昨日と一昨日、スウェーデン語のテストというとても珍しいテストを受けてきました。テスト形式はTOEICやTOEFL iBTやIELTSのような点数形式ではなく、英検のような合格/不合格の形式です。手ごたえ的にはおそらく合格していると思うのですが、僕はケアレスミスをよくやらかす人間なので、例えば解答欄を1問分ずつずれて答えていてほぼ全問不正解でしたとか、妙な勘違いによる大幅な減点をされている可能性がなきにしもあらず。

 

実際の所、結構前の話になりますが、僕は英語科の教員採用試験を2回目の受験で合格したのですが、1回目で落ちた時は専門教養の英語のテストで解答用紙を裏面白紙で出しちゃってました。いやぁ、どうりでやけに早く終わったなぁと思ったんですよねぇ。見直しも何回もしてバッチリだ!と思いきや、テスト終了直前に答案用紙の裏にも解答欄があった事に気づき唖然。これも若かりし頃の良き思い出です。

 

というわけで、今回のスウェーデン語のテストも結果が実際に出るまではやっぱりなんともいえないですかね~。まぁ、届いてみてのお楽しみってやつです。

 

さて、話は変わって(ていうかここからが本題なのですが)、先週ちょっと自分の中で気になるニュースが流れていました。本当はその日かその翌日ぐらいにそのニュースに関する記事を書きたかったのですが、テスト前という事もありその時はテスト勉強に集中していたので、1週間ほど遅れて書く事にしました。

 

その気になるニュースとは、「今年の『世界幸福度ランキング』の発表」です。世界幸福度ランキングとは、国民1人あたりの所得や健康状態、政治の腐敗の少なさ、国民に保障されている自由、などなど、その国の社会の状況を示す複数の項目を点数化し、その点数の良い国順にランク付けをしたものです。案の定、今年も上位には北欧諸国がずらり。1位はノルウェー、2位はデンマーク、3位はアイスランド。フィンランドは5位で(ちなみに4位はスイス)スウェーデンもトップ10には入っており、北欧諸国は5か国全てがトップ10入りという、まさにこれぞ優等生という成績を残したのです。

 

そして気になる我が国日本は悲しきかな51位。これはG7の中では最低の順位なんだとか。日本は劣悪な職場環境が多く、過労死問題が根強く残っていたり、まともなワークライフバランスもなかなか確保しにくいですから、こういう事がマイナスポイントとして挙げられているのであれば別に驚きません。しかし今回日本のマイナスポイントとしてニュースで注目されていた点は、「他者への寛容度が低い」という事でした。

 

この「他者への寛容度が低い」という評価を聞いて、「あれ?」って思った人、いませんか?そうですよね、近年よく「外国人から見た日本の良い所を調査する」とかいう類のテレビの企画を見かけますが、そこでは毎回のように「日本の素晴らしい所は人が親切な所です!」という評価をいただいていますよね。これって「他者への寛容度が低い」っていうのと矛盾はしないでしょうか?

 

ここにはちょっとしたカラクリがあるのでしょう。僕は前々から、「親切な日本人」には大きく分けて2種類のグループが存在すると見ていて、それが上記の一見矛盾しているように見える状況と関係があると思っています。

 

その2種類の「親切な日本人」とは何か?それは「本物の良い人」と「偽物の良い人」です。「本物の良い人」は説明するまでもありませんよね。文字通り本当に良い人で、誰に対しても誠実であり親切な人の事です。こういう人たちは相手によって態度を変えるような事はしないので、もちろんこういう人たちを相手にしている時は差別などの被害を受ける心配はいりません。そしてこの「本物の良い人」たちは日本には比較的多く存在しているものと見られ、外国人の方々からいただく「日本人は親切だ」という評価はある程度までは当たっていると言えると思います。

 

その一方で、「偽物の良い人」とはどんな人間の事を言うのでしょうか?もうおわかりですよね。本性では親切ではないくせに、特定の相手に対してのみ仮面をかぶり親切に振る舞う人間の事です。ではこの「偽物の良い人」が親切になるのは、どのような人間を相手にしている時なのでしょうか?まぁいろいろあるとは思いますが、典型的な例として挙げられるのは「お客様」、「英語のネイティブスピーカー」、「白人」といった辺りでしょうか。それぞれもう少し細かく見ていきましょう。

 

まず「お客様」について。最近は日本の労働文化も少しずつマイルドになりつつある職場も出てきてはいるものの、ご存じの通り、多くの職場では未だに「お客様は神様です」の過激思想に基づいて仕事をしている事と思われます。「お客様が神様」だなんてねぇ、んなワケないじゃないッスか。お客様は人間ですよ、に・ん・げ・ん。

 

んで、この「お客様は神様」論が多くの外国人による日本人の高評価とどう関係しているのかというと、まぁこれは厳密な調査に基づいたものではなく、あくまで僕の推測ですが、「日本人ってなんて親切なんだ!」と感じている外国人の多くは観光客(または日本に住んで働いていてもどちらかというと「客」の立場に近い人)であろう、という事です。世界中どこを探しても、日本ほど客が神様扱いしてもらえる場所など見つかりはしないでしょう。「客」という立場である限り、日本では自分が王族にでもなったのかと思ってしまうほどの手厚いもてなしを受けられるのです。

 

でも、これをサービスをしてもらう「客」という立場ではなく、サービスをする側の「労働者」としての立場で見てみたら、果たして同じように「日本人はなんて優しいんだ!」などと言っていられるでしょうか。自分を「神」か何かだと勘違いした横柄な奴にイチャモンをつけられる職場は日本では大して珍しくないですから、もし外国人たちが世間一般の日本人と同じ労働環境で日本での毎日を過ごしていたら、逆に「日本人ってなんでこんな細かい事やどうでもいい事にまで文句をつけてくるんだ。日本人はなんて短気なんだ」と思う人も出てくるかもしれません。

 

そして次に「英語のネイティブスピーカー」です。以前書いた記事『英語とカエルちゃんのお話』でも述べましたが、「偽物の親切な日本人」の多くは英語となると途端に目の色が変わり、英語のネイティブ相手には超低姿勢になる傾向があります。そのビビり方ときたら、まるでちょっと前のカップヌードルのCMのようです。(あ、誤解を避けるために念のため補足しますが、逆に英語のネイティブ相手にビビっている人が全員「偽物の良い人」に分類されるわけではありません)

 

僕は以前学校で英語の先生として働いていた事がありましたから、英語のネイティブがいかに神扱いされているかを実際に目の当たりにしています。当時僕が勤めていた学校にいた英語ネイティブの先生はアメリカ人男性のE先生という人だったのですが、このE先生に対しては、普段他の日本人の先生に対しては横柄な先生までもが低姿勢でした。

 

そしてこの「ネイティブの英語の先生」というポジションはかなり快適に仕事ができるポジションであり、他の日本人の英語の先生のように3足のワラジを履かされるなど、劣悪な労働環境に放り込まれる事もありません。僕の知り合いに学校ではなく某英会話スクールで英会話講師として働いている日本人がいますが、やはりそこでも日本人の講師とネイティブスピーカーの講師ではカーストの如く身分が違い、ネイティブはかなり優遇されているようです。

 

そういえば僕がアメリカで留学してた時に現地で会った先生の1人は以前日本の某英会話スクールで働いてた事があったらしいけど、その人も「アメリカ人の僕にとっては凄く快適な職場だったけど、日本人スタッフの人たちにはかなりストレスもあってキツそうに見えた」とか言ってたなぁ。

 

さて、日本人に対しては親切じゃないくせに外国人が相手の時は途端に優しくなる「偽物の親切な日本人」ですが、この連中の親切(というかえこひいき)レベルは相手が白人である場合はさらに跳ね上がります。先ほど英語のネイティブは学校や英会話スクールで英語の先生として優遇してもらえると書きましたが、白人である場合は、別に英語ネイティブじゃなくてもこの「ネイティブ講師」というおいしいポジションをゲットするのは十分可能です。

 

実際、ロシア人で英語のネイティブではないけど白人でそれなりのレベルで英語が喋れるがために「ネイティブスピーカー」のポジションで英語の先生の仕事をゲットした人を僕は見た事があります。この人の英語はロシア語訛りが残っており、聞く人が聞けばネイティブではない事はすぐわかる代物です。学校の日本人の英語の先生に関しては「あの先生は発音が悪いからネイティブな発音のできる先生に交代させろ」とか目くじら立てて文句つける人がいますが、その一方で先生が白人でありさえすればネイティブな発音でなくてもどうやら問題視されないようです。

 

さらには、英語が満足なレベルで喋れないのにもかかわらず、白人であるがために「英語ネイティブ」のポジションで英語の先生の仕事をゲットしたスイス人の話も僕は聞いた事があります。このスイス人の英語のレベルは学校の日本人の英語の先生に逆に英語を教えてもらうほどだそうです。いかに「白人ブランド」が強力な武器であるかを物語っているいい例ですね。

 

逆に、英語のネイティブであっても白人でないが故に嫌な思いをする人もいます。例えば僕の知り合いには何年か前に日本の学校で英語の先生として働き始めたアメリカ人の黒人の女の子がいます。彼女がまだアメリカにいた時にスカイプで話した時は、彼女は日本に来る事をメチャクチャ楽しみにしていたのですが、ある日彼女のFacebookに日本語でこんな内容の投稿がされていました。

 

「今日の授業で、生徒の1人が私の事を指差しながら、隣の子に『あの先生、いくらなんでも日焼けしすぎじゃね?プクククwww』とか言ってた。私は日本語には不自由してないから生徒の会話は全部理解してるけど、生徒の前では日本語を喋っちゃいけない事になってるから何も言い返せなかったし、普段この子たちを担当してる日本人の先生は何も注意をしてくれなかった。どうすればいいっていうの?」

 

日本の生徒がベルルスコーニと同レベル、いやむしろそれより更に低レベルな発言をするとはなんと情けない。

 

もう1つ黒人差別に関しての例を挙げましょう。去年の5月か6月あたりに、僕が仕事帰りに通っているトレーニングジムでウエイトトレーニングを終え、ロッカールームで着替えていた時の事。僕の近くで若い男の子2人がこんな会話をしていました。

 

若者A:「そういえばさ、もうすぐ陸上の日本選手権始まるよな」

 

若者B:「おう。桐生とあと他に誰が出るんだっけ?」

 

若者A:「山縣と、あとあれだよ、あいつ。あの黒人の変な奴」

 

最近の日本の陸上選手にはハーフの選手が増えてきましたが、なぜ黒人とのハーフというだけで「変な奴」扱いされるのかよくわかりませんねぇ。この若者も完全にベルルスコーニ以下ではありませんか。僕が高校生の時は日本には人種差別はないとか習いましたが、どうひいき目に見てもありますがな、差別。

 

これらの事から、「偽物の親切な日本人」たちは、主に相手の「ステータス」や「見た目」を基に態度を変えているという事が読み取れます。なんかどっかで「神は全知全能であり、私たち人間を全員平等に創られた。そして私たち全員を平等に愛しておられる」などという言葉を聞いた事がありますが、絶対に嘘ですな。

 

そろそろまとめに入ります。外国人からは一般的に「日本人は親切な人ばかりだ」という評価をもらえていますが、それは外国人に対しては「本物の良い人」だけでなく、「偽物の良い人」も含めた両方のタイプの日本人が親切にしてくれる(「偽物の良い人」場合、正確には「親切に」ではなくひいきしてくれる)から、会う日本人のほぼ全員が良い人のように見えてしまうのだと思います。だけどその一方で、世界幸福度ランキングに出てきた「他者への寛容度」の項目ではおそらく「お客様に対する日本人のおもてなし精神」といった類の要素は考慮に入れられておらず、点数が伸びなかったという事なのでしょう。

 

ちなみに、僕自身は日本人は親切な人はたしかにいる事はいるとは思いますが、多くの外国人が言うように「親切な人ばかり」だとは毛頭思っていません。なぜなら、日本人の中で僕に親切にしてくれる人のほとんどは「本物の良い人」だけであり、「偽物の良い人」たちの9割以上は僕にはかなり冷たい態度を取るからです。そういう「偽物の良い人」たちの態度を見るたびに、「ケッ、白人とかの一部の人間を相手にしてる時だけはメチャクチャ優しくなるくせに」とか思ってます。

 

いずれにしても、「本物の親切な日本人」が称賛されるのは喜ばしい事ではありますが、「偽物の親切な日本人」までもが「良い人」扱いされるのはなんか気に食わないですねぇ。外国人にはより鋭い観察眼を持って「本当に良い人」だけを見極めて欲しいものです。