす