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seawinterのブログ

絵は語りたいメッセージである。自由に想像の世界に遊べば良い。
ブログは内面のスケッチ集である。
ここから 創作へのステージは開かれている。

洗濯・食事は、毎日  出来ていますが、 掃除 だけは、苦手 です。

 

主婦経験者が  なあ~~に ??

 

ナマケモノ と 言われても 致し方ゴザイマセン。 m(_ _)m

 

 

 

反論  と  言いますか、

 

誇示したき  点 は、 保つ  べき  でしょうか?

 

 

一人 というのは、 あやふや  な もので  ゴザイマス。

 

義孫 が 洗濯キライ で 全裸 で あった ように (ただの 推測)

 

したく無いことを しない!  を 通すことで、 なんとか 保っているのです。

 

精神的に モロイ トコロ を ネ。

 

誰も 入って来れない トコロ を 誇示 し、 秘密 を 持つ 事が 大切なのです。

 

心理的に  説明 すれば  と いうことデス。

 

人は やはり 人と 共同生活 することにより、正しく 機能すると いうことなのです。

 

だから、ご面倒でも、 お身内の存在を どうぞ、 お大切に なさって下さいませ。

 

沢山の家族を 見送って 来ました。

 

 

祖母・父・妹・母・兄二人・義姉・ 義娘・義息子・夫

 

甥 と 姪 たち は、しかしナガラ、疎遠にしてしまいました。

 

生活することで、いっぱい・イッパイ でした。

 

お互いに でしょうか。

 

発信することで 何処かで、同じような境遇 の 方々 の 目に止まれば と。

 

そして

 

ひとり じゃ 無いよう~~~

 

どっこい 力強く  生きていますよ~~~

 

運動教室 や カラオケ教室 で 出会う方々

 

      本当に ありがとう~~~~~

 

みんな、明るく  元気 で 集っていますよ~~~~

 

最後のその時まで

 

明るく、生き抜くんだよ~~~!

 

      って、 自分に  言い聞かせて おります。

 

誰でも、それは、同じでは、無いでしょうか・・・・・・

 

マイナスの事は 言わない を 自戒 として 来ました。

 

母も 苦しい生い立ちながら、愚痴を 口にしませんでした。

 

母親(28歳・肺結核)を 9歳で 亡くした 母 は 私から見れば、壮絶でした。

 

モチロン、学校も9歳で 退学し、子守奉公に出て、他人さまに食べさせて頂いたのです。

 

明治44年から、 9年後、大正時代ですよね。

 

父親(祖父) は、 って?

 

ダメ夫で ヨソに女をつくって 家を出ていました。

 

祖母(母の)が 戸籍 を 自分の籍に入れました。

 

叔父と名字が異なります。

 

 

 

父と見合い結婚をしたのは、 19歳、昭和 5年 でした。

 

それから、 8人の子供を産んで、育てました。

 

4番目から6番目 の 3人の子供は 盲腸の手遅れ と 疫痢(2人)で 失いました。

 

戦時中とは いえ、 子供を失った悲しみは そうとうなモノなのでしょう。

 

私が産まれて来て、元気を取り戻した 両親は 優しかった です。

 

三人の兄達が 嫉妬するくらい だったかも しれません。

 

そんなニギヤカな 家に育った 私ですから、 今 が  一番 寂しい 境遇かもネ。

 

けれど、負けては イラレナイ。

 

心 に ロウソク の 炎 を 灯続けましょう・・・・

 

私が 元気でいたら、みんなも 私の中で 生き続けられるのだから。

 

私が 結婚してからの 母の寂しさ を 意識出来ていませんでした。

 

 

だから、こうして、 今 を 過ごすのは、それを 気づけた事 と 想います。

 

祖母が 女の子・女の子 と 希望して  待って て くれたそうです。

 

祖母に しつけ を されて、母には、一度も ブタれた事はありませんでした。

 

お風呂屋さんに行く時には、 母に 甘えてばかりの 楽しい時間でした。 (*^^*)

 

妹と私に、まといつかれながら、暮れ方の道を お風呂屋さんに通ったのは、 母としては、一番楽しい時間だったと  その時の 母の顔が オモイダサレマス。