約1年ぶりのブログです。なぜこんなに間が空いてしまったのかはさて置き、今回は書いておきたいこと
があったので『アメブロを書く』ページをひらきました。そのお題とは…ボブディランのノーベル賞受賞
です。オールドファンはかなり喜んでおります。ツイッターなどでも概ね、おめでとうの感想です。私も
ロックファンとしては喜ぶべき出来事ではあるので「へえ~、大したものだなあ」と好意的に受け取りま
た。毎年落胆ばかりしているハルキストたちも、村上春樹もボブディランのファンで大いに影響を受けた
のだから良かったと、かなり間接的なお祝いをしているようです。しかし当の本人は未だに選考委員会
からの連絡に反応せず沈黙を守っています。この受賞そのものがいいのかどうかは分かりません。
しかし本人やファン、それを取り巻く人々にとっていろんな反響があるようです。ボブディランといえば
歌詞からも分かるように反戦、経済至上主義を否定する代表のような存在です。方やジョンレノンという
もう一人の代表がいるのですが、彼もディランからの影響が大きい最も有名なアーティストであるので
そういう観点から言えばやはりディランが第一人者であることは間違いないでしょう。今回ディランが
ノーベル賞を受けるか否か、この賞が彼にふさわしいか否かは誰もわかりません。受けても「へえ~」
だし辞退しても「へえ~」という感想を私は抱きます。またどちらにしても賛否はあるのでしょう。
そもそもノーベル賞の価値や意味なども実はよくわからないのです。なかなか貰えない賞だとは
理解できますが。賞の持つ意味はいくつもあります。まず賞金、名誉、栄誉、これまでの人生の証、
今後の人生への保証、虚栄心を満たせる、両親、配偶者など家族への恩返し、以前自分を傷つけた
人への見返し、自分が所属する組織や団体への厚遇、これまで自分を無視してきた社会への復習、
政治的な主張への絶好のチャンス、などなどいくらでも挙げられます。しかしディランがこれらを欲して
いるのか?もう全て持っているのではないかと思え、受賞したいと思う理由が見つかりません。逆に
受賞しない理由はあるとすれば何なのか?これまで反体制として生きて来たにも関わらず、世界最高
の権威は欲しがるのかという俗物根性がオールドファンを失望させる、選考委員会の上から目線に
対する抵抗、ノーベル賞そのものの存在に対しての疑問などこれも色々考えられます。受賞してもしなく
ても、やはり賛否で彼の回りは騒々しくなります。だとすればノーベル賞の選出自体、彼にとっては
迷惑な話だったような気がします。人類にとって化学や医学の発展は重要なものです。これなしでは
難病で苦しむ人たちを救うことは出来ません。それに反して研究者の見返りは非常に小さなものです。
だからノーベル賞という世界最高の権威の存在は非常に大切です。これくらいの権威がないと研究者
を志す人がいなくなってしまいます。しかし、作家やミュージシャンなど文科系の人々はお金や名声
といった人生の果実をその人生の中で収穫することが賞を得なくても可能です。ノーベル賞は理系の
部門だけでいいのではないか、というのが私の個人的な考えです。平和賞にしても過去の受賞者が
本当に世界の平和に寄与したかどうかは疑問です。長い間音楽業界でトップに君臨しているディラン
ですが、彼が唯一畏敬の念を感じているのはポールマッカートニーだけだそうです。何でもできて
手を休めることを知らないということが理由らしいです。やはり一つのことをずっとやり続けることが大事と
いうことでしょうか。