私はこれ!と思ったら突き詰めるタイプ。 それがこの10年はたまたま、
化粧品や食品の天然の良い物探し求める、を突き詰める、作る!肌を綺麗にする!!という事に
収まっているだけ。
高校時代の私は、ファッション大好き、そしてそこを突き詰めてしまった時代がありました。今はファッションなんて人生の中で一番興味のない物で、本日は500円のセーターと靴を履いております。
そしてファッションにハマった私が行き着いたのが、オウム真理教ファッション、ゲイファッション、そして上野駅でのホームレス生活へと走ってしまったのでした。(オウムは入っていません!)
高校時代、シルク生地の素晴らしさ、お肌への優しさ、着心地の良さに目覚めたのです。始めはシルクの
パジャマや下着から入り、洋服にまでエスカレート。
日本では何万円もするシルクが3000円位で買えてしまうお店を発見し、とにかく高校生にしてシルク生地の
洋服、ファッションにはまっていったのです。 高校2年の夏休みに日本に帰国すると、中学の部活の皆が学校帰りに我が家に集まり、その後ボーリングに行きました。 友人全員が、市内一番の名門校に通い、栄光の★マークの入ったセーラー服。
その時の私のファッションはパッションピンクのド派手なシルク生地のテロンテロンパンツルック。
そんなファッションでセーラー服着た同級生と栃木でボーリング。
保護者のように浮いてしまっただけではなく、
誰が言ったか、私のファッションは『オウム真理教みたい・・』と噂に・・。
くしくも、テレビではオウム真理教の路上パフォーマンスが話題になり、私の超素晴らしいシルクファッションと
あの安っぽい怪しい原色ナイロンのオウムファッションが若干かぶっていると言われればかぶっている・・。
言い訳させてもらえば、私の通っていたアメリカの高校では月に一度のフォーマルディナーがあり、全校生徒がドレスアップの義務がありました。 シルクにジャケットを合わせたり、アクセサリーとかドレスとか当たり前に皆着ていたし~、オウムのファッションと一緒にされて憤慨!
それからオウムと呼ばれるシルクファッションを日本で封印し、同時にハマっていたブラックファッション一本に突き進みよからぬ方向へ。
始まりは17歳の頃、NY CITYで週末遊ぶ事を覚えて5番街などオシャレスポットとナイトクラブを覚えたのです。
バーバリーやラルフローレンを全身に身にまとった私達仲良し3人組は、どこに行っても何度行っても観光客に
思われ、タクシーでは遠回りされ、クリスマスショッピングでは気がついたらバックがナイフで切り裂かれていたり、行列に並んでいるとスリのカッコウな餌食にされたりの被害が続出。
アジア人は沢山いるのにどうして????
そして私達は考えたのです・・私達が目指すのはジモピー〔地元の人になりきる事!}
マンハッタンにてセックスアンドシティの方向を目指して歩き始め、どんどん地元人を目指しエスカレート。
クラブも、もっと危険で地元ぽい場所にチャレンジ。 そして、ヒッピー、ブラック系ファッションにたどり着いたのです。
158cmで47キロなのに80キロの父親がはける程のダボダボジーンズを腰で履き、学校で流行っていたドクターマーチンのブーツと日本には入ってなかったブラック系ブランドのシャツなどなど。 原色繋がりでレゲー、ジャマイカンカラーを取り入れる・・。
栃木ではこれも浮いてしまった・・。 しょうがなく私は夏休みの間、上野の親のマンションにて一人暮らしを始めました。 そしたら・・・・見つけてしまったのです。
ブラックファッションよりも更にジモピーファッションを極めている場所・・・そこは上野駅のホームレスファッションだったのでした!!
折りしもその時日本では、カットソーというファッションが流行り、モノトーンのカットソーに可愛いスカートを合わせて~みたいなファッションが流行っている中、私は原色&バギー&レゲーに、上野アメヨコで出会った迷彩ファッションを取り入れていました。 それもこだわりを突き詰める性格が更にエスカレートさせる・・。
そして友人と上野駅で寝泊り生活を送る事を決意、スリリングな夜を冒険しました。
ダンボールは仲間のおじさんが教えてくれたり、プレゼントしてくれたり・・。 話を聞くと怖い人ではなく、昔会社を経営していた人など様々な事で今の生活を送っていたり・・。 以外に銀行にお金預けていたり。 だけど、コンクリートにダンボールを何枚引いても硬くて眠れない、そして都会は意外に異臭臭い。上野公園は怖く山だと実感、駅は意外に安全で、誰に話しかけられる事もないんですね。 簡単に言うとそんな事を学びました。
何日間したか記憶にないけど、シャワーを浴びに上野警察前にあった親のマンションへ帰り、駅で寝泊りするから寝袋を送って欲しい!と両親へ電話、激怒され、栃木に強制送還を余儀なくされて解散、ホームレス生活は終わりました。 そして2度としたくないけど、変な満足感を得たようなスッキリとした気分に。
アルバイトをして働く事を覚え、六本木のヒップホップ系クラブに求めていた音楽やファッションがある事を知り、
自分の居場所を探せたような気がした所へ落ち着きました。
翌年高校3年で帰国した時にはまた大変身して親のド肝を抜いてしまうのですが、その話はまた今度。
納得行くまで突き進む私は大学時代、大學を一日も休まず会計士を目指し、成人式以外は一度も帰国せず、モデルの友人に刺激を得て、ファッションよりもお化粧が出来ない肌を綺麗にしないとメイクが出来ない、楽しくないと気付くのでした。
それから色々あって、原料作りを作る工場長から始まり、最終的に原料が良くても、作る過程、目指す方向で天然成分の良さなんて無くなる事を知り、自分が納得できる天然商品が欲しいと突き詰めた結果、お化粧品の研究、製造会社を始め早10年。
製造者自らが誇れる物作りをしていることを幸せに感じています。また、人生、良い方向に突き進めて良かったと改めて思いますね。
ただ、シーランの化粧品の工場は白ですが、自宅の裏のプレハブから始まった原料工場は
田んぼの緑のど真ん中に壁から天井までピンク!!
仮名でオウム真理教で有名になった上九一色村にあった(第七サティアン)と呼ばれています・・・。
ちなみに私とオウムは無関係です!!!!