先日来から 椿が満開である。
昨日、スマホで 写真を撮っていたら、伏見稲荷のお山から 降りて来られた観光客の二人の男性(外国人)が 話しかけてきた。
こちらは、実生でと、説明したいが、英語は カナキしダメで、「バイ・バイ~~」だけを交わして、笑顔で さよなら した。
今日は、百舌鳥が 高い鳴き声で キー キー と 鳴き続けている。
山辺であることの 自然の豊かさは この上もなく 有り難い。
坂道は 避けて通ることが出来ないし、段々と きつくはなっているが、食料品をリュックで担いで帰ることは、慣れているが、一部の方々は、引っ越しをされている。
椿の話に 戻ろう。
夫の姉の 嫁ぎ先の庭から、椿の種は 拾ってきたのだ。
だから、20年は 経っているだろうか?
スラ スラッ~~ と 年月が 過ぎ去り、小さな庭の 木 たちが 育っている。
もう一本の 八重の椿も、今年は 花付きが 良い。
何のこだわりもなく、淡々と過ごしてきたが、逆に 有り難い こと である。
50歳で 乳がんの再発転移で 思いがけなく旅立った 妹 が 生きていたら と、 時折 思い返す。
無くなる前、言い残した事は、信用出来る人間は 3人しか イナカッタ。
「その一人が 姉ちゃんや・・・・・・・」
男社会の中で、建築設計士 として、 生計を立てていた 妹は、 私の知らない 社会の厳しさと戦って居た。
20年前は まだまだ 女性の社会進出は 少なかった。
建築設計2級の国家試験を 取り、1級を取り、 彼女は懸命に 生きた。
頭の悪い 私には 考えられないことなのです。
その彼女がパソコンを使いこなしていて、設計もパソコンでやっていたから、パソコンだけでも、使えるようになりたい と 教室に通いだした。
彼女という先導者が居なかったら、私は、こうして、パソコンで文章を発信して居なかっただろう。
だから、精一杯 生きた彼女 は 眩しい。
46歳 義娘、 48歳 義息子、 50歳 妹 と 次々に見送った。
ポッカリ空いた 自由時間 と 健康
亡くした者への 想いは 飲み込んでばかりだった。
必死に 健全に歩いてきた 数年だが、手をコマヌイている本題に真剣に向かうべきと 想う。
時間は 待ってはくれないのだから・・・・・・・