序文
昭和十年四月二十一日午前六時二分、新竹臺中兩州の境界線たる大安溪中流域を震央として烈震起りに兩州下に跨りて人命を失ひ、または負傷 を受けたるもの一萬を超え、住家の潰滅、損壞を來せるもの數萬戶に及び、其の他鐵道、橋梁、水道、道路、學校、官衙等の被害も亦甚大にして、南島平和の鄕は、 瞬時にして土塊の荒野と變じ、一朝にして肉身と死別して叫喚泣哭する者、 或は瀕死の重傷に唸く者、或は恐怖に茫然自失する者等慘憺たるその光景、誠に哀痛切なるものありき。
惟ふに、今回の地震の程度に於て、斯の如く多數の人命を失ひ、幾多の家屋 を崩壞せしめたるは、たまたま本島農村家屋の大部分が地震に對して脆弱なる土角造たりし爲にして、遺憾の極みなれども、因襲の然らしめたる處亦已むを得ざりしなり。殊に今日の文化を以てするも尙天變測り難く、地異豫め知るを得ず。地震の如きは最大の天災として甘受せざるを得ず。
然るに今回の災變に就き、畏くも上 皇室の御軫念を辱うしたるは誠に恐懼措く所を知らず、又內地各方面より、或は遠く海外より、翕然として寄せられたる溫かき同情に對しては罹災民のみに限らず、臺灣在住民の齊しく感激に胸を滿たさるると共に深く感謝を捧ぐるところなり。罹災地方の住民が災禍に怯まず、奮然として復興の道に一路邁進するを得たるは、實にわが同胞の溫かき鞭撻に負ふところ大なるものありと謂ふべし。
震後一年、茲に昭和十年臺灣震災誌と表題し、四月二十一日の烈に因る被害、 皇室の御仁慈、陸海軍を始め各公私團體の敎療及び應援總督府竝びに新竹臺中兩州當局の應急措置、救護及び復興の實狀を記し、且今回の地震に對する各專門家の學術的硏究を附して以て一卷とし、既往を追懷し將來に備ふるの資料となさんとす。
特に、廣大無邊の 聖恩を銘記し、同胞の厚き同情を永久に記念せんとするは、編述に當たりて最も意を用ひたる所なり。
昭和十一年三月二十日
臺灣總督府