古川薫『高杉晋作 わが風雲の詩』 | キムチの備忘録♪

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動けば雷電のごとく発すれば風雨のごとし――吉田松陰の松下村塾に学んだ高杉晋作は生涯に四百篇もの詩を詠んだ。幕末動乱期、倒幕をめざして型破りの行動力で乱世を生きた晋作の人生は壮絶そのものだった。

志半ばにして早世した風雲児の足跡を、同郷人である著者が重厚な筆致で共感をこめて描いた長篇小説。(文庫裏表紙より)

 

 

 

 

2015年に下関旅行をしました。

そのとき史跡などを巡るにあたり、高杉晋作について勉強してみようということで読んだ小説でした。

一度読み終わっていたのですが、今回改めて読み直してみました。

 

 

 

このお話は高杉晋作が松下村塾に入る前の少年期から、激動の生涯を終えるまでを描いています。

 

高杉晋作の一般的なイメージといえば後年、伊藤博文が彼を評した「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」という言葉が有名だと思います。

これは晋作がまさに奇兵隊を創り上げる際の行動力を表していると小説中で述べられています。

一部抜粋してみると、

「下関に乗りこんだ晋作が真っ先に訪ねたのは回船問屋・白石正一郎の屋敷だった。萩の家を出るときから決めていたことである。奇兵隊の結成、そのための協力者にだれを選ぶかまで、構想はまとまっていた。

それはほとんど反射的に描き出していた。目前の現象と知識と経験を結びつける鋭い直観力で即座につくりあげる的確な行動計画、これが晋作の本領である。あるときは遊蕩に身をまかせ、あるときは人をおどろかせる突飛な言動、そして意にそまぬ人々に背をむけていたかと思えば、にわかに立ち上がる。いったん動き出すと、彼の行動は電撃的だった。」

ときにはその突飛な言動のために周囲の理解を得られないことも多かったようです。

しかし作中の言葉を借りると高杉は「機を見るに敏」な男でもあり、ゴリ押ししても駄目だと分かるとあっさりと引く柔軟さも持ち合わせていたようです。

 

高杉晋作はその短い人生の中で多くの役割を果たしています。

古川薫さんは三つの功績を挙げています。

第一が奇兵隊の結成。

第二に功山寺決起。藩内の対立勢力である俗論政府打倒を成功させたこと。これが失敗していたら維新が何年か遅れただろうといわれる重大な出来事。

第三は第二次長州征伐(四境戦争)における指揮的役割。この後、幕府の衰亡が決定的となった。

 

このお話の中では高杉晋作のさまざまな人々との出会いも描かれています。

なかでも彼に大きな影響を与えた人物として外せないのはなんといっても吉田松陰です。

松陰が獄中から晋作に送った手紙の中に、死生観についての教えが書かれています。

一部抜粋すると、

「君は問う。男子が死ぬべきところはどこかと。…死は好むものではなく、また憎むべきでもない。…死して不朽の見込みがあれば、いつでも死んでよい。また生きて大業をなしとげる見込みがあれば、いつまでも生きる努力をしたらよいのである。」

これがその後の晋作の生き方の方針となった言葉だったようです。

 

また、この小説では晋作が残した多くの詩が紹介されています。

もともと身体が丈夫でなかった晋作は文人として名を残したいという淡い思いもあったようです。

そして読書家でもあったようです。

豪傑なイメージが強い人物だったので、そういう繊細な一面があったのはとても意外でしたし、そういう部分を知ることができたのはとても良かったです。

 

『高杉晋作 わが風雲の詩』というタイトルは、そういったいろんな魅力を持った高杉晋作を表していると思います。

彼が辿った人生がひとつひとつ丁寧に描かれている良書です。

高杉晋作に興味のある方にぜひ読んでいただきたい一冊です。

 

 

ちなみに以前下関に行った際の史跡巡りをした記事です→