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seawinterのブログ

絵は語りたいメッセージである。自由に想像の世界に遊べば良い。
ブログは内面のスケッチ集である。
ここから 創作へのステージは開かれている。

夫が亡くなってから、8年、故あって 義理の孫への「送金」と 「安否確認」という 仕事を担っていました。

 

相続した義孫の預貯金が無くなり、完了 と なったわけです。

 

安否確認に 2ヶ月に1度でも、訪問しましょうか? という 問に 「否」との 回答。

 

37歳になる 義孫は 珍しい 形の 引きこもり なのです。

 

原因は 父親の母親に対するDVで、脳にコミュニケーションを司る部分の脳が 生成されなかった事です。

 

生まれたての乳児期に その脳は 生成されるとの アメリカでの研究を知り、つい数年前に知りました。

 

義娘が2年間、京大病院に入院した時、11ヶ月間、6歳の義孫を預かった時がありましたが、その時は、異常には、気が付きませんでした。

 

そんな折、自身の乳がん手術で、あとの1年間は父親の両親の家にて、預かって頂きました。

 

地域の年長のおばさんが、来た時は、「目つきが異常で、驚いたけれど、普通の目つきに変わって来て、良かった」 と 漏らしておられた事が、遠い空の向こうから聞こえて来たように 驚いたものです。

 

義孫は 中学1年生で 自殺未遂を犯し、命は取りとめられましたが、病院の中の学校で義務教育を終えました。

 

義娘は離婚を希望し、ひとり、離婚調停で 頑張ったそうです。

 

しかし、養育費用も マッタク 何 も 保証は 取れなかった。

 

何にも無くても、離婚したい! だけ だったらしいです。

 

今、考えると、マッタク 無謀としか 言えませんよね。

 

義娘は 本当は私に 離婚調停への付添 を 願っていたそうですが、

夫は無視して、何も言いませんでしたので、シャシャリ出ない方が良いと、おとなしくしておりました。

 

膠原病という病 (奇しくも、違う種類の膠原病で2番めの妻を失っている夫) で、働けない義娘は 生活保護で 生活しておりました。

 

幼い喪主に変わり、葬式(小さな葬儀場) を 取り仕切ったのは 53歳の私 でした。

 

義孫は 引き続き 生活保護対象となり、夫が亡くなるまで お世話になっておりました。

 

相続以後、安否確認が必要になり、自宅訪問を 要請されて、毎月、

日にちを本人に確認し、通っていましたが、 それも、いらなくなりました。

 

電話も 母親の死後、本人が取り外し、連絡は 簡単には取れない状況でした。

 

ガスも使用していない 状況での 電気・水道のみの生活 と 行政の聞き取りで 初めて 知りました。

 

本当の処、義娘は父親の家(この自宅)を 狙っていたらしいですが、1周忌後の 突然の再婚で 入り込めなかった と 死の数日前にモラしていました。

 

複雑な家庭環境は のほほんと過ごしてきた私には、不可解すぎて、理解の範ちゅうでは 無いので、 冷たいと思われても いいので、 知らぬ存ぜぬ  で 来ました。

 

先様が望んで交流を 請われたら、受けますが、おせっかいが、過ぎても、気分が悪いだけと 想い、やり過ごして来ました。

 

どうやら、義孫は 手伝いを拒否しているようですので、 役所からの連絡があれば、 動きますが、これからは 居ない者 として、 過ごそうと思っております。

 

ひとり相撲ほど 苦手なものはありませんから・・・・・・・

 

彼の母親のお位牌も 15歳の義孫には お寺さんとの関係とか、荷が重すぎると 我が家の仏壇で お世話させて頂きました。

 

いらぬおせっかいだったかも、しれませんが、故人に対するお世話は、お寺さんとの関係は欠かせぬ問題がありますので。

 

また 金銭的にも 大きな問題がありますので。

 

義孫は 母親をお位牌では 満足しないでしょうし、義娘は大好きな父親と一緒に墓に祀られて、幸せと感じていると 信じようと思います。

 

友人に電話で相談したら、若者(彼女の姉の子=甥) との関係から、有益な情報を聞かせて頂きました。

 

近くにあるお墓にも、参りたがらない・・・・・・

 

それが現実のようです。

 

尚、彼は 海外に出張して、バリバリ仕事している 好青年らしいです。

 

引きこもりには、色々種類もあるのでしょうが、接したからと言って、別に 何がわかるというものでも無いと、 それぞれ、手にした時間を それぞれが どのように活かせたか が 問題であると 我道を行くしかアリマセン。

 

お役御免 の ご褒美に 素敵な色の お洒落な Tシャツ を 購入しました。(*^_^*)