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seawinterのブログ

絵は語りたいメッセージである。自由に想像の世界に遊べば良い。
ブログは内面のスケッチ集である。
ここから 創作へのステージは開かれている。

高校1年生で 同級、 そして クラブ活動で一緒だった 友人Aさんと

ずっと オシャベリしてきた。

 

20~30代の 花の頃は 緊密ではなかったが、 40代以降は 同窓会で年1回は 会うことにして来た。

 

心のなかで 密かに思い出していた 祖母の教えを 自然に喋っていた。

 

「メモでいいから、その話 書いて送ってよ」 って  頼まれた。

 

昨日、一日かかって まとめて、コピーして、送った。

 

彼女は 「4歳までに言われた事を そんなに覚えている人 無いと思うよ~」!!

 

先祖(父方、母方)の 歴史上の出来事の時、どうしていたか???

 

まとめて見て、わかった事は、267年もの間 比叡山の坊主 してたの???

 

後醍醐天皇が吉野へ逃れた(1336-12) それを機に、当時、御所の北面の武士をしていた母方の先祖は 比叡山に入る と 聞いていた。

 

年代は大きくなってから調べたのだが、頭の中でモヤモヤと覚えていた内容は 変わらない。

 

争いが嫌で 比叡山に入った。

 

そして、徳川家康公の 命令で 江戸城の茶坊主に就任した。

 

やはり、もう戦を起こさない為に そのような制度を 作ったのだと 歴史で教わっていた。

 

しかし、267年間の修行は 一人では無いだろう・・・・・

何代も続けて  だよな~~~??

 

将軍様に拝謁を賜る 300 の藩 の殿様を ご案内する (例の松の廊下) の 茶坊主 だ。

 

江戸城無血開城の日まで きちんと就業して、 そして江戸城を去った。

 

その人の孫として母は、奈良県は東大寺のすぐ側で 明治44年 生まれたのだった。

 

戸籍謄本の住所を頼りに 行ったら、本当に近かった。(笑)

 

祖母のしつけは 厳しかったけれど 戦争の最中に生を受けた 孫(女児) は 愛おしかったのだろうと、そして、今、 私は 祖母と同じ年齢になっている。

 

時の過ぎ行くスピードに  もはや ついて行けない自分を発見する。

 

平和を保つ生き方ーーーー絵は、平和でなければ 描けない と 父は 許してくれたのだった。

(祖母は 12歳の時 82歳で亡くなっていた・・・・・・)その時、25歳だった私です。

 

絵は介護が始まる時、断筆して そのまま 復帰出来ていない。

 

老いるスピードは 早すぎて 追いついて 行けない 私です。

 

何やら 不穏な風が漂っていますが、やはり、平和 を 願う 気持ちを

強く 持たなければ と 思っております。