リゾートに来ていて

プールで遊び

海で遊び

ご飯も作らなくてよくて

天国みたいだと思いながら

ホテルのお部屋にいて

波の音を聴きながら

依存症の科学 という本を読んでいる


どうしてかというと

市販薬の依存症の友達がこの一年の間に

私に何度もお金を貸してという電話をしてきて

一時的なのか永久なのか自分でもわからないけれど

ついこの間メールとお手紙でさよならしたばかりなので…


彼女の市販薬依存はもう数十年にも渡るのではないかと思う

性格変性があったことが私には一番辛かった

辻褄の合わない嘘をついてまで

私が何度断ってもまた電話してきてはお金の話しをするのだった

友達として他愛無い話はもうできないのだった

話の結末は必ずお金貸してとなるから

どうして私なの?

どうして私にいつもお金貸してって言うの?と訊いた

友達だからお金を借りるのだと言った

友達でしょ?と

私はそれなら友達じゃないと思うと言い

え、友達じゃなかったの?と言われ

最後の会話が終わったのだ


メールも変な言葉がたくさんで意味を成さないこともあったけど

私は嫌だと言わずに添ってきたつもりでいた

ただ受け止めるしかないと思っていた

でもこの一年の間に生活の変化と共に彼女は更に変わった

お金お金お金になった

もう私と話したいんじゃなく

結局のところ私にお金を貸してという以外のことを求めないように映った


彼女は依存症という病を抱えていて

生き辛さを抱えてきて

実際に本当にお金がないのかもしれず

けれども私は関わりを絶った

この世でたった一人の友達と言われながら


彼女に守りたいものはあった

家族と縁を切って得た愛する男性との暮らし

その人と二人慎ましいながら依存症を抱えたまま丸ごと幸せにはならないのだろうか

長い長い間待ってようやく手に入れた二人の暮らしだったのに


去年籍を入れたと知らせがあったので

貸す代わりに結婚のお祝いと思って最後に手紙の中に一緒に入れた

お祝いを去年送ろうと思ったけれども

薬代に消えるのが悔しくて何もしていなかったし

最後なら少しばかりどうでもいいように思えたのだ


若い二人のストーリーではない


私は見限ってしまったのだろうか

見限れるほど私は上の立場なんかではないのに


彼女はただ依存症という病を抱えていて

そして治る見込みが極めて低いのに


彼女の脳の報酬系が壊れてしまっていて

交信ができないと感じたからといって

関係を断ったということは私の役割として善とはいえない


今彼女に連絡しようというのではないけれど

依存症の科学 という本を波の音を聴きながら読んでいるうちにそう思えてきている