ぼくは噛み砕かれるために生まれてきた。


そして吐き出され、踏み潰され、ヘラでそぎ落とされる。


ガムだ。


通信機器のSEだった北村という男は、インターネット通販で僕を購入した。
ガムを通販?送料の無駄ではないか。


僕はギニアの労働者の黒い足の白い面でよく踏みにじられ、
ガムベースとなり、清潔なライムグリーン色の容器に数多くの同胞達とともに詰め合わせられ、
シンガポールの交易会社経由で日本の工場に卸された。
僕は・・・10円ぐらいになるらしい。


同じ容器に詰められた同胞達500人ほどと同じ行き先に行くことが出来たのは幸せだ。
そうか、北村は、大量に安く購買したのか。なかなか賢い男ではないか。
少し、北村に噛み砕かれてやってもいい気がした。


北村は仕事中に僕をケースからつかみ出し、噛み砕いた。
よくイライラしている男である。何でも、34になるというのに、独り者らしい。


喫煙室で、一人だけぼくを噛みながら、出て行った女房の話をしている。
北村の同僚達は、以前同じ会社で秘書をしていた北村の女房をよく知っているらしい。


彼女は煙草の煙が嫌いだったという。北村が禁煙にも成功し、癖のパチスロも足を洗ったとのことで、
もう一度仲直りしてみろという。ほほう。どうなのだ、北村?歯の動きが止まったぞ。

後輩の男がキャバクラに連れて行ってくれと北村にうるさい。そういうのは、
先輩、たまってるからっすよ。貯まっている?なにが貯まっているというのだ北村。


同胞に聞くうわさによれば、多くの日本人はきちんと紙に包んで捨ててくれるという。
次はアルミ箔の旅か、と楽しみにしているのだが、北村はなかなかぼくを出さない。
北村。今日はどうしたというのだ。


20時になり、後輩が北村に抱きついてくる。錦糸町に連れて行けという。
あぶない!北村が僕を飲み込みでもしたらどうするというのだ!


北村は帰りの乗り変えのホームで、とうとう僕を吐き出した。
というより、口から落とした。

向かい側のホームのトレンチコート姿の色の白い女を、凝視している。
誰にも聞こえぬ声で、聡子、といった。

北村よ、駆け出せ。失うものは無い、駆け出すのだ。床に落ちたぼくは力の限り祈った。


電車がホームに停車し、発車した。北村は最後の瞬間に、ドアのなかに滑り込んだ。
なんとかの穴の小さい野郎だ。そうつぶやいてぼくは、この先どうしようと、途方にくれた。


暫くすると、息せききって階段を下りてくる音がした。その音はぼくにだんだんと近づき、
ホームぎりぎりの僕をパンプスで踏みにじった。


パンプスは遠ざかる電車を見つめ、微動だにせずいる。


泣くのではない、聡子よ。ぼくが君を、家まで送ろう。



                               お口の恋人 おわり

日本は歌人の国です。


願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ                         西行


かつて教養とはよい歌の読めることでした。フランス革命以来、人間独自の個性とは絶えず叫ばれてきています。

しかし日本の歴史をひも解けば、日本の教養人たちは、政(まつりごと)こそ確固とした伝統によって引き継ぎ、さらに絶え間ない世襲による天皇制を脈々と実践する保守的な国家でありながら、こと歌に関しては、まことに筆の手厳しい歌論が人の間で豊かに繰り広げられてきました。


後鳥羽院が西行法師の歌を褒める様をご覧下さい。これは口伝です。


「西行はおもしろくてしかもこころに殊にふかくあわれなる、ありがたく、出来しがたきかたもともに相兼ねてみゆ。生得の歌人とおぼゆ。これによりて、おぼろげの人のまねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり」


(西行の歌とはおもしろくて、しかも情に迫りくる、めったにない形式をも兼ね備えている。天性の天才である。だからこそ、歌に自信のない者がまねなどする歌ではない。)


西行と後鳥羽上皇とは深い親交がありました。同性愛説まであるぐらいです。

「西行はおもしろくて」

学生の古典の授業は「おもしろき」を「趣深い」と習います。しかし上記の上皇の興奮したお喋りを聞いてください。「面白い」、といっているに決まっています。では面白いとは?語源は目の前が白くなること。前途がぱあっと開けることです。今で言えばインスピレーションでしょうか。いままさに新しい発見があり、新しい価値が見出され、変化が起ころうとしている。そんな含みのある素晴しい言葉です。「趣深い」なんて内省的でネクラな言葉にするのはもったいないですね。


新しい人間による新しい表現への驚き。

文学、文芸以前の、人間の原動力の原点といえるでしょう。個性とは叫ぶものではない。引き剥がそうとしたって分裂するのが関の山です。そしてこれはもはや通説です。


表現とは時代が求めてやまないものでありながら、優れた表現には時代を超越し創作する力があります。


音楽で例えれば、とある、音に凝ったものが優れた楽器を作り上げ、作曲家の時代があり、演奏家の時代が続き、批評家が現れ、大衆の反応が、一極集中な熱狂から、個人趣向的な反応になれば、あとは収集、記録され大全する、という流れがあります。


そのとき歴史がいかにその個性と反応したか。おそらくそれは歴史のほうからやってくるものであって、個性から歴史に向かって行くものではない。意識ですら無意識が作り出したもの、という前提に立ち戻らねばならないようです。


うさぎと申します。


あ、カイウサギです。


はい、先日郊外で車の窓から捨てられました。


え?少し太っていたので怪我はありませんでした。

あーそうですね。困ったもので、とりあえず自分家探しました。春だし、草も生えてるし。

飼い主の子どもががよく学校の帰りの、草を摘んで帰ってくれるんで、
草のにおいでなんか道が分かったんです。


いえいえ。犬とかと一緒ですよ。


あー、犬と言えばですよ。自分の家、結局分かったんです。
で、窓から覗いたんです、中。


え?


ああ、自分「秋田ジャンボ」って品種で結構でかいんです。ええ。

それで、聞いて下さいますか?犬、いたんですよ。家のなかに。

芝とかいうんですか?茶色いやつ。「あー。それで、、」って、思いましたよ。


ほんと腹が立って、でも悲しくて、悲しくて。
もう死のう、って思ったんです。


はい。でも、そしたら、中の犬がさすがに気づいて、狂ったように吠え出したんですよ。
あせって逃げたんですけど、そしたら犬が追ってきたんですね。玄関から飛び出て。


ああ、殺される、って思いました。でももう自暴自棄だったんで、なんか
スローモーションというか。犬が襲ってくる恐怖も、なんか感じちゃう感じでしたね。


気持ちいい、みたいな。マゾっぽいやつです。


えー、ありますよ。私たちウサギって、やっぱりMなんです。
猫とか、ドSですね。犬とかもMですよ。


そうそう。で、みるみる追いすがられて、腰の辺り、咥えられて、殺されるって時に、
「わたし、飼われてたの!同じ家に!あの家族に!」って連呼したんです。


そしたら、その犬も無口だったんですけど、口から私を放して。なんか話聞いてくれて。

でもたまによだれとか垂れてるんで、「合成飼料で育てられたー」って一応釘刺しときましたね。
飼い犬も最近免疫ないですから。


ええ、それで、なんか感じいってくれたんでしょうね、無口でよくは分からなかったですが、
あの家族のとこ戻る気、無くしたみたいなんです。


ええ、逃げようって。


嬉しかったというか、、言葉にならなかったですね。
それで、私を咥えたまま、彼、山のほう向かったんです。

一緒に暮らそうって、言ってくれました。

息使いとか、太い後ろ足とか。。もう、恋に落ちてましたね、完全に。

真っ白い月が出て。この後どうなるんだろう、って思いながら。


はい。そのとき、です。お互い耳はものすごくいいですから、

車の音はもうずっと前から気付いてたんです。
ただ、あまりに急なカーブで。あと、なんか変な運転、してたみたいですよ。
聞きなれないエンジン音だったし、変な模様の車だったし。


痛みとかは、覚えてないですねー。
彼に咥えられたままでしたから、幸せだったのかもしれませんね。
お互い即死でしたし。


・・・・・・・・・


でも、ほんとなんですか?
私正直、あなたの事信じてませんでしたよ。生前は。
人間とかはなんか色々花飾ったり、蝋燭ともしたりしてたの
知ってますけど。

世界中で、信じてるみたいですね、あなたのこと。


でもそれがほんとなら、嬉しいです。
彼が私を咥えて、逃避行してるところを、
あの真っ白な月の影に、してくださるなんて。


                                月影伝説  おわり







朝方近く。料理屋の雪見窓からの闇がいつの間にか群青色になっているのを、優子は決して見ぬようにする。

 空腹は通り越して、胃液の移動するのを瞼のうらに見るようにしながら、微笑をたたえる。空腹という概念は無くなる。空腹という状態、空腹という事実を理解し愛しいと思うようになる。接客とまったく変わることが無い、とある日優子は気づいた。それ以来、仕事がずっと楽になった。

「優子さん、生まれは?」客の声ではっとする。

優子は大陸の生まれである。純粋な中国人で、完全なバイリンガルだった。中学校にあたる教育しか受けてはいなかったが、頭が良かったのと、10代のときの激しい日本コンプレックスが、彼女の美しい日本語を育てた。

慣れ親しんだ客には隠さず話していた。それでも、今日の役割では、馬鹿にされるネタになるばかりだった。

医師は中国にまつわる要らぬ冗談を、丁寧に並べた。女将は目を細めて聞き入って、笑った。

優子は細く野次りながら、愛しく何度も何度も笑った。悪口は、大好物である。

「じゃあ、移民か、出稼ぎか?うまくやったもんだな。銀座デビューする前は、農家だろう?北京行きの列車の、人の上に乗るんだろう。」

「そうよ。胡麻を乾燥させて、こうして打っていました。」本当だった。杵をもって、空振りする真似をして、大笑いした。

とたんに、口の中の奥歯に詰まっていた何かが、取れた。今日一日中、奥歯に、何か詰まっていると思った。もう何時間も、気にしていた。今日はこの異物のおかげで表情筋が乱れると、化粧室に行く度にうがいをするが、うまくいかず、苛々していた。

「じゃあ親父お袋はお前出稼ぎに出して、胡麻打ってるわけか。よくある話だよ。」

優子は冗談を重ねながら、ゆっくりと噛み潰した。それは胡麻であった。香りが喉から鼻を襲った。喉に金色の香油が弾け、喉という瀧をくだり、広東省の青空を吹き渡った。風は濃く青い胡麻畑を撫ぜて、麦藁帽子を被った猫背の母の茶赤い前掛けを揺らした。

ma、」 (おかあさん)

「え?」井上が聞き返した。優子は虚空をみていた。笑っていた女将も笑顔をふと固めて優子をみた。

lian hua shan」 (蓮花山) 

38才の、目もとの笑い皺を固めたまま、優子の健やかな瞳に、白雲が浮かんでいた。

                                         胡麻一粒  終わり

優子が化粧室に立つと、井上も間を置いて席を立った。立ち上がったものの、なぜそうしたのか分かっていなかった。戻る不自然さは憚られてそのまま化粧室に向かい、その前で小さく咳き込んでいる優子を見つけ、その細い肩の震わしかたまで、何もかにも見透かされているような、そんな思いを井上にさせた。俺は声を掛けるだろう。大丈夫かと聞くのだろう。女への畏怖は井上にとっては極上の安堵だった。

「シクラメンは、よして欲しいの。百合でいいの。鉢でないといけないし、根付く(寝付く)、というでしょう。カサブランカのような大きいのでなくて、笹百合はご存知?」

「なんのことか、分からない」分からないし、笹百合も知らない。

「いつもお礼は、お花になさるでしょう」

井上が答える前に、優子はさらに細く短く息を吸って、化粧室にひるがえり続きの咳をドアの向こうで立て続けてした。咳を一度するごとに、屈みこんでいる。井上はシンクでハンカチを湿らせて、耳をそばだてた。耳を澄ますのは、どれぐらいのことだろう。壁に額を当てて、湿ったハンカチが、汗ばむ手に冷たい。シンクの鏡に百合が揺れたと思ったら、白いワンピースの優子は、席に向かっていた。井上の背を右手で触れていった。

女達は夕方身支度後に食事を済ませるか、そのまま同伴で食事に行く。クラブの後二次会で料理屋なぞに行っても、客が蕎麦か何かを食う、食事の匂いをかげる程度のものである。妻は食事を供にする女である。だから我々は食事をしない女である。優子はそう思っていた。優子の患いは肺であったが、夜の女はたいてい消化器官か摂食障害で崩れる。12時間冷たい水割りのみを濾過し続ける強靭な内臓と精神。優子の場合はトイレで角砂糖を飲むことにしていた。臭いもほとんど残らないし、時間もかからない。

 朝方近く。料理屋の雪見窓からの闇がいつの間にか群青色になっているのを、優子は決して見ぬようにする。